第48話sideシェリル

 シェリルの位置から狙える――あるいは狙いやすい――急所はどこか……?


(あそこしかない……)


 そう思った。

 そして、その場所へと狙いを定めた――。


 あそこに食らわせれば、殺すことはできないものの、(ある意味で)致命的なダメージを与えることができる。一泡吹かせることができる。そのまま、泡を吹いて失神してしまえ、とすら思う。

 シェリルは左手を地面について、ふらつく体を支えると、右手を狙った場所へと素早く突き出す。


「――ぁっ!?」


 カインは包丁を振りかぶっていたが、突如として動き出したシェリルに驚き、攻撃動作を急停止させながら包丁を避けようとした。

 しかし――。


「遅いっ!」


 突き出された包丁は、カインの股の間へと突き刺さる。

 頭部、心臓と並ぶ男の急所――股間へと。

 ズブリ、と。


「ぎゃっ!?」


 短い甲高い悲鳴をあげて、カインは股間を押さえた。悶絶してうずくまっている。ふう、ふう、ふう、と荒い呼吸を繰り返す。目からは涙が流れている。


「あは、あははははは……」


 シェリルはかすれた声で笑った。


(ざまあみろ!)


 がら空きの背中にもう一撃、もう二撃ほど与えれば――殺せる。殺せる!

 力を振り絞って、行動に移そうとした。

 だがしかし――。


「あ、ああ、あああ、ああああ、あああああ――っ!」


 カインの雄たけび。

 次の瞬間には――包丁がシェリルの胸に突き刺さっていた。


「…………ぁ」


 死。

 意識が混濁していく、意識が遠のいていく。

 カインが罵詈雑言を浴びせてくるが、何を言っているのかわからない。聞こえない。怒鳴るカインの姿もぼやけて消えていく。見えない。


(ああ……私、死ぬのね……)


 死ぬのは嫌だったはずだ。もっと生きたかったはずだ。それなのに、心は澄み切っていて、人生で一番穏やかな気持ちになれた。


 人生最期に、思うこと。

 脳裏で走馬灯のように再生されるのは、かつての恋人ルークと過ごした日々だった。決して満足はしていない、退屈で平凡な日々だった。


 刺激が欲しかった。金が欲しかった。地位が欲しかった。幸福が欲しかった。

 強欲なシェリルはすべてを手に入れようとして、ルークを捨てて、勇者であるカインを選んだ。自らルークとの生活を放棄した。


 けれど、失ってからしばらくして、ようやくわかった。

 あの日々のすばらしさを。


 今ならわかる。あの日々を失うべきではなかった。しかし、失ってみないと、それがどんなにすばらしいかを、理解することは決してなかっただろう。

 だから、ルークと結婚して幸せな日々を送る、などという選択肢はなかったのだ。そんな未来はあり得ないのだ。


 しかしそれでも――。

 そのあり得ない未来を選んでいたら、と思ってしまった。


(ルーク……ごめんね……)


 シェリルの謝罪は、ルークのもとには届かない。しかしそれでも、謝罪せずにはいられなかった。

 これはただの自己満足だ。人生最期の自己満足だ。


 満足したシェリルは、死者の世界へと旅立っていった。彼女の死に顔は、とても安らかなものだった――。

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