第405話 ウエハース(前編)

「──セーフ、ごめん」


 放課後、旧校舎生物室植物科入口で、随分と前髪が短い女の子とぶつかりそうになったけれど、寸でのところでお互い踏みとどまり触れてもいない。


「こっちこそ」


 じゃあ、と部室内にいたミヤビに手をあげ、また俺に軽く会釈して出ていく女の子は誰だ。


「あんな可愛い子いたぁ?」


「あ?  ソラ会った事あんじゃん」


 合宿の時、とミヤビは言うので数秒後、ああ、と気づいて、え!? と驚いた。


「何?」


「いや……前ん時はもっとこう──」


 ──そこで口を噤んで、いい、と手のひらを見せて椅子に座る。

それは最近一年の間で流れる噂というか隠れ話からの察しだ。

真剣な雰囲気はあんま好きじゃないのでちょっと擦る。


「付き合ってるとか?」


 するとミヤビは思いっきりため息を吐いた。

それはもう長く長く。


「男と女がちょっと一緒にいりゃ付き合ってるだなんだってすーぐ言いやがる馬鹿くせぇ」


「そーんな怒んなよ、冗談だ冗談……知ってる」


 噂話で知った、いじめ。

こっちのが馬鹿くせぇやつ。


 ミヤビが冷蔵庫からカップアイスを投げてよこした。

それとすでにテーブルにあるウエハースが今日のおやつらしい。

さくぱさ、あんま味がないこれは、パフェとかに突き刺さってるとこしかあんま見かけない。


「女って怖ぇな」


 アイスはシンプルにバニラ。

やや溶けてるのはさっき買いに行ったか、スプーンで掬ってウエハースに乗っけて、さく、冷た、美味。


「女怖いのはわかっけど、原因は?」


「それって必要?」


 ごく、と飲み込んで首を傾げた。

確かに原因は必要か。

だってそれがいじめられていい理由にはならない。


「……俺も中学ん時、られてた事あんだけどさ」


「ソラが?」


 そう、俺が。

今では吹っ切れてるし自分が思うようにしてるし引きずってもねぇけど、辛かった。

何の引き金か、存在しないもの扱いされた。

多分そういう、順番、だったんだと思う。

回避した奴らは高みの見物と加担で、その優越感の顔っつったらもう反吐しか出ねぇわけで。


「人をとぼして優勝、人より危ねぇ事して成功したらヒーロー、人より少しだけ目立って強く言えたらリーダーみたいな。そういうのあんじゃん」


「まぁ……わからんでもない」


 ほんとは味もなんもねぇ事なのに、それに興じて笑ってんだ。


「洗礼っつーか……呪いみたいだよな。どこでもつきまとって、怯えて過ぎんの待ってさ」


 男と女じゃ内容の違いはあるかもしれない。

でも、られた側は同じだ。

本気だ。


「わかってくれる奴がちょっといてくれりゃあ俺はそれで満足」


 ウエハースに乗っけたバニラアイスのように。


 するとミヤビはスプーンを咥えたままこう呟いた。


「……自分があるやつになりてぇなぁ」


「は?」


 何言ってんだ、自分しかねぇみたいな奴のくせして、と思った。


「こうなりてぇとか、何になりてぇとか、そういうのある?」


「将来何になりたいか的な?」


 そういうのでもいい、と言うので俺は答えた。


「普通の奴になりてーです」


「普通って何だよ」


「とりまいじめねぇ奴」


 当たり前が当たり前で、綺麗が綺麗で、そういう感覚が狂う事がない、『普通』という呪いの言葉。

俺にとってはだけど。


「そんでちょっとだけ、俺っぽくする」


 今はカラコンもやめたくないし、カメラも手離さないし、生物部だってちょっと楽しくなってきたとこ。

積み重ねとたまの味変が、今の俺。


「……じゃあ俺は、とりま女殴るのやめる」


 ぐっふ、口ん中のもん出るかと思った。


「お前、それは駄目だろ。ってか昨日顔腫れてたのって──」


「──ミナが全力仕返しパンチ」


 どういう流れでそうなったか聞いたら、結果的に良かった──良いわけじゃないけど、助けられてんじゃん。


「もうしない。でも誰かに決められた俺にはならない、って感じ」


 俺はミヤビはもっとかっこいい奴だと思ってた。

一途で一途で、頑固で頑固で。

そんな奴が俺と同じように模索中とか、嬉しい? 語彙が見つかんねぇけど──ああ、わかった。


「間違ったら怒ってやる。だから俺が間違ったら怒ってな」


 同じ部活ってだけだった。

今は味が足されて、友達って感じで美味いや。

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