第44話 エクレア(後編)

 学校の裏門から出たところの通りにある小さな洋菓子店──の近くの公園にある屋根付きのベンチに私はいる。

さっきまで──さっきから、雨が強くなってきたので小休憩中だ。


 ああもう、靴下びちゃびちゃ。


 ざーざー、と雨の音がする。

学校を出た時よりも強くなるなんて、けれど雨は嫌いじゃない。

濡れなければの話だけれど。


 ちゃんと勉強しているかしら。


 いつもならじゃんけんで買い出しを決めるのだけれど今日は特別。

私が進んで買い出しを買って出た。

ばさっ、と閉じた赤い傘のワンタッチボタンを押して、開いて、雨を弾く。


 居眠りしてないかしら。


 なんて、男子のテストがどうなろうと別にいいのだけれど、教えた分くらいは成績に反映してもらいたいとは少し思うわけで。


「……冷た」


 濡れた革靴の爪先を見ていた時、こちらに走ってくる透明の傘が見えた。

その中には見覚えのある顔があった。


「──コセガワ君?」


 同じクラスの、古世川幸太朗コセガワコウタロウ君。

物腰が柔らかくて、皆に優しい人というクラス共通の印象で、赤い縁の眼鏡をしている。

その奥の目と目が、合った。


「あれれクラキさん、こんなとこで雨宿り?」


「ええ、雨がひどくて──あなたも随分濡れてるわ、中へ」


 ありがと、とコセガワ君は透明の傘を閉じてエル字型のベンチにバッグを置いた。

私も倣って紙袋を置いて、その隣に腰掛ける。

やっぱり我慢出来ない、と濡れた靴と靴下を脱いだ。


「あ、僕も。気持ち悪いよね」


 コセガワ君も靴下まで脱ぎ出した。


「買い物?」


「え?」


「バッグ持ってなくてそこのケーキ屋さんの紙袋持ってる」


 ああ。


「そう言うあなたは……いつもいる人と一緒じゃないわね」


「そ。忘れ物取りに戻っちゃった」


 コセガワ君はノムラさんといつも一緒にいる。

二人は幼馴染だと聞いた事がある。

同じクラスで、同じ部活。

そして学年首席と次席──彼が次席。


 私と男子とは、違う感じ。


「タオルどうぞ」


「いいの?」


「二枚あるから」


「なら遠慮なく。洗って返すわね」


 いいのに、と言ってくれたけれど、さすがに足を拭いたタオルは恥ずかしい。


「──ねぇ、エクレア好き?」


 と、コセガワ君は、いいの? と聞き返してきた。

さっきと逆で少し笑ってしまう。


「ええ、四つあるしタオルのお礼に。それにただの雨宿りじゃ味気ないじゃない?」


 やや小さめのエクレアを紙ナプキンで挟んで渡す。

チョコレートがやや艶めいていて、側面にはコーヒークリームが覗いていく。


「なら遠慮なく。いただきます」


「いただきます」


 ……うん、軽いシュー生地にややほろ苦いコーヒーの香りと上にかかっているチョコレートの甘さ、美味しい。


「ん? チョコレートの方を下にするの?」


 ごくん、と飲み込んでから教えてあげる。


「舌でチョコレートが溶けて美味しいの。ちょっと変わるからおすすめよ」


「へぇ、さすがお菓子マニア」


「え? 私そんな風に言われてるの?」


「言われてないとでも?」


 言うじゃない。

というか、こういう少し冗談交じりの茶化しをしてくる人だったっけ、と面白く思った。

それと毎日のようにお菓子を食べていたらそう認識もされてしまうか、と納得もする。


「あ、ほんとだ。チョコ下の方が僕も好きかもー」


 でしょう? 見栄えが少しあれだけれど。


 私達は雨の公園のベンチで、革靴の上に裸足を放り出してエクレアを食べている。

変な感じ、不思議な感じ、雨に囲まれているせいだろうか。


「──最近よく笑うようになったね」


 そう? と軽く肩を上げてみせる。


「うん。良い感じ」


 ……そっか。

今の感じも多分、良い感じ、というやつなのかしら。


「──ねぇ、コセガワ君」


 ちょっと聞いてみましょう。


「……好きになるって、どういう感じ?」


 コセガワ君は咀嚼を少し止めて、こう言った。

二人は、どういう感じなのだろう。


「……雨、みたいな」


 雨。


「それで……たまに、こんな感じ──」


 ──と、タイミング良く雷が落ちた。


「大丈夫?」


「え、ええ。びっくり──」


「──そんな感じじゃないかな」


 、とコセガワ君は柔らかく微笑むのだった。

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