12.真相②
放課後の大学。もうあたりは暗くなっている。俺は一人、講義棟に忍び込んでいた。背中には大きな荷物。この日のために松屋町まで行って仕入れてきたのだ。
屋上に着くと、夜空には燦然と輝く星が美しい色を放っていた。大きく息を吸うと、自分の体が透き通っていくほど清くなっていくのが分かる。遠くには街の灯りが、海底に散りばめられた宝石のように、静かな眠りを待っていた。
あぁ、こんなにロマンチックな景色にも関わらず、横にいるのは何で圭介やねん!!
嘆いてばかりの、俺の人生。共に歩んでくれる女性は現れるのだろうか?
東さんの“実行すること”という言葉……。ただ何を実行すればいいのか分からん……。
『そんなに暗い顔しないでください。今日は特別な日なんですから』
『……せやなぁ。今日はぶちかますぞ!』
約束の時間まであと少し。もうすぐ百香さんと川本が来るはずだ……。
○
では、もう勿体ぶる必要はない。
今回の百香さんと川本をめぐる事件の真相を述べていこう。
まず、百香さんと連絡を取っていたのはサークル“はなことば”の部長、上野圭介である。彼は百香さんのゼミの後輩であり、二人は一度ご飯へ行っている。それが、川本が覗いてしまった例のメッセージだった。
“今日も楽しかった!またいつでも呼んで!あと、勿論彼氏にはバレてないやんな?”
圭介の証言によると、この日誘ったのは百香さんだったそうだ。俺は、まずこのメッセージの文体に疑問を抱いた。なぜ後輩が先輩に敬語を使っていないのか?大学の風紀を乱して“アナーキー イン ザ ユニバーシティ”の達成を目論んでいるのだろうか?
『そのメッセージは確かに僕が送りました。実は僕、一年浪人してるんで、百香さんとは歳が同じなんですよ。ただ、先輩である事に変わりはないんで敬語だったんですけど、百香さんが、別にタメ語でいいんじゃないって言ってくれて。お酒が入ってた事もあって、馴れ馴れしくメッセージ送っちゃったんです』
『なるほど……。それでも“彼氏にはバレてないやんな?”っていうのはどういう意味?これは意味深すぎるで!』
すると、横でパソコンに向かっていた美穂が、まるで般若の面のような形相でこちらに振り向き、『おい、ワレ!そのメッセージの件は聞いてへんぞ?』と、先程までの天使のような美声は何処へやら、泣く子も黙る地響きの音波を発生させた。
『美穂ちゃん!違うねんて、前に説明した通り、これは何もないんよ!』
このカップル、ほんまに上手くいくんか?と、傍から見てて心配になってくる。美穂様の逆鱗に触れないように生きていかねばならない圭介の、その覚悟が問われそうだ……。
『その“バレてないやんな?”っていうのは深い意味がありまして……。』
百香さんはその少し前から元気がなかったそうだ。ゼミでも俯き加減だし、明らかに発言回数が減っていたという。
『周りに気を遣う百香さんだからこそ、余計に心配で……。それで“悩みがあるんやったら言ってくださいね”って声をかけたんです。少しでも力になれたら良いなと思って。それから百香さんとメッセージでやりとりするようになったんです。その後、一度ご飯に行ってゆっくり話を聞くことになりました』
百香さんは確かに気丈な人だ。あまり弱い部分を見せたりはしない。そこまで不安が表情に出ていたという事は……。
『その悩みっていうのは、彼氏の浮気疑惑のことかな?』
『そうなんです。彼氏と共通の知人だっていう女性が、怪しい電話をしていたとか。あんまり深い内容は聞いてないんですけど、最近の彼氏の様子がおかしいっていうのを聞きました』
俺が聞いていた内容と遜色ない説明だ。
『僕は、それは考えすぎだと思うって伝えましたよ。何も確定した証拠が無いじゃないですか。だから、無責任で偉そうかもしれないですけど、励まそうと明るい話をしてたら、お酒が進んじゃって……。』
そこで圭介は、離れた美穂の後ろ姿を気にしながら小声になった。
『実は、美穂ちゃんと僕は最近付き合い始めたんですけど、彼女は見ての通り、少し怖い一面があるんですよ。だから僕もちょっと悩みとか不安を吐露しちゃって。今思えば、百香さんの気持ちを考えられてなかったな、と後悔してるんですけど、百香さんは真摯に聞いてくれて、すごく嬉しかったし楽しかったんです』
ちょっとこの圭介、酒の席では面倒臭そうやな。こういうタイプは、まるで自伝本のプロットを語るかのように、熱い涙混じりの演説をやったりすんねん。ほんで次回からはブラックリスト入りや。
『そこで僕らは、お互いのパートナーの事で悩みがあったら語ろうってなったんです。ほんじゃあ最後に百香さんが、彼氏の誕生日が近いっていうから、プレゼント何が良いやろ?って。こんな心境やからあんまり考えられへんわって俯きながら呟いたんです』
お好み焼き屋で見せた百香さんの暗い表情が思い浮かんだ。
『それで僕が、お酒に酔ってたからだと思いますけど、ぶっ飛んだアイデア思いついちゃって。それには準備がいるから、日にち教えてもらって、百香さんと計画する事にしたんです。だからこそ、彼氏には全く気づかれないようにしようってなったんです』
圭介が生き生きとした目を輝かせる。
『普段百香さんは誰かとご飯に行く時、事前に彼氏に伝えるそうなんですけど、その日は言ってなかったそうで。なんか彼氏についての相談やし、気が引けたみたいなんですけど、それが幸いしてこの計画を始める事ができたんですよ!』
その計画って何なん!?めっちゃ気になんねんけど!!
俺が前のめりになって、その計画の内容を問うと、『協力してくれるなら説明します』と謎の強硬姿勢を見せてきたので、とりあえず、全ての真相を追ってから確認しようと決めた。こいつ案外、人を扱うのが上手いんちゃうか?と思った。
『これが僕の知る全てです』
そして、俺も話を先に進めるため、自分の状況を説明し、コソコソと調べまわっていた事を詫びた。
『そうなんですね!僕を尾行してたなんて全然気がつかなかった。ねえ美穂ちゃん?』
美穂もこちらの話に興味を示したようで、圭介の横に腰掛けた。
『でも、それってちょっとストーカーっぽくないですか?』
『美穂さんの言う通りや。ほんまにごめんなさい』
部室を照らす太陽が、謝罪会見のカメラのように眩しかった。この時ほど、日光が寂しさを湛えていた事はない。おぉ、生命の源である太陽までも俺を哀れんでいるではないか!
俺はゆっくりと目を開けて、二人を見た。
『あのさ……。これも覗き見てしまったことなんやけど、談話室で揉めてた件については仲直りしたの?』
俺の問いに、圭介は犬のように顔をブルブル震わせて答えた。
『あれは誤解だったんですよ。まさに百香さんと内緒の計画を練るために、メッセージのやりとりをしてる時で……。美穂ちゃんにはしっかりと説明しました。すごい早歩きで出ていくもんだから、追いかけるの大変だったんですよ』
『そう!その時に、圭介くんがやり取りしている女性が、百香さんだって事を知ったんですよ。モモっていうアカウント名やったから最初は百香さんやと気がつかなくて』
そういや、“モモって誰!?”と詰め寄っていたなぁ。
『でも百香さんなら川本さんがいてるし、誠実な人やから、誕生日プレゼントの計画の事も全部信用できたんですけど……。』
そうだ。百香さんは美穂と面識がある。
あれ?めちゃくちゃ話がややこしいぞ?誰が誰の事を知ってるんや?
『僕もその時に、百香さんの彼氏が、美穂ちゃんのバイト先の先輩だって事を知ったんです。偶然すぎてビックリしましたよ』
圭介が言う。
『ちょっと待って。話が分からんくなってきた。ええと、美穂さんが?えーと…………。あれ?俺は何を言おうとしてたんやっけ?』
落ち着かんかいな、俺よ!!
ゆっくり頭ん中整理して!!
『ええと……。あ!そうや!美穂さんが駅のホームで電話してた相手って?』
『駅のホーム?』
『百香さんがたまたま見たらしいんやけど、先輩に“家来て欲しい”とかなんとか……。』
『ああ!それはまさにこの圭介くんです!まだその頃は付き合ってなくて。その泊まってくれた日こそが付き合い始めた記念日なんです!』
なるほど……。
そうやったんか、そういう事やったんか!
『あれ?ほんじゃあ、百香さんが言ってた電話の女の子って美穂ちゃん?』
圭介が、ワンテンポ遅れて少し混乱している。
『圭介よ!そうやねん!めっちゃ複雑に絡み合ってたんや、君達二つのカップルは!』
全く不明瞭だった穴ぼこのパズルが、一つの景色をじんわりと浮かび上がらせてきた。
『という事はや!百香さんは君達二人のことを個別では知ってるけど、付き合ってるって事は知らんねんな』
俺は得意げな表情で続ける。
『ほんで川本は圭介君の事を直接は知らんくて、美穂さん経由で“上野”という名字だけは知ってた。それは美穂さんが恋愛の相談を川本にした時に知ったとかかな?』
『まさにその通りです!』
『チェックメイト!!』
俺はそっと目を閉じてそう叫んだ。まるでこの事件の終わりを告げるような低い声で。
今思えば、ちょっと恥ずかしい瞬間ではあった……。
○
この真相。起こった事が奇跡だと思えるくらいに綿密に二つのカップルが混じり合い、本来は何でもない状態なのにも関わらず、あたかも浮気してしまっているかのように見えてしまっていたのだ。俺もこんがらがってきたので、少しまとめてみよう。
・川本…百香が圭介と浮気してると勘違い。美穂とはバイト先が同じで仲が良いが、圭介とは面識がない。ただ、美穂からの相談で“上野”という名前だけは知っていた。(10話を参照)
・百香…川本が美穂と浮気してると勘違い。ゼミの後輩である圭介に、川本の件で相談していた。美穂とは知り合いだったが、圭介と同じサークルである事、付き合っている事を知らなかった為、駅で電話していた美穂が放った“先輩”というワードを川本の事だと思ってしまった。
美穂は百香さんと川本の事を知っている。
圭介は川本の事を知らない。また、百香さんが語った駅の女性についても、美穂だとは分からなかった。
この四人で、知ってる人と知らない人が存在した事が余計にズレを生んでしまった感がある……。ああ!!もうややこしい!!
少しでもタイミングがずれれば成り立たなかったであろう。また、百香さんも川本も、お互いに言葉にしていればすぐに解決した問題だ。言わないから、お互い分からない。分からないから、不安になっていく。
全く、“心”というものが如何に不安定なものであるか、そして言葉にする事、行動する事が如何に大切であるか、少しだけ分かったような気がした。
一方の川本はと言えば、百香さんとしっかり話し合いをしたそうだ。ずっと溜め込んでいた不安を打ち明けたのだろう。(あれ?俺って全くいらんかったんちゃうん?って声が聞こえてきそうだが、気にしないでおこう)
そこで、認識の食い違いがあった事が判明し、お互い疑っていた事を誤り、仲直りしたそうな……。
俺の調査は、その食い違いによって生まれた穴をより詳細に埋めていく事に役立ったと思う!そう信じたい!彼らの食い違いがどのように発生したかを、パワーポイントで作成したレジュメを使い、二人と共に話し合いもしたのだ。
ただ、川本には一つだけ、内緒にしている事があった。そしてそれが今回の集大成である……。
○
約束の時間……。
百香さんは既に到着している。
俺は講義棟の屋上から、下の広場にいる百香さんに大きく手を振り合図をした。圭介が上手く設置してくれたおかげで、こちらは準備万端だ。
『百香!お待たせー』
『ごめんね、夜の学校に来てもらって』
ベンチに腰掛ける二人。俺は離れた所から彼らを見下ろし、百香さんの合図を待った。
『どうしたん?こんな夜の学校で』
『ここじゃないと、あかんねん。今日は、たつや、お誕生日おめでとう!』
『ありがとう!……でも、ここじゃないと駄目ってのは?』
すると、百香さんが空を指さした。
『合図来ましたーー!!』圭介が俺を見る。
俺はライターで、紐に火をつけた。
『でっかい花咲かせてこーーーいぃ!』
○
それは、たった一発の花火だった。だが空高くに、とてつもなく大きな花を咲かせ、一瞬ではあっても、綺麗な色彩を夜の闇の中に浮かべた。
二人はどんな言葉を交わしたのだろう。手を結び体を寄せ合っては、泣いていたのかもしれない。キスもしていたのかもしれない。
俺は屋上で感極まり、圭介と男二人、涙を流し抱き合っていた。
夜も少し暑くなって、淡い季節が始まろうとしていたのである。
○
『コーホー、コーホー、コーホー』
その頃、花火に一瞬照らされた、薄暗い研究室の中で、ダースベイダーのような呼吸音が鈍く響いていた。
『誰が花火なんかやってるんや……』
その男はゆっくりと呟いた。怒りを含んだ低い声で……。
○
俺は、さらなる大学地獄の深みへと足を踏み入れていくのであった……。
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