第127話 甘栗(前編)
栗の皮に横線を描くみたいに爪を入れていく。
そしてその線を立てにして、上と下から挟むように指で力を入れる。
そうすると爪で描いた線が、ぱかっ、と開く。
それからその開いたところを広げるように開けていくと──甘栗の実、出現。
ぱきっ、ぱきくっ、ぱきっ、ぱきくっ。
何度目かの割れた音は一定間隔で、止まらない。
「……手が止まっているわよ?」
俺の手は止まっていた。
今は放課後、教室の廊下側の一番後ろの席で俺は椅子を反対に向けて座っていて、女子と向い合わせになっている。
「なーに?」
「いや、機械的に剥かれていくなーって感心してた」
女子の指は栗を剥いて剥いて、剥きまくっている。
「で、いつ食っていーの?」
現れた栗の実がティッシュペーパーの上に並べられている。
「全部剥いてからよ。私、こういう殻があるものって全部剥いてから落ち着いて食べるのが好きなの」
「……枝豆とかも?」
「うん。全部お皿に、るるる、って押し出してからお箸で一つずつ食べるのが好き」
「ふはっ、るるるって何だよ」
すると女子は、三粒、と言って、たまに、るる、で二粒、と微笑んでいた。
今は栗で一粒。
「じゃあ今は、るん、ってか?」
ちょうど女子の指がまた一つ栗を剥き終えた。
そして自分の口に──一瞬、唇に挟んでから、食べた。
にんまり、とした口を見て、俺は、はっ、とした。
「ずるくね? 食べちゃ駄目みてぇに言ったばっかでよー」
「駄目なんて言ってないわよ?」
確かに言ってない──。
「──だからこの前も、今、みたいな」
女子が、ぽつり、と呟いた。
先に言われた。
小声で、今のタイミングかよ、って思った。
多分女子は合宿後の待ち合わせでこの事を話したかったのだと思うのだけれど、女子の父が出現したため何の話も出来なかった。
合宿お疲れ、とか、その程度ですぐに解散してしまったから。
話は、夜の屋上での、出来事。
「……俺、ずるかった?」
俺は栗の皮の表面をつるつる、と指でなぞる。
「ず、ずるくはないけれど……びっくり、したです」
「です、か」
「うん、です」
びっくりは、俺もした。
「……書家の先生がお前の親父ってのもびっくりしたんですけれど」
「私のはずるくない」
はっきり言いやがったですな。
確かにそうなんですけれどな。
ぱきっ、ぱきくっ。
また一つ、栗の実が出現。
「──謝んないから、俺」
「え?」
「だって悪いとか思ってねーもん」
ライーンでは、ごめん、って言った。
撤回する。
女子が、きょとん、としている。
また、びっくり、している。
「どうも何も我慢すんの、無理!」
剥き立ての栗も、ぽいっ、と口に放り込んだ。
すくん、と歯が通って、ぽくん、と割れて、栗の甘いのが、ぶわん、と口の中に開放されていく。
ごくん。
「だからあんま油断しないどいて。俺、ほんとに何すっかわかんないから」
「……何それ、怖い」
「うん。怖がらせっかもしんないから──宣戦布告しとく」
男の子なんで。
女子よりも力が強い、男、なんで。
最後の栗が女子の指で剥かれていく。
「……この前は私の油断というわけね。しかも次も仕掛けていく──そういう事ですか」
「かも、って感じ」
その時がいつ、っていうのは俺もわからないし、怖気づくかもしれない。
「つまりそれは──」
女子が最後に向いた栗をティッシュペーパーの上に置いて、軽く指で弾いて、言った。
「──私が仕掛けてもいいって事ね?」
「へ?」
にまっ、と悪戯に笑う女子の頬は赤い。
ちくしょ……宣戦布告返しかよ。
「……いーですけど、何してくれんの?」
女子は爪の間に入り込んだ殻が気になるのか、ウェットティッシュで仕切りに拭いている。
俺も拭く。
「何して欲しいの?」
こらまた困る、戸惑う質問だ。
色々、ある。
指繋ぎもまたしたいし、別の指でもしたい。
手も繋ぎたいし、握りたい。
同じ事を何度でも、同じ形でも違う形で。
「……栗、食いたい」
「ふふっ、じゃあもう食べちゃったけれど」
と、女子はやや斜めに合わせた手とは逆に首を軽く傾げて、いただきます、と言った。
こんな感じ。
こんな感じで時々、びっくりさせたい、とまた一つ栗を口に放り込んだ。
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