7.談話室の戦い



『あ、、、あ、、、マイクテスト、マイクテスト』


 俺はリュックのポケットに入っていたボイスレコーダーを取り出して、ミホとケイスケの行動を音声で記録する事にした。


 このボイスレコーダー。ビートルズの名曲Yesterdayが、ポールマッカートニーの夢の中に舞い降りてきたように、万が一俺の頭の中で、“凄まじい名曲”が生まれてきたらすぐに録音しなければ!と思って購入したのだった。


 実際に録音されているものといえば、、、


 大好きなラジオ小説『奇天烈アパート』のハイライトばかり。俺の傑作がこのボイスレコーダーに録音される事はなかった、、、。ちなみに、いつも良いところで話が終わるこの小説はとても面白いのだが、登場人物が多いため、音声のみのラジオ小説ではかなり苦戦を強いられる。頭がついていかない。だからこそ録音して復習しなければならない。


 まぁそんな事はさておき、ボイスレコーダーの録音ボタンを押すと『奇天烈アパート』の占めるフォルダ容量が大きすぎるため、録音できません、というエラーメッセージが表示された。


 くそぉ、、、!この肝心な時に!


 俺は泣く泣く、第八話『隣人美人は微塵も愛想なし、、、』を削除した。。。

 これだけの犠牲を払ったのだ。意地でも何か掴んで帰るぞ!


 ゆっくりと談話室へ向かうミホとケイスケは学内にも関わらず、ベタベタとくっつきながら手をギュッと握っている。そして、『ちゃんと前を向いて歩きなさい!』と言いたくなるくらいに、お互いの顔をじっと見つめながら器用に歩いていく。


 いや、もちろん全て悪い事だとは言わない。愛し合っているものどうし、いつでも楽しい時間を共有したいだろうし、周りが見えなくなるほど夢中になってしまうのも分かる(いや、俺に関しては想像でしかないが、、)。


 でも、お互いの知り合いが多い大学の中でそんな事をしてたら色々言われちゃうよ、とお節介かもしれないが、心配になるのだ。俺だったらそんな事は到底できない。留年学生がゾンビのようにのたうち回るこの荒んだ大学も、彼らの目には蝶も鳥も優雅に舞っているお花畑に見えているのだろう。

『俺もそんな景色を見てみたい、、、。』と、感極まってただ一人、ゾンビの大粒の涙を流すのであった。


          ○


『16時20分。ミホとケイスケがB-1棟の談話室に入る。こちらメンタルも入室し少し離れたテーブルにて調査を続行。』


 談話室というのは各棟に一つずつ設けられている学生のためのフリースペースだ。図書館の会議スペースとは違い、申し込み等は必要なく、いつでも自由に使える。授業やゼミの話し合いをしている者、サークル活動の話し合いをしている者、最新ゲームで切磋琢磨しあう者、様々な人達が利用するため、結構やかましい。


『ああぁぁぁ!!くっそぉぉ!なんでやねんめちゃくちゃやんけ!どうしたらええねん』


 男三人組がけたたましい雄叫びをあげた。うるさいなぁ、もう!何のゲームやってんねん!と、そちらの方に耳を傾けると、、、


『この金属表面、綺麗に成長してへんのは何でなんや。理論は完璧やのにっ!』


『また最初っから成長させていくのしんどいわ、、、。基板から考え直した方がええんかな?』


『それよりも成長速度と温度をもう一回見直した方がええかもな。』


 不良学生の俺には、全くもって理解することのできない研究の話。。。

 熱心に議論すんのはええことやけど、もうちょっとクールダウンしてくれ。俺のターゲットが霞んでまうやろ!なんやねん成長って!聞くだけで頭痛なるわ!


『くっひっひっひぃ〜!』


 今度は別のテーブルから、奇妙極まりないとても下品で変態的な笑い声が聞こえてきた。そちらに目を向けると、一台のパソコンに向かう男女四人が何やら動画を見ているようだ。

 

『うひゃひゃひゃひゃぁ』


 あまりにもおかしな笑い声だから、その動画の内容が気になって仕方がない。四人がこぞって見ているから、全然こちらからは見えないのだ。

 

『うっしっしっしぃぃ〜〜』


 一つ分かったこと。この笑い声の主はどうやら、四人の中で一番背の高いひょろっとした男子のようだ。海藻のようにニュルニュルと身体をしならせて笑うのが、余計に目につく。


『うひっ!いしししぃぃー』


『あんたさっきからその声気持ち悪いよ!』


 突然、ものすごい剣幕で隣の女子が鋭く突っ込んだ。睨みつけるような彼女の目に、俺は『ありがとう!この談話室全員の思いを遂げてくれて!』と、尊敬の眼差しを向けた。


 ガタッ。椅子を引く音。俺はハッとして振り向いた。


『じゃあ、ちょっとトイレ行ってくる。』


 あ!ケイスケが移動する!


 何をやってんだ俺は。本来の目的であるミホとケイスケから意識が完全に飛んでいた。


 ミホとケイスケのテーブルの手前にある、この二大巨頭。一方は研究の渦から逃れられない絶叫研究員。もう一方は謎の動画を見ながら変態的な笑い声をあげる海藻男。凄まじいほどのオーラにより、まるでミホとケイスケを守るかのように意識の行く手を阻む。


『ただ今ケイスケが席を立って、ミホが一人テーブルに、、、。あれ?ミホがケイスケのものらしきスマホを手に取っているぞ?』


 対となった金剛力士像ばりのオーラを掻い潜りミホの方へ目をやると、さっきまでケイスケが操作していたと思われるスマホをミホが手にしている。そしてその画面をじっと見つめている、、、。


 なんかこの感じ、、、。どっかで、、、。


『臭っ!なんかめっちゃ臭ない??』


 思い当たる節を探していた俺であったが、絶叫研究員が発したこの一言で談話室が一気にピリつき、デジャヴのような感覚はなくなってしまった。


 おいおい、どうしてくれんねんこの空気!たしかに臭いよ!俺もちょっと前から思ってた!なんか何かが腐ったような臭いするなぁって。


 でもこの密閉空間で、こんだけしか人おらんところで、それを口にしたら絶対あかん!誰もが被害者でありながら容疑者となって、そして犯人やと思われたくないあまり、『なんか臭いよねぇ』の連鎖が始まんねん!


 一度ピリついたらもう終わりやで。もうみんなこの臭いからは逃れられへん。

 ほら見ろ!海藻男のグループでも、『なんか臭い、なんか臭い』が始まったやんかぁ!


『臭い臭い騒動が勃発。肝心のターゲットの捜査は困難な状況に。臭いの解消による事態の収束を待つ。』


 一人でボイスレコーダーに呟いたことにより、皆の視線が俺に集まった。。。


『終わった、、、』


 俺はこの時、冤罪にも関わらず、警察に追われて袋小路に入った者の気持ちが分かった気がした。俺は力なくボイスレコーダーを床に落とし、天を仰ぐ気持ちで目を瞑った。


『お待たせー!あれ?すごく静か。浮いちゃった?』


 能天気なケイスケよ。お前を追っていたつもりが、一番の的になってしまったよ。これは罰なのであろうか?


 そんな敗者の言葉が頭を支配していた中、突然談話室に耳をつんざくような声が響いた。


『ちょっとこれ!!どういう事?』


 ミホがケイスケのスマホを手に、必死の形相で詰め寄る。


『あ、、、。こ、これは何でもないよ!』


『じゃあ何よ!モモちゃんって誰よ!!今週の土曜日、一緒に何すんのよ!!』


『いや、誤解だってば!ちょっと待ってよ!』


 俺の斜め45°早歩きよりも素早く歩き去って行くミホ。そしてそれを追うケイスケは、まるでセグウェイに乗っているかのように滑らかに走っていった。


 あれ?モモちゃんって、、、百香さん??


 これは何かの啓示だろうか?きっと百香さんで間違いない!そうとしか思えないのだ!


 やはり先程の既視感は、百香さんのスマホを見た時の川本だったのだ。川本の時と全く一緒じゃないか。


 ようやく疑わしいケイスケの化けの皮が剥がされた!俺は臭いの犯人とされている事を忘れて、一人不気味に微笑んでしまっていたであろう。だが、そんなものは関係ない。もうすぐ百香さんとの待ち合わせ時間だ!

 駆け引きをするのには充分なくらいにカードが揃っている。とっておきの一番は『今週の土曜日、ケイスケと約束している』という事だ。


 俺はこんなに裏の目的を抱えて、どういう顔で会えばいいのだろう?迷いながらも食堂へと向かう。


『あっ!メンタル君、こんにちは。』


 百香さんが俺を見つけて、手を振る。


『こ、こんにちは!急にごめんね。』


 俺は、ロボットも二度見するような、ガッチガチの歪んだ笑顔で応えた。


 果たしてこのミッション、隠し事が下手くそな俺に成し遂げられるのだろうか、、、?

 


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