21.解けないパズル




 翌朝、俺は未だかつて履いたことのない真っ赤なブリーフを手に取った。何か特別な事があった時の為に、勝負パンツとして購入したものだ。


 姿見の前で履き替えて、ボディービルダーのようにポーズを決める。


『よし!今日はいける!』


 こちらも相手を偵察していた身ではあるものの、後藤による直接的な宣戦布告を受けた事で、より一層“戦わねばならないのだ”という残酷な現実を受け入れる事ができた。


 しかし、よりによって犯人がタクラマカン男こと後藤だったなんて、何という運命の悪戯であろう?同じゼミに配属された者同士だぞ?これから一年以上もの間、小さな実験室で共に学ばなければならないのだぞ?


 ここでしっかりとけりをつけなければ、俺達二人の間に、これからもずっと深い溝ができたまま、研究にも生活にも支障をきたすかもしれないのだ。黒岩先生にも異様な圧をかけられているというのに、これ以上ストレスを作りたくないし、それにせっかく一緒に研究するんだから卒業までは仲良くいたい……


 パンッパンッ!

 両頬を自らの手で叩く。


『何言ってんねん俺は!』


 仲良くいたい、など言語道断!

 その甘えが己を敗北へと向かわせるのだ!


 そして再び鏡の前でポーズを決める。

 細い身体がきびきび動く。

 今日はいける!!


 …………。


 見ての通り、この日の俺はかなりの情緒不安定だったのである……。


          ○


 いざ、後藤との決戦。


 時間の指定は特に無かったのだが、昼休みだと直感的に判断した。


 チャイムが鳴るまでの数分間、俺はゆっくりと中庭へ向かいながら、後藤によるあらゆる角度からの攻撃をイメージしていた。如何にそれらをかわして彼を圧倒するかを考える……。


『どうしてメンタルさんをそこまで追い詰めるんでしょうか?』


 そう言って俺の横を歩くのは優秀なセコンド、圭介である。

 勝負の際は勿論サシでやりあうつもりだが万が一俺が自身を制御できなくなった時のために来てもらっていた。『そうなった時は迷わず俺を撃て』と伝えて……。


『俺になんの恨みがあるのかは分からん。やからこそ、ちゃんと納得いくまで話し合わないと……』


 そう、俺は話し合いをしに来たのだ。それなのに、何をしでかすか分からないほど、身体が力んでいるような気がしていた。


『あぁ、絶対に負けられない……』


 そう呟くと、いよいよ中庭へと足を踏み入れたのであった。


          ○


『今日もノリノリでやっていこうぜ!!ライブ配信もされてるから、どんどん盛り上げていってくれぇいい!!』


 ちょうど昼休み。中庭では、軽音サークルの不定期開催ライブが始まろうとしていた。


『俺のギターリフにしびれろぉぉー!』


『いえーーーい!!!』


 ステージの前方で盛り上がっているのは専ら軽音サークル部員自らであるとの噂が流れている。サクラという認識ではなく、単に皆で楽しんでいるだけなのであろうが、どうも内輪ノリが気になってしまうこのライブ。しかし、ネットを使ってライブ配信するあたりはとても良い活動なのだなと、完全に他人事ではあるがボンヤリと思った。


『いい曲ですね』


 圭介がぼそっと呟く。


 自作曲なのだろうか?全く知らない曲だ。とても歪んだギターの音で、穏やかな大学の昼休みとは相性が悪そうではある。しかしそんな事には脇目も振らず、一心不乱かつ豪快に弾いていく。


『たしかにいい曲だ。俺の勝利のBGMになるように勝ってみせる!』


 俺の勝利への渇望の声が高らかに響いたその時、中庭から図書館へと繋がる階段のところにタクラマカン砂漠がプリントされたトレーナーを着た男の姿を見つけた。


『来た……』


 緊張と興奮が入り混じり、背中には気持ちの悪い冷や汗をかいていた。


          ○


『メモ、見つけたんやね』


 笑うでもなく、彼は淡々とした声で話しかけてくる。それがどこか不気味だった。


『わざわざ分かりやすくしてくれたみたいやけど、どういう事か聞かせてもらおか?』


 俺は指をポキポキ鳴らす仕草をして威嚇しようと試みたが、結局一本も鳴らず恥ずかしい思いをした。


『圭介、こっからは大丈夫や。俺一人で話をしてくる』


『健闘を祈ります!』


 後藤が指を差したテーブルで、二人向かい合わせに座った。


『まずはどこから聞こうか……?色々謎が多すぎるからな』


『何でもいいよ。答えられる事なら』


 少し上から目線のこの男。


『じゃあ順を追って聞いてくで。俺の写真はどうやって手に入れた?』


『食堂前にあった学内誌から一部持って帰った』


『偶然?』


『いや、発行される内容と一緒に、配布日まで知ってたよ。学内誌サークルに友人がいて、たまたま仕入れる事ができた情報やったんやけど。まさに幸運やと思ったね』


『その時からずっと計画してたんか?』


 後藤は不敵な笑みを浮かべて、軽音サークルの方に目をやりながら答えた。


『いいや、最初は学内誌自体が多く出回る事を望んでたよ』


『そっちの方が楽に広まるから?』


『いや………』


 彼は言葉を濁して、考えるような素振りを見せた。何を隠してる?


『それもある。ただそれだけじゃない』


『なんやねん、それはつまり?』


『あの学内誌は君だけのものじゃないってことや』


 曖昧な表現に俺は少し苛立ちを覚えながらも、それは前々から見られたコイツの特徴でもあるので、我慢する事にした。とりあえず先へ進もう。


『よう分からんけど、分かった。とりあえず今は深掘りせんとく』


 俺は息を整えて続けた。


『ちょっと質問のベクトルを変えるけど、そうやって陥れるような事をしてまで、俺の事がそんなに憎い?』

 

『憎い』


 彼の目はまっすぐ俺の目を捉えている。


『違うな……。憎くなったというのが正しいのかもしれへん』


 突然吹き抜けた冷たい風のせいか、身震いとともに体中に鳥肌が立つのが分かった。


 この男は俺をどのような角度から見ているのだろう?彼の目に、俺の知らない俺が映っているかのような感覚。


 早く知りたい。何が彼をここまで動かしているのか。


『なぁ、その“憎くなった”っていう表現。俺への感情が変わったのは、いつなんや?前期の時、電車で俺をジロジロ見てたやろ』


『それは間違いなく僕やけど、まだ君を憎んではいなかった。ただ、一方的にライバルやと思ってたんや』


 どういう事や?

 ゆっくり時系列を整えて、しっかりと考え直そうとした。しかし考えれば考える程、何も分からない。


 彼の話し方。まるで俺に何かを気づかせるために仕掛けたかのような余韻がある。


 ライバル?何の?

 そもそもなんでこんなクイズみたいな形式になってんの?


 俺は解けない知恵の輪をより複雑に絡ませてしまった。頭が痛い……。


『ギブアップ?』


 後藤がさらっと口にしたその言葉。俺の心に燃えている、小さな炎を揺らす。


『……まだや』


 単なる足掻き、そして時間稼ぎ。

 軽音サークルは華麗なギターソロを奏でており、気がつけば少し観客も増えている。中庭は文化祭ほどではないにしろ、かなりの人数が集まって、冬の始まりとは思えない熱気を帯びていた。


 あれ?圭介どこ行った?


 俺から少し離れていたはずの圭介が見当たらない。俺の敗北を予感して、見ていられないと帰ってしまったのだろうか?


 椅子から少し腰を浮かして、周りを見てみる。う〜ん、いないなぁ……。


『うん?あそこにおるんは……』


 俺は遂に圭介を見つけることはできなかったが、ライブ観客の後ろの方で友達と談笑する、ある人物を見た。


『中野さん……、ライブなんか見るんや』


 俺のぼそっとした呟き。


『えっ!?』


 まるで集団行動の号令時のような素早い動きで振り向く後藤。


 あっ、そうか。中野さんと後藤は同じ学年の物理学科やもんなぁ。研究室では俺と同期やとはいえ、二人とも俺の一学年下やから。


 それにしても、さっきの後藤の機敏な動き。一体あれは……?


『中野さんがどうかした?』


『い、いや……』


 声を詰まらせる後藤。


 しかし、彼の視線は鋭く中野さんを捉えている。


 なんやこれ??

 めっちゃ引っかかるんやけど!


 俺は一向に解けないでいたパズルの、決定的なピースを見つけたのかもしれない。

 

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