第215話 ダックワーズ(前編)

 放課後の教室、廊下側の後ろから二番目の席。

俺は前を向いて頬杖をついている。

まだ部活に行く前のクラスメイトや、帰る前のクラスメイトが数人残っていて、教室の扉が開かれる度に教室内とは違う冷ややかな空気を背中に感じた。


 女子はもう、教室を出ている。


「……コーセガワー」


「はーぁーいー……」


 いつもの俺のように椅子に横向きに座るコセガワは前の席にいる。

今にも滑り落ちそうなほどに足を投げ出していて、頭を窓につけて、ぼやっ、としていた。


「元気出せやー」


 するとコセガワは赤縁の眼鏡を外してこう言った。


「誰のせいだと……」


「それは、ごめん」


 あの時、俺はいらん事を言ってしまった。

そのせいでコセガワはとばっちりを食らった。

今日もずっとノムラに無視されているのだ。

かしゃ、とコセガワは眼鏡を掛け直した。


「嘘、ごめん。完全に八つ当たり」


「いや、原因は俺だし。しっかしノムラもしつけーっつーか、折れねぇっつーか」


 聞けばノムラは小さい時からそうらしい。

気に入らないものは気に入らない、気に入ったものは気に入ったまま。

その場限りじゃなく、全部はっきりと覚えているらしい。

もちろんちゃんと理由があって、理不尽なものはないときた。

はっきりした奴だとは思っていたけれどここまでとは思いもしなかった。


「俺から言うか?」


「いやー……それこそ長引きそうだし、気持ちだけ貰っとく」


 そか、とクラスメイトの女の子から貰ったお菓子を机から出す。

コセガワも、僕も貰ったままだった、と自分の机に取りに行った。


 一年生の間で流行っているというバレンタインに向けての練習お菓子は、二年生の間でも流行り出して、そのおこぼれにあずかる俺達の腹の足しになっている。

有り難やー。


 一個ずつラッピングされているお菓子は、ダックワーズとかいう軽い焼き菓子だそうで、手間を掛けた練習だなぁ、と感心しつつ袋を開けていただきます。

さっくり、からの、しっとり、のような食感。

中のチョコクリームがなめらかぁ、で、甘過ぎ警報発令した。

これはくれたクラスメイトの女の子に言うべきか。

と、コセガワも食べ歩きしながらまた俺の前の席に座って、甘いねぇ、と一言。


 いらん事は言わんときましょ……二の舞踏むのはもう勘弁。


「クサカもまだ喧嘩中?」


「いや?」


「えっ、クラキさんいないじゃん」


 うん、いないけれどな。


「そういうのは後でいーの」


「後って……レン君?」


 そ、と言った俺は残りのダックワーズを全部口に放り込んだ。

独特の食感を楽しんで、甘過ぎを飲み込む。


「……複雑だなぁ」


 コセガワが呟いた。


「ははっ。ほんと、それ」


「よく笑えるよ──」


「──笑ってないとクラキが困るからな」


 今、女子はここにいない。

今の俺を見ていない。

けれど、強がっていたかった。


 女子は今、レンのところに行っている。

教室を出る前に、行ってきます、と俺に言ってから出て行った。

写真部がある部室棟かも、なんて予想はしている。


「かっこよ」


「逆逆。かっこ悪ぃっすよ」


 外見は、さくっ、として見えて、見えない中身は、そわそわ。

俺の強がりと、弱音。


「お前もきっかけがあればな、ノムラの機嫌どうにかなりそうなのにな」


 そう口にした時、俺はまだ口の中に残るチョコ味で思いついた。


「あるじゃんよ、十四日と言えばのやつ」


 あと数日後にその日は来る。

バレンタインってやつだ。


「……女の子のイベント日じゃんかー」


 コセガワはまた、ずる、と椅子から尻を滑らせてだらけた。

こういうコセガワはレアなので面白い。

こいつも女の子一人に手を焼いて、困って、片想いしている。


「いいじゃん、お前がやっても。外国では男がやってんべ?」


「映画とかで見た事あるけれどさー……」


 俺はずっと聞きたかった事を聞いてみた。


「告らねーの?」


 コセガワは横目で見てきて、はぁ、とため息をついた。


「まだ、かな」


「びびり?」


「タイミングを計ってるって言ってくんない?」


「ふーん、複雑だな」


 簡単なのに、難しい。

好きな子を前にすると、どうにも難しくなってしまう。

難しくしてしまう。

突然出現する、片想いの迷路、みたいな。


 俺の場合は──両想いのガラスの壁、出現中。

それを壊すのは簡単だけれど、消えるのを待つ。

そのすぐ向こうで女子が頑張っているから。


「あー、生物部行かなきゃ。クサカも来る?」


 茶ぁ飲ませてくれんなら、と俺はコセガワと教室を出たのだった。

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