6.図書館にて


 “クレバーパイプの発明により、自然薯栽培の道は大きくひらけた”


 黒板に赤いチョークでデカデカと書かれた文章。それを黙々とノートに写す。


これは、『自然薯栽培の革命』という授業。


 自然薯栽培の歴史を辿り、それに関わる様々なドラマを、レジュメとビデオを使って学習していく。スクリーンに映されたビデオは、主演も助演もナレーションも、全て同じ先生一人による完全な自作自演劇場となっている。良いか悪いか分からないが、映像自体は上手く合成されていて、違和感がないのが興味深い。何度も映し出される『同じ姿で同じ声の先生、計三人が喋り合うシーン』は名物であり、どの先生が喋っているのか分からなくなるのが鉄板だ。


『先生、、、!僕はこんな映像見てたらノイローゼになります、、、。』と、途中で息絶える学生が多い中、俺は歯を食いしばって、この乱れに乱れた映像世界をなんとか生き延びていた。


 それもそのはず、後ろから迫る“六回生”という文字が俺の尻に火をつけているからだ。なんとか五回生で、この大学生活を終わらせたい!


 、、、ところで、俺は四回生だというのに何故こんな授業を受けているのか?


 自然薯というかなり限定的な内容ではあるが、これは農学や生物などの専門授業ではない。そう、これはざっくりとした概論のみで詳しい理論は教えてくれない“一般教養”の授業なのである。


 まぁ一年留年している身とはいえ、同級生達が研究室で答えのない実験の世界に挑んでいるというのに、俺はこんな教室の片隅で訳のわからんカオスビデオを見ている場合だろうか?


 そんな事を考えながら、授業を終えて学食に向かっていると、渡り廊下を颯爽とかけていく若い学生達を見た。彼らは大勢で食事するのを好む習性がある。その実現のためにはただでさえ混んでいる食堂で、一まとまりの席を確保する必要があり、空いてる席を見つけてはカバンやら筆箱やらを置いて『ここ私の席です!』と無言のアピールをする。


 そして彼らの一番恐ろしいところ。それは空いている席がない時、まるでスターウォーズのバトルドロイドのように目を光らせて、食堂内をぐるぐる回り始める事だ。俺のような一人、もしくは少数で細々と食べている学生からすれば、後ろから監視されているようで肩身が狭い。。


『おっ!メンタル君。一緒に食べようや。』


 食堂の会計を済ませて席を探そうとしていると、横から東さんが声をかけてきた。


『あそこ席空いてるわ。行こ行こ。』という東さんについて行き、なんとか着席できた。


 この大学の代表ともいえる、八回生の東さんでさえも、食堂でバトルドロイド化してしまった学生には怯えているという。


『この小さい食堂でさ、十何人一緒に食べようってのがそもそもの間違いやで。あの一回生にありがちな集団意識は何やろね?どうしても食べたいんやったら、昼休みじゃなくて時間ずらさなあかんわ。』


 相当参っているようだった。そんな東さんは元気よくカレーを食べる。いつもカレーだな。いや、俺もいつもカレーなんだが。。。


『、、、東さん。“留年している学生はカレーを食べる”という命題は真でしょうか?』


 ひっそりと呟いた俺を、東さんはじっと見つめる。そして二人の間に置かれた二つのカレーは答えを待つように、しんとしていた。


『充分なサンプルがないから、断定はできひんな。でも俺が今まで見てきた留年学生も不思議な事にカレーを食べてた。俺は真やと思うけど、、、』


 東さんは滔々と述べる。


『その逆は間違いなく偽や。“カレーを食べる学生は留年している”。これはおかしい。カレー食べてるやつなんかいっぱいおるからな。じゃあ対偶は?“カレーを食べない学生は留年しない”。これも真と言い切れるか?つまりは“留年している”ということが“カレーを食べる”という事の十分条件なのか?ということを考えないと。俺らの主観では限界があるぞ。せやから、、、』



 俺は東さんの変なスイッチを押してしまったようだ。。。

 そんな東さんにつられて俺もおかしくなっていた。カレーを食べ終わった後も、図書館の会議スペースを使って、しばらく話し合っていたくらいに。


 どれだけ話し合ったとて、友人の少ないもの同士では、あまりにもサンプル数が少なく真偽を確かめる事など困難極まりない。


 これは、カレーと学生の関連性を数学的視点にまで落とし込んだ『カレー論争』として、東さんと俺を今後悩ませ続けることになった、重要な事件である。。。


          ○


 ふと我に返った俺は、今までの文章を読み返し、随分と大きく道を逸れていた事に気づく。俺はこんな不毛な論争について述べたかった訳ではない!


 この日の夜、俺は百香さんと食事をした。それについて書きたかったのだ!


 前にも述べたが、百香さんを誘った表向きの理由はレポートの相談ということになっている。しかし実際は百香さんの浮気の真相を探るのが目的だ。


 百香さんはケイスケと名乗る男と連絡を取っていると、川本が言っていた。ケイスケって誰だ?俺の知り合いにはもちろん、川本も初めて聞く名前だと言っていた。サークル『オールドミュージックへの誘い』にもいないらしいから、まずはケイスケとは誰なのかが重要な気がする。


 川本からこの日の朝連絡があった。


『百香からメンタルとご飯行ってくるって連絡があった。今日はよろしく頼む。』


 やはり俺と食事に行く事をきっちりと連絡していた。つまり百香さんにとってケイスケは本当に内緒の存在という事だ。


 とりあえず、百香さんとは学食で集合してから梅田へ行くことになっている。俺は授業が終わった後、百香さんが指定した午後五時まで図書館で待つことにした。


 この大学生活で、図書館は俺のオアシスとしていつも疲れた頭を癒してくれた。この空間には星の数ほどの物語や知識が詰め込まれている。どの通路を歩いても、俺の心を動かす世界が待っているような気がする。


『今日は、日本文学を漁ってみようかな。』


 近代、現代と様々な作家による作品。そして文学評論。気になる本を手に取っては、その世界に少しでも浸ってみる。あぁ、なんて幸せな時間なんだ、、、。



 あれ、、、?なんやこいつら???


 読んでいた本から目を上げた時、本棚を挟んで一本横の通路、そこにやたらとコソコソ喋っている男女がいる。あまりにもそのコソコソが、なんといえば良いのだろう、とても先鋭なコソコソだからか、逆にとてもうるさい。息の音が高音で耳につく。めちゃくちゃ気に障る音なので、本棚の隙間から、じっと様子を窺った。


『、、、これが、、、そうだから、、、』

『、、、、、、じゃあ先生が、、、、、、』

『ふふふっ、、、、、、そうだね、、、』


 眼鏡をかけた爽やかな男子と髪の短い可愛らしい女子。彼らのコソコソがところどころ文字となって聞こえる。『おーい!図書館では静かにしなさーい!そんなに喋りたいなら会議スペースに行きなさーい!』とメッセージを込めた眼力にも気づかない。このままでは中腰になって見つめている俺の方が、本棚裏のストーカーと間違われかねない。


 うぅ。。。くそぉ。。。男の手には夏目漱石全集九巻。彼らは何を語っているのだろうか?ここまでくると彼らの会話が気になって仕方ない。。。


『、、、ねぇねぇ、、、そろそろゼミ、、、しないとダメだから、、、』


 女子の声が途切れ途切れで判別できるが、もうちょっと聞きたい。


『、、、談話室に行こ、、、』


『、、、だから、、、そうだね、、、。ミホちゃん。』


 恥ずかしーーーっ!男子が人差し指で、ぷにっと女子のほっぺに触れた。図書館でイチャイチャすんな、見てるこっちが恥ずかしいやろ!と、本棚越しに俺は顔を真っ赤に染めていた。


 そして彼らは談話室へ向かい動き始めたがミホちゃんなる女子が、耳を疑うような言葉を発したのである。


『今日は、、、何食べる?、、、くん。』



 ???


 ケイスケくん?


 この時、これはきっと神様の導きなのだと確信した。このケイスケくんがあのケイスケくんかどうかは分からないが、それでもこの妙な巡り合わせには感動すら覚えた。


 百香さんとの約束まで、まだ時間がある。

 

『ふっふっふっ。ケイスケくんよ、随分と大胆なお出ましだな!』


 まるで探偵のような心持ちで、この図書館イチャイチャカップルを尾行する俺。


 果たしてこの先に、百香さんにかかる霧を吹き飛ばす真実はあるのだろうか???






 

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