10.実行すること




 首元に汗が流れる。もう夏がそこまで来ているかのような、蒸し蒸しとしたグラウンドをゆっくりと走る。遠くに見える雲が黒く、俺の重たい心と似ているような気がした。


『ふぅ〜。疲れたな』もう走るのはやめた。ちょっとゆっくり歩こう。


 少し息を整えると周りの景色や音が優しく触れるように感じられる。ぼうっとしながら何も考えないというのは『罪だ』と思えてくる程に、頭の中を真っ白にしてしまう。


 山中先生が一回生達と談笑しながら俺を追い抜いていった。


『メンタル君!もう疲れたん?』


『はい〜』色々と、、、。


 そしてそれを境に自分の中で溜まっていた感情が、だんだんと思考の渦となっていく。


『結局俺は、探偵になれないのだ』

『結局俺は、何も役に立てていないのだ』

『結局俺は、、、』


 ケイスケの事は、ずっと追っている。だが川本と学食で話してから何日経ったのか?掴んだ情報といえば、小さなものばかり。昼食後に必ずいちごサンドを食べている事、人と話す時によくお尻を掻いている事、一眼レフを持って学内を撮ってまわっている事。

 それらには、百香さんに繋がる手がかりなど一切登場しない。


 数学科の授業に紛れ込み、そこにケイスケの姿を見つけた時は、自分の秘めたる捜査能力に歓喜したものだ。俺がたまたま図書館で発見したケイスケと、百香さんがスマホでやりとりしているケイスケが一致した瞬間。全てが、自ずと明らかになっていくであろうと思っていた。


 なのに俺は、、、。


 ケイスケのファンちゃうか!?っていうくらいに彼自身の事ばかり詳しくなっていく。俺はもうすでにケイスケの行動パターンを熟知しているため、彼が行く場所を先取りする事もできるようになった。調査のつもりが、いつの間にかストーカーのような存在になっているのだ。


 しかし肝心の問題は何も進展がない。


 百香さんと川本はといえば、、、

 あれからあまり話していないようだ。これは俺のせいではないか?俺が介入したから長引いてしまっているだけで、本来は二人が話し合えばすぐに解決する問題なのでは?


 事の真相は未だ闇の中だが、二人ともお互いを愛しているのではないだろうか?全部悪いようにズレてしまっているだけで。。。

 

 俺は自分自身に何度も問うた。


『全部言ってしまおうか?』


『いや、待て待て。せめてケイスケと百香さんの関係を調べないと。あとは、川本のバイト先の後輩も確認しなければ、、、。ええと、名前は確か小谷さんだったっけ?』


 百香さんに聞いた、川本に近寄る怪しい女子の名前。どうやら小谷さんもこの大学に通っているらしい。まったく、この大学は恋の修羅場と化しているのに、俺にその気配がないのはなんでや?誰か、教えてくれ!


『諸行無常、諸行無常』


 後ろから東さんが肩をポンポンと叩いてきた。何か言ってる。諸行無常?


『何がです?』


『人生は儚いものやねん。やからこそ、今というのが大切なんやなと、急に思った』


『突然ですね。何かあったんですか?』


『いいや、人生について考えてただけ』


 そして東さんは俺の目を見て、笑顔で続けた。


『でも自分の人生に納得したいなら、いつ何時でも“実行”こそが大切やな。口だけ心だけではあかん。実行すること!これが何よりも一番大事や!俯いてばっかりやと俺みたいになってしまうぞ』


 俺の目に迷いが映っていたのだろうか?

 

 東さんはまた走っていく。俺は遠くの山を見ながら『実行すること』という言葉を、頭の中で何度も繰り返して歩き続けた。


          ○


 大阪駅の時空の広場で川本を待っていると青いぴちょんくんが、大きな瞳を俺に向けていた。いや、もちろんいつも同じ向きなのだが、その時は特に俺を見ているような気がしたのだ。


 下の方で電車が到着したり、出発したりを繰り返すたび、多くの人が入れ替わるのを見て、俺は一人取り残されているかのような寂しさを感じる。


 はぁ。ため息一つ。また少し魂が抜けてしまったように思う。


 東さんの言葉が、なかなか頭から離れなかった。俺は、何か決定的なアクションを起こさなければならないのでは?それは川本を信じて全てを打ち明け、川本の浮気疑惑の真相を確かめる事。百香さんから聞いた通りに話してみようか。。。


『メンタル!ごめん遅くなって!』


『あぁ。こっちこそ、いきなり呼んでごめんな!』


 ベンチに腰掛けると、心地よい音楽が流れている事に気がついた。もう19時をまわって空は薄暗く、そのメロディが夜の空に溶けていくのはとても美しい。一体どこから聞こえてくるのだろう?


『かすかに聞こえるこの音楽って、、、』


『あぁ、ごめん!俺のプレーヤー鳴ってるわ!全然今まで気が付かんかった!』


 川本かーい!

 授業中にやったら、めっちゃ恥ずかしいやつやん。自分だけ気が付かんと、周りがソワソワし出すやつ!ほんでようやく焦ったようにプレーヤー消すけど、周りの目が怖くて顔真っ赤になるやつ!


 俺は夜に溶けかけていた哀れな音達を、一息で集めるように大きく深呼吸をした。


 よし、言おう。


『あのさ、、、』


 俺は下手な言葉を連ねて全て伝えた。百香さんの約束を破ってしまったのは事実である。ただ、百香さんが川本の気持ちを知りたいという思いを最優先として強調した。


『やから川本、一体小谷さんという女の子は何者なんや?』


 川本は、途中で何度か言葉を挟もうとしたが、最後までしっかり聞いてくれた。そして彼の目はまっすぐ俺を見つめていた。


『百香、、、そんな事考えてたなんて』


『百香さんは本当に不安そうな表情やったで』


『そうか、、、』


 そして川本は少し考えるような素振りをして言った。


『まず最初に、俺は小谷さんと何の関係もない』きっぱりと言い切った。


『バイト終わりにご飯行く事は確かにあったけど、ちゃんと百香にも伝えてる。もし不安にさせてしまってたなら申し訳ないけど』


『じゃあ、あの電話は?』


『それは、まったく知らん。その電話相手はホンマに俺じゃないよ。俺と思われてもおかしくないようなシチュエーションやけど、これは信じて欲しい』


 川本の表情は真剣だ。そして少し目線を上にしながら、『恐らく付き合いたいって言ってた男の人やと思うけどな』と、呟いた。


『その人知ってるの?』


『うん。何やったかな?えぇと、、、。そうや、文学系サークルの友達って言ってたかな?名前は上野君やった気がする』


『そうか。でもよかったわ。川本が百香さん悲しませる訳ないよな!』


 本当に嬉しかった。川本に確認したのが申し訳なくなる。やっぱり浮気なんてしてないんだよ、川本は!


『じゃあやっぱり川本。百香さんも浮気なんかしてないよ。あの表情は本気で川本の事を愛してる証拠や。二人の思い違いやったって事やろ』


 川本はゆっくりと頷いた。ただ気になる事が一つあったようで、、、


『やっぱり、あのケイスケからのメッセージが何やったんかは気になってまう。俺もどんだけネチネチしてんねん!って情けなくなるけど、やっぱ気になる。俺、ちゃんと自分で聞くわ。ずっと隠れたまま、メンタルに探ってもらってて、今までめっちゃ卑怯者やった。ありがとう、メンタル!勇気出たわ』


 俺はそんな川本の言葉に助けられた。そして、俺も自分で言い出したからには、やれる事はやりたいと思った。


『俺も引き続きケイスケの事は調べるよ』


 そして、俺はこの事件のとてつもなくしょーもない真相を知る事になるのであった。

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