第102話 ラング・ド・シャ(後編)

「──……それ、くれるんじゃねぇの?」


「はいっ、お詫びのお菓子ですからー」


 実習棟、三階の端っこの天文部で俺は、カトウの彼女であるムギさんにそう聞いて、返答を聞いて、見ていた。

ムギさんはそのお菓子を俺にくれる事なく席について、ひとりで食べ出したからだ。


「あのー……ムギさん?」


「呼び捨てでいいですよー。ちゃん付けは言いにくいですかね? ムギ後輩とでもどうぞー」


「……ムギ後輩は、何で食ってんの?」


「だってあたしの分もこん中にあるんですもん。せっかくなんでお喋りしながらもいいかなーって」


 今ならオレンジジュース付きでーす、とムギ後輩は笑う。

あまりも何も、全然喋った事のない先輩である俺を前に、ここまで自由に人見知りもせずに凄いな、と感心する。


 ……俺の周りの女ん子は変わった奴が多いのは何でなんだろうなぁ……。


 まぁいいか、とムギ後輩が座る前の席に腰を下ろす。

天文部にはさっきまでアオノという一年の後輩がいたけれど、ムギ後輩と交代するみたいに掛け持ちに部活に行ってしまって、二人きりだ。

気まずさが体を固くさせる。


「どーぞ食べてくださいなー」


「い、いただきます」


 何だっけこれ、ラングドシャ、だっけ。


 一枚取って半分食べる。

ざらっ、と、ざくっと、すぐにほぐれる薄いクッキーは結構好きで、あっという間に食べてしまう。

オレンジジュースも有り難く頂き、ストローを挿そうとした時──。


「──クサカ先輩、あれからどーなったか教えてくださーい」


 と、ぶっこまれて、挿したストローからもオレンジジュースがぶっ飛んだ。


「は、はぁ?」


「ティッシュティッシュ。んと、どうこうしようとかはないです。単純な興味本位と無言の気まずさをどうにかしよっかなって話の振りです」


 確かにムギ後輩達のおかげというか、そういうのも手伝って、一歩進んだような、進めてないような、そんな風になったわけで、それに気まずいのはお互いそうだったとわかったので、その提案にのる事にした。


「……おかげ様で──」


 ──続きが、詰まった。

上手くいったと思っていたけれど、俺と女子はそうじゃなかった。

それは結構前に、まだこういう感じになる前に話していた事で──お互いが、欲しいやつ、で。


「──半歩、進んだ、ような」


 苦し紛れの喜びに変えた。


「よかったです! けしかけといて何ですけれど、これで半歩でも戻るような事になってたらパンツでも見せて許してもらうしかないかなって思ってました!」


 笑っていいんだかわからない返しに困った。


「半歩でも前は前ですもんね!」


「……ありがと、な」


「いいえー。そんで何で半歩なんですか?」


 本当に、さらっ、と、ずばっ、と聞いてくるムギ後輩は、ざっくざく、とラングドシャを食べている。

俺も食べないとなくなりそう、と手を伸ばした。


「……ムギ後輩は、さ」


「へい」


 さくん、とシンプルなクッキーの甘さが口の中に広がる。


「カトーと付き合う時ってどっちから……こ、告白みてぇなの、した?」


 こっちもシンプルに聞いてみた。


「あたしらは同時でしたよー」


 いっせーのせっ、っていう掛け声もなくどんぴしゃで同時でした、とムギ後輩は言う。

ちゃんと告白とかしてるんだな、と舌を巻いた。


「入学式の次の日に、何かお互い気になってて、すっごい目が合うなーとか思ってて。あ、同じクラスなんですけれど。そんで直感? 信じて、告白うべ! って構えてたらカトーも同じで。付き合う? 付き合う! みたいな」


 そんな事があるのか、とにわかに信じがたいけれど、目の前の後輩が真実。


「ってか、何でそんなん聞くんですか? 他人ひと他人ひとじゃないですか?」


 ぎくっ、として舌を噛みそうになった。

ムギ後輩はそんな動揺に気づいたか、でっかい目が増々でっかく開いて、机に身を乗り出して近づいてきた。

俺は椅子の背もたれよりも背を反って、逃げれないけれど、逃げた。


「……マジっすか先輩、マジっすか先輩!!」


 に、二回も聞くでないっ。


「あの状況で雰囲気とか勢いとか、そーゆーのは!?」


 近い! 顔が近い! 声もでかい!


「い、いいいい言うタイミングがなくてだな! その、──」


 ──あっぶね! 言うとこだったぁ!!


 俺はムギ後輩の肩を少し押して座らせる。

ジュースを飲んで落ち着こう。


 あの時は女子が終始オフェンスというか、そういう感じで俺は受けるしかなくて、でもちゃんと言った。

よろしく、って。

けれどこれはこれで、そうじゃない。


「……だよなぁ、そうじゃないよなぁ」


 声にも出て、ムギ後輩が、何言ってんだこいつ、みたいな目で俺を見ている。

なるほどカトーの彼女だ、という目でもあって、何か言いたげでもあった。


「……言ってどうぞ?」


「んー、んー、じゃあ言います」


 俺は頷く。

今更何を言われてもという間柄だ。


「あたしが言うでもなくわかってるくせに、再確認のために言わせるのはどうかと思いますなー」


 ……すいません。


「っていうのもありますけれど、それは別にいいです。気にしません」


 ありがとう、です。


「まぁもうクサカ先輩はわかってるみたいだし、あたしなりの助言だけ言いますわ──甘えるのもいいですけれど、のも、いいんじゃないですかー?」


 と、ムギ後輩は痛いような、痛くないような、やっぱり痛い事を言ってくれた。

俺が俺ばっかりっていうのを見抜いてのアドバイスだ。


「にっひっひ! 女の子は欲張りなんですよ! クラキ先輩なんかモロにそうじゃないですか?」


 ……うん、うん。


 いつの間にか最後の一枚になっていたラングドシャは、女の子であるムギ後輩が断りもなく、食べたのだった。

俺を甘やかす事なく、さくっ、と。

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