第126話 マカロン(後編)

 昨日の夜、私はどうしてあんな風にしてしまったんだろう?


 今日、ずっと昨日の夜の事を考えていたせいで、せっかくの強化合宿だというのにあまり集中出来なかったわ、と制服に着替えた私は実習棟から中庭へと移動中です。

お疲れ様でした。

腕を上げて軽く背伸びをしたら、ごきっ、と肩が鳴りました。


 部活動に励む生徒達の声が少なくなった学校は昼間よりも静かで、渡り廊下に緩い陽と影を作っている。

そして私の手にはマカロンが一つ。


 凄い色──ビビットピンクは、フランボワーズ味。


 これはお昼ご飯の時のデザートとして差し入れしていただいたマカロンなのだけれど、私は何だか──胸がいっぱい? で、今食べようかと持ってきていた。


 ……大体何であんな……じゃなくて、何かこう、ね? 角度というか、体勢というか……びびっちゃったのよ。

むん。


 透明の袋に入ったマカロンを片手に私は自分の耳たぶを軽く引っ張った。


 むー……耳まで熱いじゃない。

全部全部、男子のせい──と、その時、後ろから、副部長さん、と呼ぶ声がした。


「──合宿、お疲れ様でした」


 昨日、今日とご指導いただいた書家の先生だった。


「……お疲れ様です。二日間、ありがとうございました」


「いえいえ、皆さんとても真面目で活気があってこちらも楽しかったですよ」


「ですか」


「ですです。しかし……副部長さんは何かあったのかな?」


 むん。


「……何もありませんけれど?」


 声が上擦うわずってしまい、これじゃバレバレだ。

先生は、ふぅ、とため息混じりの息を吐いて微笑む。


「もう帰りますか?」


「いえ、少し用があるので、まだ」


 自動販売機の前で私と先生は止まった。


「──あはっ、もういい?」


「……ははっ、シウちゃんいつまで続けるのかと思っちゃったよ」


「父さんこそ」


 書家の先生は、私の父さんである。

他の部員の手前、いつも通りというのも集中が途切れてしまうかもしれない、との配慮から合宿中はこのように接し、会話していたのだ。


「差し入れもありがとう」


 手に持ったマカロンを掲げると父さんは、いっぱい並んでるマカロン見たかったからいいんだよー、と嬉しそうに言った。

大人買いをして喜ぶ子供みたいな父さんは、もういつもの父さんの顔をしている。

指導中はその名の通り、先生、みたいな顔をしていたのにだ。


 父さんは私が尊敬する人で、やっぱり凄い人なんだな、って改めて実感した。

まだまだ学ぶ事を沢山持つ人だと。


「父さんそろそろ帰るけれど、一緒に帰らない感じ?」


「うん。約束があるの」


 ベンチで待ち合わせ、と指を差す。


「友達?」


 とも、だち?


「うーん……うん。そうね、うん」


「うん?」


 しまった。

友達でもあるのに別の含みを父さんに見せてしまった。

ああ、父さんってば私の顔を窺っている。

もうそろそろ彼が来る時間。


「──父さん、早く帰ってくれない?」


「えっ、冷たい!!」


「つ、冷たくない」


 動揺を隠せない私はどうにかしようとマカロンの袋を開けて食べた。

実に動揺しているけれど、マカロンは美味しい。

さく、というか、さゃく、みたいな独特の食感とフランボワーズの甘酸っぱい香りが口いっぱい。

ごくん、と飲み込んだ時、父さんは静かにこう言った。


「……シウちゃん。父さん、邪魔?」


「………………うん」


 少し考えてから、はっきり、答えると父さんは、がっくり、とした様子で私にハグしてきた。


 わー……いつもの面倒なやつ、きたー……。


 父さんは私や母さんに冷たくされるとこうやって、甘え? てくるのだ。

すがる、とも言える。

でっかいのが、のっしり、と、けれど優しく温かいので嫌いではないのだけれど、誰かに見られるのはちょっと、というこの状態だ。

とりあえずどうにかしなければ、と私は父さんの大きな背中をタップするように軽く叩いた。


「あのね父さん、私にも付き合いというものがあるの。だから──」


 そう言っていた時、後ろから腕を掴まれて父さんから離された。

誰? と振り向くと。


「──何してんだ、おっさん」


 男子だった。

そして今度は私が男子に肩を抱かれていて、ハグされているような、そんな状態。


「あ、調理室で会った子だね」


「そうっすけど、今の何すか? 何してんすか? 生徒に手ぇ出すとか」


「ん? 手?」


 ああ、クサカ君、勘違いなの。

えと、だから。


 とりあえず私は男子の胸をそっ、と押して離れて、父さんの隣に立った。


「クラキ、お前何し──」


「──お前?」


 はい、父さん静かに。


「──こちら、私の父です。親子なの」


 父を紹介すると、理解していく男子の目が徐々に開いていった。

口も開いていって、驚いている。


「そして父さん、こちら──」


 ……何て言えばいいのかしら。

んーと、んーと……えーい。


 父さんの隣から男子の隣へと立ち直して、その制服の袖を軽くつまんだ。

男子と目が合って、再度、えーい。


「──こちらクサカリョウ君、私の……、です」


 言っちゃった。

ちょっと照れる。

恥ずかしいから残りのマカロンを食べた。

さゃくさゃく、美味し。


 それから二人はほぼ同時にこう叫んだ。


「…………はい!?」


「…………はい!?」

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