16.その武器は……



       タクラマカン男。


 コイツ……。

 再び俺の目の前に現れやがった……。


 帰宅途中の電車の中で、俺の事を舐め回すように睨んできた謎の男。コイツは宝塚駅で降車した後も、車内にいる俺を窓越しに見つめ続けていたのだ。(第九話)


 何でタクラマカンがここにおんねん……?


 彼のTシャツ。相変わらずその表面積は、ほぼ全て砂漠の絵によって占領されている。そこに書かれた“タクラマカン砂漠”の英文字が怪しく光っているように見えた。


『後藤です。よろしくお願いします』


『よろしく。君もそこに座って』


 彼が指示されたのは勿論、俺の隣。


『げっ……』と思いながら、近づいてくる彼と目を合わせた。


 きらりと輝く瞳。

 少し緊張する……。


『よろしく』と言って、彼は指先までピシッと伸ばした手を差し出してきた。


『お、おぅ……。よろしく』


 なかなかこの歳になって握手をする事がなかったから、正直どぎまぎした。彼の手は驚く程冷たい。気温が低いというタクラマカン砂漠の冬を体現しているのであろうか?


          ○


『では来週からは、こんな感じで進めていくから、課題はしっかりやってくるように』


 初回のゼミは、今後の研究予定や大まかな流れなど、ざっくりとした説明ばかりで、30分程度で終わった。

 

 よし!早よ帰れる!夕方の情報番組の街ブラロケ見れる!


 とは言っても、気になる事が一点………。

 それだけは確かめておくか。


『ありがとうございました』と、挨拶を終えて荷物を片している時に、タクラマカン男に小さな声で、『ちょっとこの後時間ある?』と聞いてみた。


『いいよ、少しお腹空いたし食堂行こうか』


 話してみれば普通なのになぁ。なぜあの時俺を鋭い目つきで睨んでいたのか。もうそれだけが知りたい。


『失礼しました』


 二人揃って実験室を出ようとしたその時、あの“コーホーコーホー”が止んだ。


『メンタル君は少し残って』


 ……俺に何か用があるのか?ダースベイダーよ……。


『じゃあ僕は先に行っとくよ』

 

 この時ばかりは、廊下に消えゆくタクラマカン砂漠が尊く思えてならなかった。行かないで……。嫌な予感しかしないよ……。


 俺は再び椅子に腰掛けて、何が始まるのか分からぬまま、コーホーコーホーを聞き続けた。


 彼は俺に背を向けて、窓のブラインドを閉めた。わざとらしくピシャッと大きな音を立てて。


 ん…?外から見られたらまずい事でも…?

俺の頭の中をおぞましい想像が巡る。とてつもなく不安で胃が痛い。チクチクする!


『メンタル君…………』


『は、はい…………』


 息を呑む。


 なんだろう。この、首を絞められているかのような苦しさは。

 ああ、もういっその事、一思いにやってくれ!!


 俺が念じるように心の中で叫ぶと、ダースベイダーはその深い呼吸音を生み出している大きな鼻の穴を広げて言った。

 

『…………メンタル君のカバンに付いてるキーホルダー、ええなぁと思って』


『えぇっっ!!?』


 俺は大学の教授に向かって初めて、鼓膜が震える重低音ボイスを披露した。カラオケでも滅多に披露する事ないのに……。


 そんな俺の声には一切関心を示さず、彼はじっとキーホルダーに目を向けている。


『そのキーホルダー、“奇天烈アパート”に出てくる、ミカン婆さんかな?』


『そ、そうですけど……』


 俺は予想もしなかった言葉にかなり狼狽した。


 教授も“奇天烈アパート”知ってるんや……


 俺の大好きなラジオ小説、“奇天烈アパート”は田舎のローカル局で放送されている、知る人ぞ知るコメディドラマだ。


 あまりの人気のなさに、『打ち切りになってしまうのではないか?』とも噂されていたが、そもそも局自体に活気がなく、“後釜も決まらないから”とかなんとかで、細々と続いている。


 そんな中、作者の自主制作グッズの販売が決定した、とラジオの生放送で発表された。打ち切り寸前と言われ続けていたから俺にとってはこの上ない朗報であった。


 はじめは一定数予約があったのだろう。俺のように真っ先に購入した人間もいる。だが、この小説があまりにもニッチな層にしか反響がなかった為に、グッズの展開は厳しい局面を迎える。


 そう、そのグッズはたった一ヶ月もしないうちに販売終了となってしまったのだ。ラジオ局もその日のトップニュースで、『悲報』と告げるほど、衝撃的な撤退の速さだった。


 だが、決してこれらグッズの価値が高騰することはなかった。この一ヶ月という短い期間でさえ、少ないファンにグッズが行き渡るのには充分すぎたのだ。ファンの一人としては何とも悲しい……。


 そんなキーホルダー。

 誰が知ってんねん?というキーホルダー。その中でも一番人気のなさそうな、ミカン婆さん。


 それを完璧に知っていた黒岩教授……。

 一体この人は何者???


『あの、このラジオ小説……、先生もご存知だったんですね……?』


『まあ、色々縁があってね……。僕は後発のネットに上がった方を読んでるよ』


 敏腕刑事のようにブラインドに指をかけて外を眺めるダースベイダー。その目はどこか遠くを見ている。


『僕はそのグッズは買えへんかった。初めて生で見て、少し感動したんよ。ええなぁって………』


 おいおい、もしかして欲しいとか言い出すんちゃうやろなぁ?俺は絶対渡さんぞ。ほんまに絶対渡さへんからな!


 そんな警戒心が伝わったのか、『いや、もちろん“欲しい”だなんて言わへんよ。ただ、少し懐かしいなと思って……』


 確かにミカン婆さんは、序盤に見所の多いキャラクターだが、“懐かしい”って……。まるで遠い日の事を思っているように聞こえるが、まだ初回から一年も経っていないのに、先生どうした??


『まぁ、またゆっくり話そか。せっかくのファン同士やからな』


『はい……。では今日はお疲れ様でした』


 その曖昧な返事を合図に俺は、『いざ、帰らん!』と、キーホルダーが付いたカバンを持った。少し話の切り上げ方が強引だったかな?という邪念を押し潰すほど、早くタクラマカン男のもとに行かなければ、という気持ちが膨れ上がっていたのだ!


 “さぁ、さっさと行くぞー”と、ドアノブに手をかけて、『さようなら』を言うために振り向こうとした時……。


 その刹那、俺はガタッという音を聞いた。


 そして次に、耳をつんざくようなドンッという鈍い音が続いた。


 その二つの音しか聞こえなかった。


 なのに、俺の目の前には摩訶不思議な光景が広がっていたのだ……。


          ○


 俺の頭では、すぐに理解できなかった。


 動けないまま目を丸くして、ただただその光景を見つめていただけである。

 

 そして、その異様さに頭が少し追いついた時、恐怖で体が震え始めた。


 まず俺の鼻の先数センチ、いや数ミリといったところだろうか、そこにあるのは竹刀である。そう、恐らく剣道部か鬼教官しか持たないであろうあの竹刀である。


 こんな物、この実験室にあったっけ??さっき見渡した時には全く目につかんかったけど、どこから出してきたんや??


 そしてその竹刀が俺の目前の空を切り裂き、実験室入口のドアを突いている。そのドアのあたりから、ミシミシと張り詰めた音が聞こえる。先生、まさかドアを強く押してんの?もしかして力一杯込めて、ドアをぶち抜くつもり?本当にそれくらいの圧力を感じる。


 ゆっくりと目線を横にずらすと、歌舞伎の見得のような体勢で竹刀を俺に向ける、ダースベイダーの姿があった。それはもう竹刀というよりは、かの光る武器にしか見えなかった。


 お、俺は……、ルークでもオビワンでもありません!!


 心の声が喉まで出かかった時、彼が残酷なほど冷たいトーンで言い放った。


『さて、冗談はここまでや……。花火の件、聞かせてもらおか?』


 花火………。忘れようと心の隅に隠しておいた不安が再燃する。


『うう、うぅ………』


 俺はもう泡を吹いて失神寸前となったのであった……。

 

 


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