第220話 黒糖珈琲(後編)

 窓のすぐ向こうに庭がある。

風に揺れる葉っぱの感じとか、聞こえにくい音とか、感じない温度とか、枠どられたガラスが写真みたいだなと思った。


 レトロなもんが好きかっつったらそうでもない俺は、渋い色の木のカウンターに頬杖をついたまま、ぼぅっ、と眺めていた。


 ミツコは何も言わない。

恋とかそういうもんの話を女は聞きたがるもんだと思っていたけれど、聞こうともしない。

ただ携帯電話をいじりつつ、時折小さな葉っぱが浮かんでいる水を少し飲みつつ、俺と同じように頬杖をついている。


「……聞かねぇの?」


「ふん?」


 頬に添えていた手を結んでいる髪に滑らせるミツコがこっちを向いた。


「聞いたけれど?」


「じゃなくて、詳しく的な」


「別に?」


 別に。


「別にって──」


「──あー、ごめんごめん。あたしが聞いてもいいのかなって思ったから。んでもやっぱ気になるから聞くわ」


 ミツコは紙袋を見た。


「それ、シウから?」


 ご名答、クラキから貰ったやつだ。

もう開けてある箱をミツコに見せると、美味しそ、と笑った。


「食う?」


「や、それはレン君が貰ったもんだし──」


「──もう俺のもんだし」


 店に悪いから早く取れ、と急かすとミツコは一粒取った。

俺も一粒取って、同時に食べる。

するとすぐに、うんうん、と頷いた。


「ちょい苦なとこ、あんたっぽい」


 俺っぽい?


「やっぱあんたのチョコだね」


 クラキが選んでくれた、考えてくれた、贈ってくれたもの。

俺のために。


 紙袋にチョコの箱を戻す時、手紙が爪に触れた。


 これも俺のもので──俺だけのものだ。


「友チョコってやつになんのかね」


「義理とも違うし、うーん……そもそも分ける必要ある?」


 と、珈琲が運ばれてきて俺達は一度黙った。


 古っぽい陶器の持ち手が付いていないカップは、口が少し広がった湯呑のようなカップで、似たような陶器の茶托もついている。

珈琲の匂いが、ふわん、と鼻についた。

プレーンのクッキーも小さいのが二枚、茶托に添えられている。


 そして、粗目に砕かれた黒糖が別の小さな器にあった。


 店の人が離れて、やっと俺は口を開く。


「分けるって?」


「チョコはチョコじゃん」


 そう言ってミツコは黒糖を珈琲に大匙一杯、入れた。

足りないのか、また大匙半分ほどを追加する。


「シウからのチョコレートに変わりないじゃん」


 はい、とミツコは俺に黒糖の器を寄せた。

量がわからないのでミツコにならって俺も大匙一杯半の黒糖を珈琲に入れる。

黒い珈琲に黒い砂糖が混ざって溶けていく。

これまた陶器のスプーンで混ぜて、なんとなくカップを両手で包むように持った。

そして一口飲む。


「ど?」


 いつもの感じと、違う感じ。


「和、っぽい?」


「うん、黒蜜っぽい感じでしょ?」


 それ、と俺はもう一口飲む。

ミツコが気に入るのがわかった気がした。


 白い砂糖と黒い砂糖で、違う感じ。

白い甘さと黒い甘さで、違う感じ。


「……これも、好み」


「あは、好きなもん増えるのは良い事だー」


 クラキとは違う女の子が──ミツコが隣で笑う。

最初っから変わらず、ミツコは独特の甘さを俺にくれる。


「……お前、いい奴だなぁ」


「げ、何?」


 俺はもう少し黒糖を足そう、とカップを置く。


「何で彼氏いねぇのかなと思って」


 するとミツコは、ぐしゃ、と険しい顔になって添えてあるプレーンクッキーを手に取った。

俺もクッキーを取って半分齧る。

黒糖珈琲の甘さに合うシンプルな味だ。


「そんなの、あたしが好きになってないからだよ」


「ふーん?」


「レン君こそモテそうな感じなのにね」


 どんな感じだよ、と俺は頬杖をついてミツコを見た。

ミツコも頬杖をついて横目に俺を見てきた。


「……今、同じ事考えただろ?」


「同じ事言おうと思ってた」


 ──もし、ミツコが俺の彼女だったら。

逆に──俺がミツコの彼氏だったら。


 お互い数秒の沈黙から、同時にこう言った。


「──ないな」


「──ないな」


 ぴったり同じタイミングだった。

同じ意見で同じ思いだった。


「あんたとチューするとか考えられん。けれどこうやって背中を押す事は出来るし、やる」


 と、ミツコは俺の背中を軽く二度、撫でた。


 頑張ったんじゃん? というような、俺とミツコの距離は、そういう距離だ。


「優しくって涙出そ」


「うーわ、泣かしたい」


 ミツコは知らない。

俺がこんな風に気を許せる相手だって事を。


 多分きっと、こいつはずっと友達だと思う。

そう続けたい、と俺は黒く甘い珈琲をまた飲んで、笑った。

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