第97話 バーチ・ディ・ダーマ(前編)

 ──どうして、追ってくるの?


 私はゆっくり歩いていた。

気分転換も兼ねて、少し散歩でもしていれば、男子が帰るかな、と思って。

けれど遠くから私を呼ぶ声がして振り向くと、男子がいて、走ってきた。

だから私も、走った。

男子はクラスの順位では真ん中くらいのタイムだった覚えがある。

私よりもずっと早いのは確実だ。


「──……コセガワ君っ!」


 生物部のコセガワ君を見つけた私は、その腕を掴んで荒い息を落ち着ける。

コセガワ君はジャージ姿で、これから旧校舎に向かう、戻る? ようでその道──長い長い階段の一番下にいた。

見上げた階段は急な坂のようにも見えて、これから上らなきゃと思ったらもう気が滅入った。


「あれれ、クラキさんどうしたの? 深呼吸深呼吸」


「いいから、ちょっと、協力してっ。後ろの、あれっ、足止めしてっ」


 コセガワ君は男子に気づいて、どうやら状況もすぐに把握してくれた。


「鬼ごっこかな? じゃあ、ちょっとだけね」


 ふざけたのも良い冗談で、前にエクレアご馳走になったしね、と引き受けてくれた。

それから私は焦りながら階段の上を指差す。


「ノムラさんっ、いるっ?」


 この学校の旧校舎は小さな木造の校舎がひと棟。

記念として残していただけのところを、ノムラさん達生物部が先生方の許可を得て、部室として利用していると前に聞いていた。 

少し改造したりと自由にもしていると。

私が行くのは初めて。


 まだ荒い息の中、私は階段を上がる。


 ※


「──コセガワ、ちょっ、何!?」


 僕は女子に言われた通りにクサカの前に立ちはだかっている。


「足止め係一号でーす」


「はぁ?」


「何があったかは知らないけどさ、女の子をそんな顔で追いかけるのはどうかと思うよ?」


 クサカは必死で、疲れていて、怒っているように見えて、興味が沸いた。


「鬼ごっこ中?」


 その前にクラキさんと同じようにクールダウンな質問を一つ、そして階段の二段目に腰を下ろして通せんぼする。

クサカは階段を見上げては僕を見下ろし、ふぅ、と息を整えている。

きっと僕は本当に邪魔だろう。


「そうじゃなくて、俺──」


 クサカはまた階段を見上げて、言った。


「──謝りたく、て」


 声が真剣だった。

なのでからかわない方が良さそうだ。


 んー……逃げているのはクラキさん──いや、逃げていたのはクサカの方で、今は逆になった、ってとこかな。


「……じゃ、行こっか」


 僕は立ち上がって尻を叩いた。


「え、いや、俺ひとりで──」


「──部室に戻るとこ。方向は一緒」


 道は階段だけ。

それまで良い感じの役得感に僕は少しだけ笑った。


 僕とクサカは階段を上がる。


 ※


 もう少しが、遠い。


 何なのこの階段、と私は途中途中、足を止めながら階段を上がっていた。

振り返って下を見れば男子がもう来ていて、コセガワ君と階段を上がり始めている。

足止めが短くないかしら、と軽く舌打ちしてまた前を、上を見た。

その向こうが、見えない。

足元を見ながらまた一段上がった時、こう思った。


 見えない向こうは、今の私みたい──なんて。


 進みながら思い返す。


 私、どうしてこうしているんだろう。

逃げるなんて、本当は逃げてるわけじゃなくて……どこにいていいか、わからなくて。

違う違う、私、わかってる。


 ──臆病者なだけだって。


 目を逸らしたのは私の方。

私の中がぐちゃぐちゃしているから。

だから、誰かに聞いてほしくて──。


「──あんれー? クラキさんどったのー?」


 あと数段という時、ノムラさんが気づいて手を振っていた。

着いた先に見えたのは、まずは畑で、その奥に木造の旧校舎。

その間に、聞いてほしかった誰か──ノムラさん。


「……遊びに、来ちゃった」


 そう言った時、ノムラさんはゆっくり手を下ろした。


 ※


 俺はコセガワを階段を上がっている。


「──深刻そうな顔だねぇ、クサカ」


「……別に、そういうんじゃねぇ、ような」


「あるんだ?」


「……コセ、お前察し良すぎ」


「よく言われるー」


「……聞かねぇの?」


「うん。僕は察し良くても優しいわけじゃないからねー」


 あと数段というところで俺は、ぐさっ、ときた。

今のコセガワの言葉は俺にとって鋭く、痛い。


 俺は優しくされたかったわけじゃない。

楽になりたかったわけじゃない。

けれど結果、そっちの方に進んでいた。


 けれど──けれ、ど。


 俺はポケットに手を入れて、目線に見える地面を線に見た。


「なぁコセガワ」


「うん?」


 隣のコセガワは二段先を上がっている。


「──待てない時ってどうする?」


 するとコセガワは笑いながら、いつもの調子で、緩くも確信をつくような、優しいようで難しい、俺自身がわかっている事を言ってくれた。


「そりゃあ、いっちゃうでしょー」


 俺は一段飛ばしで階段を上がる。


 ※


 私は旧校舎の生物部の部室にお邪魔している。

真ん中にある大きなテーブルについて、周りに目移りしていた。

素敵な部室に驚いているのだ。

瓶にささっている花や小さなサボテン、天井から下げられたドライフラワーがたくさんあって、部室というよりはアトリエ、という感じだ。

シンクもあって冷蔵庫もあって、食器棚もある──ノムラさんの好き勝手が窺えて面白くもある。

良い匂いの部室は窓から風も入ってきて、とても気持ちが良い。


「──どぞ」


「こっ、珈琲とお菓子、ですっ」


 生物部の一年生の二人がそれぞれをテーブルに置いた。

背がうんと高い男の子と、背がうんと小さい女の子だ。

ノムラさんが紹介してくれる。


「タチバナちゃんとチョウノちゃん。アタシらの後輩」


 背がうんと高い男の子は、立花太陽タチバナタイヨウ君。

少し長い前髪に、少し無表情? から出る重低音の声が素敵。

背がうんと小さい女の子は、蝶野千草チョウノチグサさん。

ゆるく癖のついた髪と、人見知りのおどおどした感じが初々しくて可愛い。


「ありがとう。いただきます」


 そう言うと二人は軽く会釈して、シンクの方へ戻っていった。


「とりあえず食べよ。アタシらも休憩するとこだったんだー」


 ……ノムラさんは気持ちの良い人。

言わなくてもわかってくれるような、そんな人。


 その優しさに、私は甘える。


「……ノムラさん、どうしよう。私、今ね──」


 ──私は、懺悔のような告白はなしを始めた。

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