14.後期、波乱の予感




 俺は頭が真っ白になった。


 え!?なんで中野さんが俺の写真を……?


 まさか俺の事、追っかけするくらいめっちゃ好きとか?今までの数々の冷遇は『めっちゃ大好き』の裏返しとか!?なぁ中野さん!そうなんか?どうなんや!?


『あ、これ、私が撮ったやつじゃないですからね。自分から好んでメンタルさんの写真なんか撮りません』


 先程俺の頭にあった、初心で可愛らしい妄想は一瞬にして吹き飛んだ。その軌跡は儚い青春を思わせる。


 もうちょっと気遣ってよ、中野さん……。

 二言目は完全に要らんかったやん……。


『じ、じゃあさ、何でそんな写真持ってんの?』


 すると今度はズボンの右ポケットからパスケースを取り出し、中に入っていたカードを見せてきた。


『えぇと………』


 あかん……。見えへんよ、中野さん。

 さっきの写真といい、カードといい、見せるもんがあったんなら、こんな暗いところじゃなくて事務所で見せてよ!


 ……とはもちろん言えず、もたもたしていると彼女の鋭い目線が胸に突き刺さるので、必死になって目を凝らした。


 そこには一枚の学生証……。


『………あれ??えっっ!?』


 そんな事っ……!?


 もう中野さんとは、かれこれ二年の付き合いになる。プライベートの話は全くと言っていい程してこなかったが、長い時間を共にしてきたバイト仲間だ。それなのに、今更こんな事実を知るなんて……。


『中野さん……。俺と同じ大学やん……。ほんで俺と同じ学科やんか』


『はい。物理学科の三回生です。大学でメンタルさんの事、何回も見てます』


 いやぁぁ。嘘やろ!?そんなん嘘やろ??

 でも思い返せば、伏線と思しき場面は確かにあった。


 例えばシフトのかぶり方。宮田さんや他のバイトメンバーよりも、中野さんと一緒に仕事をする日の方が多かった。それはきっと時間割や授業のパターンが似ているからなのだろう。


 また、シフト要望書に記入している大学のテスト期間も全く同じ日程だった。店長と話していた時、たまたま中野さんの要望書を見てしまい、『あれ?テスト期間、僕と中野さんがダブルブッキングしてますやん!この週は大丈夫ですか?』と、バイトリーダーらしく聞いてみたら『そらそうや………、っあ!えっあのさ、話変わるけど、この前さ……』と、店長が慌てて話を変えたのも怪しい。


 あの時は店長が訪れたという、“鉄道模型とジオラマを扱う専門店”についての話を聞くのに夢中になってしまい、深掘りする事はなかったのだが……。


 くそぉ。店長、さてはずっと隠してたな?上手くやられたやんけ……。


『で、でもさ!俺留年してるんやで!再履修の必修とかさ、実験とかさ……。そうや!研究室配属の説明会も俺おったんやで!』


『私もいましたよ』


『いやいや!気づかへんことある?絶対あり得へんって!』


『私、影薄いですから……』


 暗くてもハッキリ分かる。こんな悲しそうな中野さんは見た事がなかった。


『いや、そんな事ないよ!……ね!ほら…』


 俺は必死に脳内広辞苑のページを手繰る。


『………“オーラ”があるやんか……?ね!』


『……………』


 俺はどうやら最悪なワードを引き抜いてしまったようだ……。

 俺の広辞苑よ。収録単語少ないねん……!


 いや、本当は『すごく素敵やで!』という感じで言おうと思ったのだ!それは励まそうと思っただけではなく、実際に中野さんから“怖さ”を抜くと、誰もが彼女のことを『美人だ』と納得するほど、彼女は綺麗な人だったのだ。


 でもやっぱり恥ずかしい!

 そんなストレートに、面と向かって言われへんよ!


 よりによって俺の発した“オーラ”というワードは、彼女にとって“怖いオーラ”という解釈に繋がってしまったのかもしれない。


 それに彼女に対して、ここまでタメ口で喋ったのは初めてだ。俺も相当驚いて、混乱している。学生証があるのだから、彼女が言っていることは本当なのだ。まずは少し落ち着いて、この事実を認めて整理しなければならない。


『黙ってた事はすみません。でも、そこまで言わなくても別にいいんかなって。特に一緒に何かする訳でもないし……』


 ぐさり……。彼女の一言一言が、俺の心に小さくも深い傷をつける。いや、それで話が前に進むなら、俺は自らを犠牲にしよう。


『俺も再履修の時は目立たんように隅っこの方で視野狭くしとったから。誰とも関わらんようにしてて、気づかへんかったんかも。ごめんね』


 この俺の言葉を最後に沈黙が訪れた。


 虫の鳴き声や森の木を揺らす風の音、遠くで走る電車の音が、俺達の間に生まれた静寂を埋めてくれる。夜はこんなにも音で溢れているのだと、改めて感心する。夜の底でその音をじっくり聞いていると、一層自分達の異様さを認識する事ができた。


 中野さんと向き合って、ただ黙っている。俺は何をしているのだろう?そして彼女は何を考えているのだろう?


『そういえば、さっきの写真は……?』


 あまりの衝撃で、すっかり俺の写真の事など忘れていた。“俺がヤバい”ってどういう意味なんやろ?


『実は……。学内誌を作るサークルがあって私もそこに所属してるんです』


『へぇ……。そういえば図書館とか、食堂の前とかにあるの、持って帰った事あるわ!』


 イラストが可愛らしいその学内誌は、学生の様々な活動や、大学の風景などを紹介するものだったと思う。ただ毎回書かれている、大学に対する風刺的なコラム、特に斜に見た内容と表現は、その学内誌を特徴付けていた。


『そのサークルには学内の情報がいち早く入ってきます。そこで入手した情報なんですが』


 中野さんは淡々と続ける。


『実は今、大学の講義棟で打ち上げられた花火が、かなり問題視されてまして。教務課内だけではなく教授会の方にも話がいってるそうです。職員達が“犯人は誰だ?”って嗅ぎ回ってるみたいで……』


 そんな事になっているとは……。

 完全に夏休みで浮かれとったわ……。

 

『そんな話が入ってきた時、部長がニヤニヤし始めて“俺は運がええ!俺は運がええ!”しか言わなくなったんです』


 うん?なんやその部長?なんの話や?


『来る日も来る日も、ずっとニヤけてました。部長がこうなったら、もう誰も手をつけられません。彼の記事を見ようと近づくと、子供のように背を向けて、内容を教えてはくれませんでした。そして今朝、その今月号が大学内で配布されたんです』


『ということは?』


 クエスチョンマークを出したものの、俺の頭に答えは出ていた。


 俺に救いはないんかな?中野さん……。

 最悪なオチしか見えへんよ中野さん……。


 小さく頷いた中野さん。

 無情にも彼女は、俺の思っていた通りの事を、そのままそっくり語った。


『さっきの写真は、その学内誌のトップの見出しです。サークルの人から送られてきたんですが、もうすでに職員の間では話題になってるそうです。実際に掲載されたのは、目のところにモザイクが入ってるそうですが……』


 目のところにモザイク?

 それもう完全にアウトやん。

 細心の注意を払ったとはいえ、アカンことはアカンって事や……。


『プライバシーの問題で、部長のところに教務課が来まして、配布は停止になったそうなんですけど……。夏休みにも関わらず、かなりの数が出回ってるようでして……』


 俺は想像した。

 見知らぬ学生達から後ろ指をさされる光景を。そして大学という一種独立した世界の中で、嘲笑されるおぞましさを。


 果たして後期はやっていけるだろうか?

 また大阪環状線ルーレットを始めてしまわないだろうか……?


『もしかするとメンタルさんの方にも、そろそろ大学側から連絡があるかもしれません。ごめんなさい、何も力になれなくて』


 中野さん………。


『いや、中野さんが謝るのはおかしいで!俺の自業自得やから!むしろ今まで内緒にしてた事を打ち明けてくれてまで、俺に注意してくれて……』


 もう中野さんに対して、タメ口を使う事に全く違和感を感じていなかった。


『ほんまに、ありがとうね!中野さん……』


『いえ………』


 さて、授業開始まで残り一週間しかないのに、どうしようもない問題が発生してしまった。


 一体俺はどのタイミングで身柄を拘束され尋問を受けるのか?そして中庭にある、何をモデルにしたのか全くもって判別できない、大きな長方形のモニュメントに磔にされても俺は何も言い返す事はできない。


 とりあえずは大学へ行かなければ何も分からないから、授業開始までは焦っても仕方がない。もうこうなったら、どんと構えるしかないのである。


『メンタルさん…………』


 小さな声で中野さんが呼ぶ。俺は彼女の方を向いた。


『………いえ。……では、また』


 そう言って中野さんは、自転車で去っていく。


 その時に彼女が見せた笑顔。その目に少し涙が含まれているように見えたのは気のせいだろうか?




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