第365話 はちみつ水(前編)

 少しよれたベッドシーツの波と、軽く開いたキャリーバッグ。

点けたばかりのエアコンでまだぬるい女の子の部屋。

まだ開けているカーテンの、窓の外を眺めてみる。


「──見えねぇなぁ」


 窓には部屋と俺しか映っていない。

手にははちみつ湯、少し温くなってきたか飲みやすく喉に通る──嘘、ごっきゅん。

はちみつ味意外のものも飲んだり、なんたり。


 ドレッサー? 鏡の台の前には化粧水とかそういう、女の子のアイテムみたいなのが置いてあって、多分ほとんどがノムラのなんだろうけれど、ハンガーにかけてある女子が今日着ていた服、というか帽子とかそういうの見るだけで、なんか。


 なんか……女の子っての、より意識しちゃうって、いうか。


「お待たせさま。海見てたの?」


 部屋を片付けた女子は俺を部屋に通した後、脱衣所に忘れ物をしたとかで取りに行っていた。

手にはタオルと丸い入れ物──ボディクリームっぽい。


「うん。んでも見えないや」


「こっちが明るいせいね。半分のあなたが見える」


「シウちゃんも見える」


 真っ暗な夜を見ながらなんて事ない会話に微笑んだ。


「あ、写真ね。ベッドに座って大丈夫よ」


「い、いいの?」


 女子はバッグから携帯電話を手探りながら半分、俺に振り返る。


「座るのそこしかないもの。床よりふわふわよ?」


「……うぃ」


「うぃ? んふ、変なの」


 変でいいっす。

あの……俺、意識し過ぎですか?


 ※


「私達の写真はあまり撮らなかったのね」


「だってみ、みみ水着だったから」


「んっ、そうね。記憶だけでお願いします。ほんとは忘れて欲しいけれど」


 それはばっちり最重要脳みそ保存してますはいー忘れるなんて機能もぶっ壊しますはいー。


「む、何にやついてるのー」


「き、気のせいですー」


 ベッドの端っこに並んで座って、写真を貰ったり今日の思い出話をしたりしていた。

音量を気にして控えめに笑ったり、温くなったはちみつ湯が半分になった。


 女子はいつも通り、さっき通りの女子だ。

意識してたのは俺だけみたいで拍子抜けした──っていうのは失礼か、俺が勝手にそうなっただけだ。

部屋で二人で話すとか、教室でもそうだし、俺の家に来た時もそうだったし、どこでも俺と女子は二人だったっていうのに、でも、なんか……やっぱり──。


「──あ」


 小さい声がした。

俺の腕と、女子の腕が少しだけ当たっただけだった。

そんなの、いつもある事だ。


 左側に座るシウちゃんと目が合った。

暑くないはずなのに、はちみつ湯も熱くないはずなのに、目を落として腕とか見たら、少し震えていた。


 まだ残っているマグカップを女子の手から取って、鏡の台の前に並べる。

また戻って隣に座った。

俺の重みで、ゆら、と揺れて──そのまま、女子の手を握った。

びくつかれたけれど手のひらを上にされて、軽く握り返してくれた。


「……暑い?」


「う、ううん。大丈夫──」


「──顔、赤いけど」


 気づいてなかったのか、空いた手で頬や顎を触っている。

少し慌てるその仕草がなんか可愛くつい笑ってしまう俺がいた。

ああ、少し、むっ、とした目付きもそれ。

もう平気、と髪を耳にかける嘘もそれ。

何なの、と足をばたつかせる子供っぽいところもそれ。


「可愛いなー」


「へっ?」


 間抜けな驚きも、恥ずかしさから逃げるように左へと上半身だけ傾いていくのとか。

それを追って間近でもっと見てやったりとか──もっと見たい、とか。


「ち、近いな?」


「うん。もうちょっと」


 女子は首まで赤くしていて、斜めの体勢もきつくなってきたか、空いた手で体を支えている。


 多分最初っから──最初より前から、俺は想像していた。

どっかで消したフリをしていたのは、大切だからだ。

だから、戦ってたんだと思う。


 まだ俺は、臆病者と勇者の間。


「え、あ──っ」


 静かにベッドが揺れた。

 

 俺の影に被さる女子は目を丸くして俺を見上げて、静かに何かを飲み込んでいた。

髪は乱れて、行き場がない手で顔を隠そうとしたけれど、掴んで握った。


 はちみつ湯は冷めたはずだった。

なのに今、とても熱い。



「愛してる」


 俺はそう呟いてすぐ、女子の唇を塞いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る