第268話 ストレートティー(後編)

 会話は全く聞こえないけれど、クラキ先輩の横顔が見える。

随分楽しそうだな、というのがここまで届いていた。


 あたしとカジはロールケーキを食べ終えて、二杯目のホットのストレートティーを飲んでいるところだ。

カジはこめかみ辺りに手を置いて、あちらから顔が見えないようにずっとその体勢でいる。

たまに、ちら、と見ているのか、時折店内を見るふりをしてまたクラキ先輩達の席を遠くに見ている。


 ……彼氏、か。

そうだよね、悔しいけれどキレーな人だし。


 初めて見た時も、あたしはそう思った。

同じ制服を着ているのに、年齢もたった二つしか違わない同じ女なのに、と思った。


「……──な、人」


「え?」


「な、何でもない」


 小さくてもまさか声に出してしまっただなんて、とカップに口をつけて誤魔化す。


 あたしは、見ていた。

字じゃなくて、先輩を見てしまっていた。

目を奪われた、の方がしっくりくるかもしれない。

それは書道に興味がなかったからかもしれない。

それでも、あたしは今もこう思う。


 ──特別な、人。


 身近にこういう人が現れるなんて思いもしなかった。

そして、あたし以外にもそう思っている人がいるなんて、とも思っている。


「……カジは何で見てんの?」


 もうおかわりも底をつきそうだ。

カジとゆっくり目が合った。


 あたしは部活動の先輩、後輩という関係線がある。

けれどカジにはそれがない。

何の線があるのか、知りたい。


「……教室といる時と違うな、お前」


 答える前のどうでもいいやつをふられた。


「あー、まぁ、うん」


「何で?」


「ひ、人見知りっていう──」


「──嘘つきには教えない」


 そうきたか、と三つ編みを結んだゴムを指でいじりながらあたしは俯いた。

嘘は簡単にばれた。

そりゃそうだ、カジにはずけずけ言っている。

それは──。


「──女ってめんどくさいんだよ」


 色々、色々めんどくさいんだ。

学校っていう箱の中は、色々。


「……それで一線、引いてんのか」


「うん」


 カジは男だから別にいい。

けれどクラスメイトでも女は、女の子は──ちょっと、怖い。

だからあまり目立たないように、どこかの誰かの影になるようにする。

それでも言いたい事は言う。

それだけは、譲らない。


「……あたしの話はもういいでしょ。今はカジの話」


 話を戻すと、カジは教えてくれた。


「俺はあの人を知ってるけど、あの人は俺を知らないんだ」


 違和感。


「何? ストーカーチック」


「かもな」


「冗談なんだけれど」


「冗談じゃないんだけれど」


 確かに今の状況も遠目に見てる──観察? している。


「それって、恋的なあれ?」


「じゃない。冗談でもやめろ」


 そうだと思った。

だってカジはそういう目をクラキ先輩に向けていない。

あたしはまた目を伏して、テーブルの下で手を握った。


 カジの目は時折、冷たい。

そんな目、人に向けるなんて初めて、見た。


 ……特別な人は、一緒。

けれど、あたしと違う意味の、特別だ。


 カジのストレートティーも底をついた。

空のカップを逆さまにしてしまうほど、クラキ先輩を見ていた。


「……なんか、こういうの初めてだ」


「え?」


「ハギオとあんま喋った事ないのに、なんか、聞いてほしい」


「何で?」


「……似たような状況だから?」


「そこで聞くのはずるくない?」


 カジは、にっ、と笑った。


 何だこいつ、笑えんじゃん。


「そういうとこ」


 同じような船になったあたし達だから、という意味らしい。


「じゃあ、どうぞ?」


 カジは静かに深呼吸してから、あたしを見た。


 店内は相変わらず小うるさい。

思えばストレートティーは少し苦かった。

残った舌の上は、また苦くなった気がした。


 ──それはとても、あたしが聴いていいような音では、なかった。


 ※


 ──一度目は何も思わない。


 もうお邪魔虫は退散するか、と俺は一足先に喫茶店を後にした。


 ──二度目は、ん? と思う。


 携帯電話を片手に喫茶店近くの通路の脇で俺は止まる。


 ──三度目に目が一瞬合った時に、何かある、と思った。


 こいつらは──は、何の用だ?


「──はぁい、ちょっといい?」


 三つ編みの女の子と、目付きがクールな男の子に俺はにこやかに声をかけた。


 はっ、緊張で固まってら。

ビンゴ。

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