第82話 マドレーヌ(後編)

 今日の本は小学生の頃に読んだ事がある児童小説で、とても久しぶりに読み返している。

こんなに平仮名が多かったかしら、と、すらすら、ぺらぺら、と読んでは次々ページを捲っていく。

恥ずかしがり屋の魔女さんが近所の子供達のために料理を作る、というお話で、挿絵も可愛い。

外国風のお鍋は大きな木製のスプーンに憧れたものだわ、と懐かしくも新しく、またページを捲った。


「……あのぉ」


「何かしら」


 私はもう前を向いていなくて、横向きに座って足を組んでいる。


「……すんません、余計な事、言いました」


「そうね」


 やっとわかってくださったようだけれど、すでに遅い。

私の逆鱗に触れてしまったのだから。

その罪は盗み食いよりも最後の一口よりもずっと重い。


「でも、その……あー……」


 今度は何を言おうというのか、軽口だったらどうしましょう──。


「えと……太ってても構わねーって思う!!」


 ──ぶっとばす。


 私は携帯電話を取り出して画面をタップする。

ライーンからミッコちゃんを選択して、たたたたっ、と文字を打った。


『ミッコちゃん、今からお電話いいかしら』


 ハートマークもつけて、緊急、という文字も添えて送信。

既読はすぐだった。


『いーよー』


 もう一件もすぐに届いた。


『あんた相変わらず文硬い』


 二件目を無視した私は電話をかけて、未だに椅子の上で正座する男子を正面に見た。

頬杖をついて、静かに、上目で少々睨む。


 数コール目、ミッコちゃんと電話が繋がった。


『はいはー、どうしたー? 電話なんて珍し──』


「──ミッコちゃん、私って太ってるかしら?」


『はぁ?』


 すると男子が割り込んでこう言った。


「ミッコォ!?」


 男子の大声の驚きと前のめりに、私は淡々と注意する。


「静かにしなさい愚か者」


 この男子とのやり取りも聞こえているミッコちゃんが察したようだ。


『……あー、わかった。とりあえず、どういう経緯か簡潔にお願ーい』


 簡潔との事で、マドレーヌを食べた、とても美味しい、豆腐使用、さっぱりした感じは一味違う、とミッコちゃんに教える。

そして重要項目。


「──カロリーを口にしたの。この愚か者が」


『よーし、ぶっとばせー』


御意ぎょい──」


「──ちょいちょい、ちょいと待ったぁ!」


 煩いわね、と思ったら男子が携帯電話を貸せ、と手でうるさく示してきたので、愚か者と変わるわ、とミッコちゃんに伝えて携帯電話を渡した。


 さぁて、どうぶっとばそうかしら。

デコピンは結構効果的だったわね。


 デコピンの素振りをしている間、ミッコちゃんは色々早口で男子──おっと、間違えたわ。

この愚か者をまくし立てているようで、その声は電話と耳に距離が必要らしく、私にもその声は漏れ聞こえている。

詳細までは聞き取れないのだけれど、一体何を言われているのかしら。


「……ほい、お前に代われって」


 男子から携帯電話を返してもらった。


「もしもし」


『はいはーい。色々言っておいたー』


 それは、がっくり、と項垂れている男子を見てわかる。

ミッコちゃんの色々は効果抜群だったようだ。


『そんでさ、今度の日曜、遊び行こー』


「え?」


『あたしとシウと馬鹿の三人で!』


 馬鹿って、男子? どういう経緯で?


『美味しいパフェ屋があるんだけど──』


「──行くわ」


 即決。


「ええ……いいわね、うん、楽しみにしてる。うん──えー……わかったわよ、はいはい。またね、ミッコちゃん、ありがとう」


 なんのなんのー、と言ってミッコちゃんは通話を切った。

嬉しい事に遊ぶ約束付き。

おまけにパフェですって、るん。


「……なぁ、何したら許してくれる?」


 正座男子が私を窺っている。

反省はしているようで許しも請うてきた。

ミッコちゃんはこう提案した──クサカが嫌がる事をお返ししてやんなよ、と。

首を傾げて私は考える。


 ふぅむ……あ。


「……正座のままで手は膝の上に」


「へ、へい」


 私はウェットティッシュで手を拭いて、男子が食べかけていたマドレーヌを手に取った。


「はい」


「えっ、あ?」



 男子が嫌がる事は、それは私が喜ぶ事とイコールでなければならない。


 良いアドバイスだわミッコちゃん、グッジョブ。

だって男子の顔、凄く困っていて、しかも真っ赤に燃焼中なんだもの。


 私は男子の口にマドレーヌを近づける。

さっさと召し上がりなさい、この愚か者。


「……くっ、食えばいいんだろ! 食えば!」


 ふふっ、一口が大きいわ。

早く食べてしまおうという腹かもしれないけれど、そうはさせない、と私はもう一つのマドレーヌを取って袋を開ける。

男子は咀嚼したまま、マジか! と驚いている。


「美味し?」


 男子はぎこちなく頷く。

それではもう一つ、と私はまたマドレーヌを近づけた。


「はい、あーーーーん──」


 ──あ、指も、食べられた。

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