第219話 黒糖珈琲(前編)
古民家を改装したというこの喫茶店はちょっとした隠れ家みたいなお店で、ちょっと教えるのは勿体ないかも、と学校の友達には内緒にしている場所だったりする。
お店の奥にある小庭へと抜ける裏口のすぐ横の窓際に、ちょっとしたカウンター席があって、そこがあたしのお気にの位置だ。
緑の木々は綺麗にされていて、春や夏になったらオープンカフェっぽく何席かテーブルが並ぶらしい。
それらを想像しながらあたしはメニュー表を見ながら携帯電話をいじっている。
レン君がフラれた。
シウに、フラれた。
ライーンの文字を見ながらため息を一つつく。
あたしがつく必要がない息だと気づいて、すぐに背を伸ばした。
……どっかでわかってた。
ううん、フラれるってわかってた。
あたしはレン君に言えなかった。
だって本気だったから。
だって、あたしがそうだった、から。
お店の奥さんがお水を持ってきてくれた。
大きな丸い氷にミントの葉が浮いている。
いちいちお洒落でこういうところがお気にの一つだ。
待ち合わせ? なんて声を掛けられて、はい、と答えた。
バレンタインだものね、なんて返ってきて、そういうんじゃないです、と慌てて返した。
お客さんが来店して奥さんが行った後、あたしはまた緑を眺める。
そういう、イメージ。
バレンタインだからとか、待ち合わせだからとか。
想い、想われのイメージ、とか。
あたしのイメージも好き勝手のそれだ。
あたしが、やめときなよ、なんて言ってもレン君は止まらなかったと思う。
そして、そうなった。
ぶに、と頬杖をついてガラスに薄く映る自分を見る。
眉間に皺、細めた目、ぶさいくな顔のあたしはあたしに言う。
…………あー、気が重ーい。
気まずーい。
奢るって言ったのあたしだけれど、他にどうしたらいいかわかんなかったんだもーん。
お疲れ……っていうのも違う気するしさー……。
ローファーの爪先同士をぱたぱた、と開いたり閉じたりして、落ち着かない。
そうしているとライーンに新しい文字があった。
音は消しているし、バイブ機能もオフにしていたので二分ほど経過していた。
『迷ってる』
レン君からの文字に、隠れ家みたいなお店だからわかりづらいか、とあたしは返信する。
目印はここだけタイムスリップしたみたいな外観、黒板の立て看板と背が低い入り口に
その送信から数分後、いらっしゃいませ、の声が背中に聞こえた。
「──よ」
やや斜め後ろに見上げる。
「よ」
鼻を赤くしたレン君が私の隣に立った。
すぐに座らないのでどうしたのか、とあたしは見上げ続ける。
「……入るか、迷った」
迷っていたのは道ではなかったと今わかった。
「──でも、来たね」
「……おう」
座りなよ、と肩を竦めたあたしはメニュー表をテーブルに滑らせる。
レン君は紙袋をテーブルに置いてバッグを床に置いた。
静かな数秒は、数回の呼吸と変な空気が作った。
「……まぁ、そういう結果でした」
そうレン君が呟いてくれて助かった、とあたしは思ってしまった。
また言わせてしまって、何だか悲しくなった。
あたしの勝手な感想だ。
「ん。どれにする?」
「…………どれがいいかわからん」
このお店には色んな珈琲がある。
豆にも詳しくないし、どれがどう、と説明出来るほどでもないけれど、飲んだ中でなら勧められる。
「じゃあこれ」
あたしはメニュー表を指差した。
「黒糖珈琲」
フレーバーコーヒーってやつだ。
白い砂糖とは違う感じがするやつだ。
「飲んだ事ねぇや」
「試してみる? 他でもいいけれど」
そう言うとレン君は少し考えてメニュー表を閉じた。
「試す」
「ふっ、素直じゃん。きもちわる」
「弱ってんだから優しくしろや──」
「──優しくされたいの?」
あたしは頬杖をついてレン君を斜めに見た。
右側にいるレン君は、むっ、とした顔になって、同じように頬杖をついてあたしを斜めに見てきた。
あたしは、シウの代わりじゃない。
「……俺、かっこわる」
「そう?」
「あ?」
「奢られに来ただけでしょ」
あたしは窓の向こうを見ながら微笑んだ。
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