第47話sideシェリル
もう後戻りはできない。
カインを殺すか、カインに殺されるか――。
選択肢は二つしかない。
(殺して、やるっ!)
カインは片方の手で口を押さえ、もう片方の手で背中に突き刺さった包丁を引き抜いた。ぐううううう、と怒った猟犬のような唸り声。
シェリルはキッチンへと走った。凶器を――包丁を探す。二本あった。
左右の手に包丁を握ると、
「死ねよぉぉぉっ!」
カインに向かって突撃した。両腕をぶんぶんと闇雲に振り回す。
普段なら素人のこんな攻撃をカインが食らうはずがない――のだが、口と背中を負傷して動揺し、痛みに苦しんでいる、今のカインなら話は別だ。
腕や胸を浅くではあるが、包丁の鈍い刃が裂く。服にじわりじわりと血がにじんでいく。
(いける! いけるわ!)
シェリルは興奮していた。彼女の作戦勝ちだ。
カインは捨てられた女の憎悪というものを、侮っていたのだ。だから、勇者のくせして、こんな窮地に陥る。
そして――シェリルに殺される。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死――」
「死ぬのは、てめえだぁぁぁ!」
思い切り振りかぶって、それから振るわれたカインの拳。
拳はシェリルの顔面に突き刺さった。一瞬、意識がとぶくらいの衝撃。吹っ飛ばされた彼女は壁に叩きつけられた。その際、後頭部を強打した。泣きそうになりながら顔を触ると、手には血がべっとりとついている。鼻血だ。鼻の形が変わっている。折れている。女の顔を殴るなんて信じられない。許されない。抗議の声を上げようとした。
「……ぅ、ぁ……」
しかし、うまく声が出ない。
口の中が血の味がする。カインみたいに舌を噛んでしまったのかもしれない。
殴られたときに、左手に握った包丁は手放してしまった。手の力が緩んだのだ。しかし、右手にはまだ包丁がある。
(まだだ……まだ……)
謝ろうかと思った。今ならまだ間に合う――いや、もう遅い。遅すぎる。殺すか、殺されるか。この二択だ。
いける、と思った。実際、チャンスだった。しかし、戦闘経験のない素人のシェリルに、急所を的確に突くことは難しかった。戦闘どころか、包丁すら大して握ったことないのだ。包丁の扱い方すらろくにわからない。
(諦めるのは……まだ早いわ……)
右手に握った包丁を見る。
これをカインにもう一度、深く突き刺すことができれば、シェリルは救われる。
カインは背中から引き抜いた包丁を握りしめ、嗜虐的な笑みを浮かべながら、一歩ずつじっくりと着実に近づいてくる。彼はシェリルがもう動けないものだと思っている。油断しているのだ。
カインがシェリルの眼前に立った。壁にもたれかかるようにして座っているシェリルを、見下ろすような格好だ。
「よくも……よくもよくもよくもやってくれたなぁ、シェリルぅぅ……」
カインの視線はシェリルの頭頂部に集中している。両手で握った包丁を振りかぶって、真上から頭頂部に突き刺すつもりなのだ。
シェリルの位置からだと、頭や胸を狙うのは難しい。そこに包丁を突き刺すためには、立ち上がるか跳ねる必要がある。足は骨折したのか捻挫したのか、痛くて動かない。彼女の位置から狙える――あるいは狙いやすい――急所はどこか……?
(あそこしかない……)
そう思った。
そして、その場所へと狙いを定めた――。
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