28.平田兄弟




 頭が割れるように痛い。


 小説の続きは決まっているのに、言葉が出て来ない。俺は幼稚園児用のプール並みに浅い語彙力の中でバチャバチャと暴れ回る。


『どこにあるんですか!?俺の言葉は!!』


 そして頭の中ではいつしか霧が立ち込めて言葉の探索はとうとう諦めてしまった。


 もう駄目だ、何もできない。力よりも意思を失った者の方がなかなか厄介なのである。


『はぁ……。これからどうするかなぁ……』


 随分と時間をかけて道なき道を進んできた。いや、もちろん最初はしっかりと舗装された道だった。しかし俺自身の決断によって迷い込んだのだ。鬱蒼とした木々に覆われた山の中へと……。


『これこそ彼が見た限界なのかも知れない』


 そんな悟りとも弱音とも取れる声を漏らした時、不意に身体を撫でるように風が吹いた。


『これは……。またあれか?』


 深い眠りから覚めるような刺激とともに、今まで何度となく見てきた姿が目の前にあった。


 それは、やはり五十音の神だった。


『あいうえおかきくけこさしす……』


 長い髪を揺らしながら白い服を着て堂々と立っている。20畳用のLEDシーリングライトよりも明るい輝きを放ち、車の芳香剤売場よりも豪華絢爛な香りを漂わせていた。


『なにぬねのはひふへほまみむ……』


 彼が唱えるように発する文字は形となり、息をするようにプカプカと浮かんだ。そして波状攻撃のように飛んでくるそれらは神の使いなのか、俺の周りを優しく取り囲み、ゆっくりと身体を持ち上げた。


『うわぁ……。なんて気持ちいいんだ』


 平仮名達がどんどんと山の上の方へ俺を運んでゆく。まるで登山鉄道と呼ばれる神戸電鉄に乗っているかのような心持ちで終着駅を待った。


 “う、し、ろ、を、み、て”


 山の頂上に着くと、平仮名達の言う通りに後ろを振り返った……。


          ○


 そこで突然我に帰った。


 いつもと変わらない机、窓からの景色、隣の部屋では楽しそうな鼻歌。どれも何一つ変わらない。


 ただ頭の中にイメージが湧いて来た。小説の続きを書いていくためのイメージが。


 毎度のことなのだが、先程あの山の上で俺は一体何を見たのだろう?


 しかし、そんな事を考えている余裕はない。書いて書いて書かなければ。


 なぜなら俺は二つの物語を書いているのだから……。


          ○


 平田一真、慎二と出会った翌日。俺は流れのままに“奇天烈アパート”を引き継いだ。


『これが俺の構想。一応ラストまで書いてあるけど、これからは君が自由に作っていって大丈夫やから』


 そう言って手渡されたノートには、びっしりと文字が並んでいた。頭に浮かんだ事をそのまま殴り書きしたような煩雑なものだったが、俺の楽しみにしていたストーリーが広がっている。


『これ本当に読んでいいんですかっ?』


 感動のあまり声が大きくなった。


『もちろん。もうこの小説は君のやから。いきなり押し付けられて迷惑かもしれへんけど、引き受けてくれてありがとう』


 一真が胸をなでおろすように笑顔を浮かべて言った。


 大好きな奇天烈アパート。


 それを俺が書いていくのだ……。


『慎二の声を収録するのは10日後やから、それまでに書いて欲しい』


 ……本当に俺はできるのだろうか?


          ○


『ただ一つ、はっきりしている事。それは俺がこのアパートに埴輪を並べていないという事実だ。俺は考古学的な趣味はないし、ましてや、決してこのアパートを“誰かの古墳にしてやろう”なんて思ってもいない。このやけに魅惑的な見た目と呆然とした表情。誰がこのアパートに150体もの埴輪を並べたのだろうか……』


 今週の奇天烈アパートを聴きながら、俺はその次の週の原稿を手にしていた。そして俺が書くのはさらに次の原稿となる。


 奇天烈アパートは主人公が様々な住人と関わりながら成長していくコメディ寄りのヒューマンドラマである。一風変わった登場人物とともにアパートに秘められた謎を追求していく。


 この後の展開を特別に見せて貰った俺は幸せ者か、それとも…………。


 いや、違う!もうこれは俺の小説なのだ!ある程度、一真のプロットに沿って書いていき俺の解釈で脚色していこう。


『埴輪が増えている?いや、配置が変わっている?チェバの定理だかメネラウスの定理だかで見た、よく分からない三角形のフォーメーションで埴輪が並んでいる。俺は三角形の中に打たれた点Pのように身動きが取れなかった……』


 ラジオ小説は軽快なリズムで進んでいく。


          ○

 

『よし!じゃあそこのレベルを上げて、三分間待機しよう。温度が上がったら測定開始しよか』


 研究室。

 黒岩先生がテンポよく指示を出す。


 テストは何とか切り抜けたものの、まだまだ俺は卒業に向けた研究を頑張らなければならない。


 とは言うものの、果たして俺達は訳の分からない宇宙船のような機械で何を作って何を測定しているのだろうか?一体、この機械の温度を上げて何がどうなるのだろう?そもそもなんで三分間待つのだろう??


 黒岩先生の研究の手伝いをするのはいいのだが、俺の脳内は如何なる思考回路をも断ち切ってしまっている。


 俺の隣では、タクラマカンTシャツを着た後藤も頭を抱えて独り言を呟いていた。


『おい、後藤!大丈夫か?』


『大丈夫…………なんかな?』


 この偉大なる実験結果の中で最も優位性のあるもの。それは“若き二人の魂が温度の上昇により消えかかってしまう”という悲劇であった……。


 ぼろぼろの精神のままなんとか乗り切って、ようやく実験室を後にしようと立ち上がった時、うっかりと手を滑らせてリュックを落としてしまった。中身がバラバラと散らばって、奇天烈アパートの原稿も散乱する。


『あれ?これは……?』


 黒岩先生がその中の一枚を手に取って呟いた。


 やばい!そういえば、黒岩先生は何故か奇天烈アパートの事を知ってたな……。完全に見られてしまった。


『奇天烈アパート……の登場人物が書かれてるけど……』


『あ、こ、これは……』


 このままじゃ俺が作者だと思われるし、色々ややこしくなるぞ!と、慌てて魚のように口をパクパクさせていたが、俺は黒岩先生の次の一言に耳を疑った。


『メンタル君。平田兄弟と知り合いなん?』


『え……?』


 俺は思いもよらない所で奇天烈アパートの黎明期を知ることになったのであった。


 

 


 

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