第364話 はちみつ湯(後編)
帰ってきたのに出迎えも声もなくて、玄関から、そろり、と足音を立てずに私達は戻った。
電気は点いている。
私達同様に外に出たのかとも思ったけれど、それならライーンで知らせるだろうし、あのノノカの状態じゃそれは無理そうだし、何より靴は玄関にあった。
とりあえずバッグや携帯電話を部屋に、と男子と目配せをして別れる。
玄関から扉を開けたらリビングがあって、右側にツインの男の子部屋、左側がダブルの女の子部屋になっている。
リビングの奥にはキッチンがあって、夕食の時に蜂蜜の小瓶を見つけていた。
さて、ノノカはちゃんと寝てるかしら、と扉を開けると──いない?
「──シウちゃん、シウちゃん」
男子の小声と手招きに気づいた私は、男の子部屋の扉前に腰を屈める男子の横から覗くと、ノノカがベッドに寝ていて、コセガワ君はそのベッドの脇の床で寄り掛かって眠っているようだった。
……ふむ。
推測するに、女の子部屋には私の荷物もあるし、かと言ってノノカもそのままリビングに寝かせておくのも、という事でコセガワ君が自分が使用するベッドに運んだ、というところだろう。
彼もすっかり寝ているようだし、起こすのは可哀想だわ。
「二人とも疲れちゃったのね。タオルケットかけてあげましょ」
失礼、と男子の横を通り過ぎて部屋に入って、コセガワ君にかけてあげる。
その時、見てしまった。
ノノカがコセガワ君の服を掴んでいるのをだ。
しっかりではなくて、緩く掴んでいるのだから外せそうなのにそうしないのは、と近づいてきた男子も気づいた。
「あらー……」
「あらー……」
二人して同じ感想を零して、にま、と微笑む。
ベッドサイドランプを緩めて点けて、おやすみなさい、と部屋の電気を消して扉を閉めた。
さすが幼馴染、いいえ、恋人同士、仲良しだ。
男女が二人でなんて、どきっ、とするところだけれど、男子もわかっているのか動揺はないように見える。
「──へくちっ」
だからくしゃみが可愛いのはどうして? というのは置いておいて、本当に風邪なんてひかれても大変だ。
キッチンに急いで、お湯を沸かして、マグカップを二つ用意する。
蜂蜜の小瓶は──あった。
木製のスプーンも二本。
男子はテーブル近くのソファーの端っこに座っている。
クッションを膝に乗せて、携帯電話をいじいじ、いじっている。
海で撮った写真でも見返しているのだろう。
あ、私が写ったものは全て上半身、バストアップの写真だけと検閲済みだ。
「はい、蜂蜜入れてくれる? その写真は初めて見るわ」
「ほいほい。うん、なんか記念に」
見えた画面には砂まみれの足先と、水平な海だった。
結構な人がいたというのにちょうど誰もいない時にシャッターを落としたらしい。
「隣の足はシウちゃんですけど」
「え? 全然気づかなかった……」
この時、私達はかき氷を食べている最中だったそうだ。
全種類のかき氷をよそ見よそ
「こんなもん?」
「うん、底にまぁるくお月様」
とろーり、と蜂蜜を入れて、沸いたお湯をゆっくり、とととと、と注いでいく。
ほのかな甘い香りが湯気と一緒に上っていく。
「その写真、私も欲しいな」
「ん、送る。ライーンでいい? いただきま」
「ます」
ずずっ、とひと口、の前に息を吹きかけて、熱さを少し飛ばして、うん、蜂蜜の濃さもちょうどいいし、喉や胸、お腹がじんわり温まる感じ。
夏でも温かいのって大事よね。
「ぬぅん」
男子の呻きに目を移すと、湯気で眼鏡が白くなっていた。
「あは、火傷に気をつけて──って、普通に喋っちゃう。ノノカ達起こしちゃうかしら」
「大丈夫じゃね? つか、他に部屋ねぇ、し」
男子が言い切る前に私は腕を伸ばして、指を差していた。
女の子の部屋をだ。
白くなっていた眼鏡が晴れて、ゆっくりと目を逆に逸らす男子を私は上半身ごと追う。
「何か不味い?」
「ま、不味くはないようで、ま、不味いような……」
ずずずっ、とはちみつ湯を飲む男子は何故か気まずそう。
そんなに変な提案だったか。
「まだ眠くないんだもの。それにお喋りしたいわ」
こんな夜だからお喋りしたい。
遠くに聞こえる波の音のように、時に静かに、時に煩く、寄せては引くように。
せめて月の色の飲み物がなくなるまで。
そう目で訴えていたら、男子はマグカップに口をつけたまま呟いた。
「……わかってくれよ、頼むから」
よく聞こえなかった。
けれど男子はマグカップを持って立ち上がった。
「携帯電話、部屋にあんだろ?」
今日撮ったやつとか見よう、と提案してくれた。
けれど何でか目は合わせてくれなくて、ちょっと変──あ。
「あ、あの、ちょっとだけ片付けさせてっ」
私は一足先に女の子部屋へと移った。
……どうしよ。
今更、けれど──大丈夫。
まだ、はちみつ湯が熱い。
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