11.真相①




 『真相』という言葉が与えるイメージは、壮大なものであったり、あるいは物語を決定づけるような劇的なものであったりすると思う。


 しかし実際に俺が辿り着いた真相は、良い意味で肩透かしを食らったような、しょーもないものであった。この事件の幕切れは、非常に呆気ない。


 ただ、事実は小説よりも奇なりというだけあって、非常にややこしい事態になっていたのは確かである。(あ!これも小説やのに!メタ発言と重なって、分かりにくい表現になってしもた!)


 やはり全ての問題の元凶は、タイミングと人の想像力という事に尽きると思う。特に悪い方へイメージする力というのは、どうしてここまで飛躍してしまうのだろうか……。


          ○


 俺は川本と大阪駅で話した翌日、図書館でケイスケを見張っていた。彼はこれまでの夏目漱石全集を読み終えたらしく、今度は志賀直哉全集を漁っている。


 俺は現代詩のコーナーから、彼の様子を鋭く伺っていたのだが、突然襲ってきたのは猛烈な腹痛!それと共に抑えきれないほどの便意を催した。昼食のカレー、あまりの空腹から調子に乗って、特盛にしたのがあかんかったか!


 やばい!めっちゃやばい!我慢できへん!カクカクとしたスローモーションのようなタップダンスで、キツくお尻を締めながらトイレに直行する俺。ううぅ持ち堪えろ俺!


 そしてケイスケ!待ってろよそこで!



『…………ふぅー間に合った。スッキリ、スッキリ』


 絶望的状況からの帰還。地獄から這い上がってきたかのように、何でもない日常が幸せだと感じた。お腹が痛いと、いつもこの境地に達する事ができるから不思議である。


『あれ?ケイスケおらんやん……』


 しまった!完全にケイスケを見失ってしまったぞ。10分もトイレにこもってたからや。

 

 ただ、代わりにそこにいたのはケイスケの彼女らしき人物。ミホであった。


 彼女はこの前、談話室で少しヒステリックな一面を見せている。俺よりも優れた早歩きまで披露して……。


 じっと本棚を見つめるミホ。その瞳が澱みのない輝きを放っている。本当に文学が好きなのだなぁ。


『ん?文学?なんか引っかかる……』


 頭の片隅で、“文学”というワードに反応する自分がいる。文学、文学、ぶんがく……。


『ミホ!そろそろ行こっか』


『うん。そうだね』


 あぁ、行ってしもた……。


 しかしこの日の俺は、少し違った。『一歩踏み出す勇気が芽生えた』と言えばカッコいいのかもしれない。しかし実際は、トイレでスッキリして、ピンチ回避ハイになっていただけである。もうあのギリギリの苦しさを突破したのだから、何でもできる気がした。


 ミホとケイスケに直撃すべく、二人についていく。絶対、今日は何かを掴んで帰る!と意気込んで。(前もこんな事言ってたなぁ)


 二人は大学の端も端、ゾンビと化した不良学生が巣食っていそうな、古びたサークル棟へと入っていった。


『うっわ……』


 嫌な思い出を浮かべ、俺は立ち止まった。


 このサークル棟、入学して間もない俺が一度だけ訪れた事がある。将棋サークルの見学のためだった。何も分からず案内されるがままに進んでいくとタバコのにおいが充満した薄暗い部屋とスマブラに熱中する髭面の男達。


『将棋は?』と尋ねると、


『そんなん名ばかりやで。昔はやってたんやろけど、今は好きなことやるだけ。主にスマブラ!でもこの部屋借りるためには将棋を名乗っとかないとね』


 タバコと暗がりで光るゲーム画面、そしてサボテンに負けじと鋭く伸びる髭……。

 怖すぎる。俺はこのサークル棟には一切近づかんとこう、と悟ったのであった。


 そしてその後、将棋サークルは大学本部のサークル連合会によって摘発されたらしい。登録しているサークル棟の使用目的に相違があり、なおかつ学外の人たちが常習的に寝泊まりしていたというのだ。


『俺たちは本気でスマブラやってんねん!サークルとしてやったらあかんのか?』


『サークル棟は使用を希望している学生団体が非常に多いです。今回登録内容に違反が認められたので、将棋サークルの解散と備品の撤去をお願いします。スマブラをやるためのサークルを運営する事自体は問題ないでしょうが、サークル棟については空き待ちをしている団体に与えます』


『くそっっ!本館から一番遠いし、汚いし!こんなサークル棟なんか、こっちから願い下げじゃ!ボケー!』


 このやりとりは、どこから漏れたのか知らないが学内にみるみる広まり、サボテン顎の将棋サークル部長は危険な反乱分子として恐れられたものだ……。


 そんな荒ぶる学生の巣窟。まさかミホとケイスケも、大学の目が行き届かない暗がりでいそいそと何か企んでいるのだろうか?


 それは許すまじ!俺にはなんの権限も無いが許すまじ!これ以上不良学生の増殖を見過ごすわけにはいかない!


 何の使命感か知らないが、大学にとってのメシアのような心持ちで、サークル棟へと足を踏み入れると、彼らが入っていった部屋の入り口に、大きな筆文字で『文学サークル 』と書かれた木製の看板が掛けてあった。


 文学サークルって、たしか……。


『こんにちは!君が先週連絡くれたサークル加入希望者かな?』


 部屋の中から、ケイスケが眼鏡をキラッと輝かせて聞いてきた。


『いや、違うんですけど……。ちょっと気になって……』


『ぜひぜひ!せっかくやからうちのサークルがどんな活動しているか見ていって!』


 中に入ると、部屋の壁は全て本棚になっており、ギッシリと隙間なく本が並んでいた。


『うわぁ、凄い……』


 感動した。図書館とはまた違う興奮。小さな部屋を埋め尽くす紙の匂いに、頭と心を震わせる。本に囲まれる学生生活は素晴らしいものだと思う。


『ここにある本は、歴代の先輩達が残していってくれたやつとか、集めた会費で購入したやつやねん。サークルのみんなは自由に持っていって大丈夫やで』


 そう言うとケイスケはスケジュール帳を取り出して、楽しそうな表情を見せた。


『来月には学外でイベントをやる予定がいっぱいあんねん!地域の図書館とか本屋で、好きな作家について紹介するっていう企画!準備も着々と進んでるし、もう待ちきれへんって感じ!』


 こいつ……。めっちゃ好青年やな。

 部屋の奥ではミホが、パソコンを使ってホームページの管理をしているようだ。その画面にはいかにも自作なのであろう頭でっかちな気持ち悪いキャラクターが、ぴょこぴょこ飛び跳ねている。


 楽しそう。このサークルちょっと入りたいかも……。


『もし君もサークルに入ってくれるなら、どんどんその企画にも参加してほしいなぁ。これ、一応サークルの加入書。名前と日付書いて貰えれば、即加入できるから!』


 そう言って手渡された一枚の紙。決まり事が一つ一つ丁寧に書かれている。俺はもうすでに心がウキウキで、四回生にして新たな扉を開いてやろうと、ペンを取った……。


 その時、思いがけない文字が目に入った。


『上野圭介……?』


『それ僕の名前やで。一応今年からこのサークルの部長やってる!』


 ん??上野??


『で、あちらが小谷美穂。二回生なんやけど副部長やってもらってる。メンバー少ないからなぁ』


『よろしくお願いします』


 振り返りながら美穂が笑って言った。


 こ、小谷??

 おいおい、まさかこれって……。


『君はビラを見て来てくれたんかな?新歓には来てなかったよね?』


『新歓に来てた子達は経済学部と文学部って言ってたけど、君はどこなん?』


 美穂が柔らかい表情で聞いてきた。


『理学部の物理学科……。』


『え!私、学習塾でバイトしてるんやけど、そこの先輩が物理学科やわ!』


 バイトの先輩……?物理学科……?


 美穂が思いがけず、勝手にヒートアップする。早送りで見ているかのようなジェスチャーと口の動きで、まくし立てるように続けた。


『うわぁ。その人すごく頭良いから、色々聞いたらいいと思う!レポートとか実験とか大変って言ってたからさ。先輩が知り合いだととても助かるからね。あっ、でもこれは無理な勧誘とかじゃないからね』


 頭の中が目まぐるしく回る。上野と小谷。文学サークル。バイト先の先輩……。


 そんな事ってあるんか……?


 俺は恐る恐る聞いた。


『もしかしてその先輩の名前……川本?』


『そう!!川本たつやさん!もしかして知り合いやったん!?』


 俺は脳天をぶち抜かれたような衝撃と共にとうとう真相に辿り着いた喜びで、下品な笑みを浮かべてしまった。


『俺は川本の同級生でございます……』


 この発言の後、部屋中が凍りついたのは容易に想像できるだろう。二人はよそよそしく敬語を使いはじめ、笑顔もぎこちない。一回生だと思ってた人が四回生で、バイト先の先輩の同級生で、その人がサークルに加入しようとしている。彼らの頭にはいくつものクエスチョンマークが浮かんでいたであろう。俺の先の発言はこの部屋の時空を歪めるほど強力なものであったのかもしれない。


 ただ、俺はようやくこの事件の全貌を見る事ができた。この後じっくり、美穂と圭介に話を聞いて、頭の中でしっかりと纏まってきた真相……。


 それは驚くほど複雑に、そして上手に絡み合ったものだった……。



 


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