1-10話


 ぞっ、と背筋が寒くなった。

(噓でしょう、いくらなんでもそんな……!)

 いくらねたましい相手だからといって、自分たちから見れば「罪人」だからといって、無抵抗の相手を、寄ってたかって針で刺して楽しむ?

 そんなむごい行為が、本当にできるのか──とても信じられない。

 ──しかし、もし英鈴が後宮に勤めるようになってあと一年も経っていたならば、あるいは彼女らの気持ちに、同意はできずとも理解はできていたかもしれない。

 この後宮で主上のちようあいもなく、ただ無為に時間を過ごす。その中で「無抵抗の相手を、とがめられずにいたぶれる」そんな機会が、どれほどのうつぷんらしになるか。

「え、英、鈴……!」

 雪花が、逃げて、と言いたげに手を伸ばす。しかし彼女には、どうすることもできない。

「い、嫌っ……!」

 もがき、逃げようとしても、さっきから腕をつかんでいた宮女が、今度はこちらを羽交い絞めにしてきた。身動きすらとれない!

 そうしている間にも、女たちはじりじりと距離を詰めてくる。その奥では、楊太儀がまるで芝居小屋の観客のように、心底愉快そうに微笑みながら、腕の中の愛犬をでていた。白充媛は、暴行に参加するつもりはないようだが、目を伏せたままで動こうとしない。

 このまま凶器が振るわれれば、一体英鈴はこの先、無事に生きていけるかどうかすら──

(な、なんとか……)

 必死に突破口を探る。しかし相変わらず身動きは取れず、扉は背後で閉ざされているし、せいぜいできることといったら、足を振り回して抵抗するくらいしかない。

(なんとか逃げなきゃ、で、でないと……!)

 せっかく──せっかく、夢への第一歩を踏み出せたというのに。

(……けい……! ごめん。もう、ここまでかも……)

 今は亡きびながら、覚悟して目を閉じる。

 すると──その時である。扉が開くと同時に、先ほども聞いた低く明るい声が響いた。

「おお、皆ここにいたのか。たまに来てみれば、騒ぎが起きているとはな」

「っ……!!」

 皇帝の言葉は、瞬時に女たちの動きを止めた。

「へ、陛下!」

 太儀が悲鳴のように叫ぶが早いか、周囲の者たちは一斉に平伏した。英鈴を羽交い絞めにしていた宮女も同じだ。戒めが解かれた英鈴もまた、平伏しようと思っていたが──

「……雪花っ!」

 動けない友人を見たら、放ってなどおけない。無礼の咎めを受けるのを覚悟の上で──

(いいえ……そんなの、もうどうだっていい!)

 雪花に急いで近づき、症状を診る。といってももちろん、医師ではないのでかんぺきな診断はできない。しかし店を手伝っていた経験から、ある程度は心得がある。

(よかった、大量に摂取はしてないみたい。これなら症状が出ていても、これ以上はひどくならずに済む。水分を取って休んで、皮膚炎を抑えるこうやくさえ使えれば……!)

 ほっと息を吐いたところで、英鈴は、向き直って朱心に平伏の体勢をとった。

 するとそれを待っていたように、朱心は穏やかに微笑むと、おもむろに朗々と言う。

「太儀、これはどうした? 余の目には、そこの英鈴を皆で責めていたように見えるのだが」

「お、恐れながら」

 声は少し震えながらも、それでも己の優位は揺るがないといった面持ちで、太儀はきようしゆしながら述べる。

「この英鈴という宮女が皆に売りつけていた薬茶に、毒が含まれていたのでございます。先ほど飲んだそちらの宮女の肌に、出来物がございましょう? それを皆で咎めていたのですわ」

「そうなのか、英鈴?」

「違います!」

 友人の隣に控えたまま、はっきりと否定する。

「雪花……いえ、このには、体質的に私の薬茶が合っていないのです。私は薬茶を売る前に、必ず相手の方の体質についてお尋ねするようにしております。私はこの娘には薬茶を飲ませないようにしておりました。今回は……」

「お黙りなさいっ!」

 太儀が遮る。

「なんですの、あなた。もしやわたくしがあなたを陥れるために、わざとこの娘に茶を飲ませたとでも言いますの!? それにこんなに身体に害が出る茶など、毒に決まって……」

 しかし彼女の言葉は、より高位にある者によってさらに遮られた。

「太儀」

 にこやかな顔を崩さず、朱心は言う。

「ふむ、今のそなたの話だが、少しおかしくはないか?」

「えっ……」

「聞いた話では、そなたたちは、ここ最近英鈴の薬茶を飲んでいたのだろう?」

 虚をかれた様子の太儀に対し、朱心は重ねて問いかける。

「それなのに、そなたたちの肌には出来物などない。一方で、この娘には飲んですぐに害があった。同じものを飲んだのに、こうも影響が違うのはなぜだろうな?」

「そっ、それは! そこの董英鈴が、何か細工でもしたのに決まって……!」

「太儀」

 再び短く、しかし明確な意思をもつて、朱心は制止の言葉を発した。

「英鈴の話が聞きたい。少し、静かにしていてくれぬか?」

「しょ、承知いたしました……」

 震えながら、太儀が口を閉ざす。朱心はこちらに視線を向けると、僅かに首を傾げた。

「それで、英鈴。今の太儀の言葉を受けて、何か反論はあるか?」

「……はい。ございます」

 英鈴は、言うなり、ゆっくりと立ち上がった。

(もういい。もう、頭にきた)

 ──太儀がなんだ。後宮のひんが、一体どれほど偉いっていうのか?

 他についてならまだ許せる。でも薬についてあることないことを言われ、しかも友達を傷つけられて、黙っていられるわけもない。今なお穏やかな表情の朱心に対し、一言、告げる。

「陛下。……恐れながら、御身に背を向ける不敬をお許しください」

「よい、許す。話してみよ」

「はい」

 許しを受け、くるりと英鈴は身体ごと振り返った。そこから見えるのは、今なお平伏したままの嬪、宮女たちと、その中で特に面白くなさそうな、くされた表情の楊太儀。

 彼女らに向かって、英鈴は、ゆっくりと語った。

「まず──はっきりと言います。薬は、毒にもなり得ます」

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