19.中庭集中管理システム
週二回のゼミでは、実験に必要な理論の勉強をする。
ただ我々の研究室でのゼミ、普通のものとは一線を画している。
竹刀を持った黒岩教授が目を光らせながら、座っている俺の周りをゆっくりと歩いているのだ。そして少しでも俺の気が緩んでいると教授の足運びが変わる。タンタンタンとテンポが速くなる。それは時限爆弾のカウントダウンのように俺の頭を真っ白にさせ、最後の最後にバシッと机が叩かれる。俺は横目でしなる竹刀を見つめては、顎をガクガク震わせて『助けて』と声にならない祈りを捧げていた。
今の時代に、この授業風景は問題になりそうではあるが、その思考すらも封じ込める彼の絶対的支配。恐ろしい独立国家がこの小さな研究室で成立していたのであった……。
○
『疲れたなぁ』
黒岩教授から解放されて、廊下をキョンシーのような表情で歩く。“くそぉ、色々問題抱えすぎやろ最近!!”と口にすると、横にいるタクラマカン男こと後藤が心配そうに聞いてきた。
『そういやさ、最近あの記事のことを知ってる人が増えてるみたいやけど、なんでなんかな?色んな講義室で聞くから満遍なく広がってるよ』
『むむむっ……』
むむむっ、と初めて言ってみたのだが、とてもしっくりきた。こういう時に使うものなのだなと感心した。
『そうなんよなぁ、知ってる人が増えてんのは実感があんねん……』
それはまさしく、あの記事のコピーが原因だ。体育の授業の時に教えてもらった中庭で定点観測を行ったが、丸めた記事を投げ込む輩は見つけられなかった。しかし、どんどんと大学に流布していく記事内容。そして確かに中庭で記事が落ちているのを何度も見た。一体誰がこんな事を……。
そしてこの何週間もの間、授業を受けたり、講義棟内を歩いていたりすると、指を差されるのは日常茶飯事で、あの記事も何度となく見せつけられた。
『花火打ち上げた人ですよね?』
『何でそんな事したんですか?』
『大学をなんだと思ってんだ?』
沢山の声。そしていつの間にか、自分の頭の中でもその声はこだまする。
俺はスキャンダルを撮られた俳優のようにサングラスをかけて帽子を被り、ノーコメントを貫いた。というよりも何も言えなかったというのが正しい。間違った事をしてしまったのは事実なのだから。彼らが俺をそういった目で見るのは正常な反応なのだから……。
○
川本や百香さんも俺を気にしてくれた。
『大丈夫?俺の家おいで』
甘えん坊のように川本の家へ着いて行き、百香さん渾身の手料理を食べさせてもらった。三日間食事を取らなかったかのような食べっぷりに、『いっぱい食べていいからね』と、おかわりまで勧めてくれた。
『あれ?このお皿って有田焼?』
『そうやで。綺麗やろ?』
川本がキラキラとした目で答える。
『ほんじゃあ、このマグカップも?』
『そう!』
『え!じゃあもしかしてこの箸置きも?有田焼でコンプリート?』
『いや、それは伊万里焼』
何故だか俺はめちゃくちゃ恥ずかしかった。よく分からない脇汗をかき始める。
『で、でもさ、伊万里焼って元は有田焼じゃなかった?』
『それは古伊万里じゃない?』
また恥ずかしい。古伊万里ってなんやった??オールドイマリとかいうやつか??いや、もうどうでもええねん伝統工芸品の事なんか!俺が話し始めた事やけど!もうええねん!もうええねん!もうええねん……
『ううぅっ、ううぅぅ………』
俺は化学実験の滴定でやってしまったら必ず怒られるくらいの勢いで、涙をぼとぼとと止めどなく床に落とした。
『どうしたんメンタル!?大丈夫か?』
『い、いや……大丈夫……』
俺はもうすでにストレス過多により、情緒不安定だった。自分の置かれた状況に絶望する一方、二人の幸せを目の前にして微笑ましく感じた。できることならずっとここに居たい………。
『ごめんね、私達のせいで……』
百香さん……。
『メンタル君にこんなにも迷惑かけちゃうなんて……』
『いいや………』
………やっぱり駄目だ。
あの日の花火はたった一発だったが、それでもこの二人にとっては美しい思い出であって欲しい。俺はあの時はっきりと見たのだ。二人を包む儚い花火の色の中で、彼らの磨きのかかった愛の姿を。一つ大きな山を越えた素晴らしい二人の絆を。
あの思い出を汚す訳にはいかぬと、俺は涙を拭い去り、自分の胸に手を当てた。
『俺は大丈夫やから。絶対に何があっても乗り越えられるから』
この時、頭の中で一瞬ではあるが光の道のようなものが見えた。さらに一段階、俺は自分を高める事ができたのだと思う。
誰がこんな事をやってるのか。今に全てを解き明かしてやろう。
俺は『中庭集中管理システム』の構築に取り掛かったのであった。
○
中庭集中管理システム
俺は一晩中寝ずに机に向かい、熟考に熟考を重ねて、疲れたらYouTubeで赤ちゃんの動画を見て癒されながら、落ち度のない完全なるシステムの構築に専念した。
俺は反論を恐れずに言うが、良し悪し関係なく、人間の創造力というのは徹夜をしている時にこそ、フルに発揮されるものかと思う。ただ、ここで大事なのは『良し悪し関係なく』という前提だ。
俺はその深夜の創造力に任せて、思いつくままに計画を立てていった。
そして出来上がった『中庭集中管理システム』。レポートの完成時よりも深い達成感を味わう事ができた。そう、確かに達成感は俺の掌にあったはずだ!
恍惚とした表情を浮かべてエクセルの画面を眺める。この時ばかりは自分を天才だと思った。しかし、それも深夜の異様なテンションの為だったのだろう。
今考えれば、あのシステムは人間の労働力によってのみ支えられていて、システムとは名ばかりの力技だったのだ……。
そのシステムの概要を下記に記す。
・夜間を除いた一日中、メンタル弱男と圭介は適宜交代しながら、中庭を常時監視する。
・バレないように茂みの中に入って身を隠す。
以上
皆さんは圭介を覚えていらっしゃるだろうか?第一章にて自覚なく暗躍していたあの圭介である。美穂とイチャイチャしていたあの圭介である。
俺は、この花火の発案者であり共犯者とも呼べる圭介を道連れにしようと呼びかけた。
『メンタルさん、そんな状況なら早く言ってくださいよ!僕も花火一緒に打ち上げたんですから!何を一人で抱えてるんですか?』
圭介っ………!!
なんて心の清き人間なんや!!
あまりの協力的な態度に涙が溢れた。一瞬でも“道連れにしよう”という思考回路が浮かんだ事を恥じた。俺はまだまだ、浅はかな人間なのだ……。
『圭介、ありがとう!でもええか?この“中庭集中管理システム”は前人未到の耐久レースや!なんの変哲もない中庭を四六時中見とかなあかん。美術部が中庭をモデルに絵を描いたとしてもまだ足りひん。それくらいの時間を中庭で過ごすことになるかもしれへん』
俺の絶え間ない説明に、圭介は息を呑む。
『ほんで横の茂みに身をかがめて潜んどかなあかん。万が一誰かに見つかれば怪しまれると思う。ともすると、教務課へ通報されるかもしれへん。耐えれるか?』
圭介は一度、軽く目を閉じて強く頷いた。
『メンタルさん!やるしかないです!絶対に犯人見つけてやりましょう!』
『よし!』
俺は涙を拭い、圭介と綿密に計画を練ったのであった……。
○
『どう?誰か怪しいやつおった?』
中庭集中管理システムの交代の時間。茂みの中で茫然と腰掛ける圭介を見て、“今日も収穫なしか……”と、悟ったのであった。
誰もいないか周りを確認して、のっそりと茂みから出てくる圭介の服は泥や枝葉でかなり汚れている。
もう何日こんな事を繰り返しているのだろう?ふと、そんな考えが頭を締めつけた。
『悪いな。どうしよう、ここまで頑張ってんのに……』
『弱気にならんとってください!暗い事を考えたとしても、絶対に言葉に出したら駄目です!何気なくとも、言葉って力があるんですから。もっと前向きにやってきましょう!』
『………うん。ありがとう』
後輩に気付かされる事が多い。俺は頭では分かっていても、行動が伴わない。それってつまり、何も変わってないのと同じだ。だからこそ、圭介の考えが心にしみた。
『そうやな、圭介の言う通りや。見つけたるぞー、今日こそは!』
さあ交代しようとしたその時、一人分の足音が響いた。
『か、隠れろ!!』
『痛っ!』
俺は咄嗟に圭介の手を強く引っ張り、二人で茂みの中へと潜った。“むしろ二人で外に出た方が自然だったのでは?”と後から思ったが、この行動は吉と出たのであった。
なぜならそこに現れた一人の男。コイツこそが犯人だったからである……。
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