第95話 フラッペ&カプチーノ(前編)

 実習棟の二階、真ん中の書道部の扉の前で俺は深く、深く、深呼吸をする。


 結局放課後になっちまった……。


 教室ではすぐ真後ろが女子の席だけれど、振り向けば話なんですぐ出来るのだけれど、なのに、何故か、俺は振り向けなかった。

うだうだ、と机に突っ伏していたらあっというに今、放課後になってしまった。


 ……よし。


 こんこん、と二回、控えめにノックした。


「──はい」


 中から女子の声がして、扉を開けた。

他の書道部の人達はいなくて、ひとりだけ、見えた。


「……よ」


「どうしてクサカ君がここに?」


「ん、陣中見舞い」


 俺は手に持っている紙袋を掲げた。

その中には二つ、お菓子っぽい飲み物が入っている。


「ごめんなさい、散らかってて」


「ほんとな」


 文字が書かれた紙が女子を中心に広がっていて、入っていいものか、と躊躇するくらい散らかっていた。

俺は後ろ手に扉を閉めたものの、まだ動けない。

すると女子が立ち上がった。


「こっちに」


 それは教室のいつもの位置。

廊下側の、一番後ろの席。

自分の体の前に組んだ手を伸ばす女子は、ふーっ、と伸びをしながら息をつく。


「……どう? 依頼のやつ」


「ご覧の通りよ」


 愚問だったか、女子は、ふっ、と笑ってみせた。


「間に合う?」


「ええ、合わせるわ」


「何か、かっけぇ」


「当然よ。引き受けたからには私の都合は二の次」


 都合──何の、都合?


「──早く見舞いの品をくださいな?」


 あ、と俺は袋から出した。


「クラキは濃い珈琲の方」


「かたじけない」


「ふっ、何だそれ」


 恐れ多い、という意味の、どういう意味──。


「──あなたも色々忙しいのに、わざわざ」


 自分のモカのフラッペ&カプチーノを取り出していた手が止まった。

棘があったからだ。


 色々って……色々だけれど、今の、聞かれてるのか?


「今日はいいの?」


「……何が?」


「白々しいわね」


 白い生クリームにストローが突き刺さっている。

女子の目も俺を突いて、刺してきた。


「いただきます」


「……ん」


 ざらざら、とした冷たくも苦い味が俺の口を冷やす。

生クリムも一緒に、とストローを上下に動かして、ぐりぐり、と回しながら混ぜた。


「美味し。お腹空いてたから余計に」


「最近、なかったもんな」


「ええ」


 女子はストローから口を離さない。


「──


「そう」


 何が、とか、そういうのがなくて俺は固まってしまった。

いつもだったらぶつかる横目もぶつからない。

女子は俺ではなく、散らかった部室を見ていた。


「……聞かねぇの?」


「言いたいの?」


 返答が早くて困った。

いや、怖気づいた。


 女子は知っている。

俺がした事──しでかした事。

多分カトウが話したのだと思う。

それでなくても、いつかは知ったと、思う。


 俺は本当に今更に、今、気づいた。

見なきゃいけなかったものは、何かを。


「──私はクサカ君が何を言いたいのかわからないわ」


「は、はぁ? 何──」


「──何の事だか、さっぱり」


 女子は左耳に髪を掻き上げた。

これは嘘をつく時の女子の癖だ。

けれど俺はこの嘘に返答する。

返答しなきゃ、と思った。

話を、したかった。


「……部活の後輩と、出かけたり、してた。その……期間限定の、そういうの」


 俺もモミジちゃんも、お互い了承して始めて、そして終わった。

なのに何でこんなに言いにくいんだろう。

後ろめたいような、ざらつくような、そういうのが言うべき言葉を邪魔してくる。


 すると女子は、こんっ! とカップを机に置いた。

それは少し力が強くて、瞑りかけていた俺の目を開かせる音だった。


「それは、


「……は?」


「クサカ君は私にそれを聞かせてどうしたいの?」


 俺に振り向いた女子の目は、しっかりと俺を見ていた。


「……何なの? あなたは──いいえ。


 女子の目が、徐々に置いたカップみたいに、濡れだした。

そして潤んで、泣いていると、気づいてしまった。


 俺は、クラキに──なのに、こんなの。


「……あまり私をかき乱さないで」


 そう言った女子は荒らしく席を立って、部室を出て行った。

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