第36話 いちご飴(後編)

 ──忘れたりなんて、しない。


「──四本も買うの?」


「はい。父と母もいちご飴すきなのでお土産です」


 いちご飴は赤くて艶めいていて美味しそう。

ビニールが被せてあって、青とピンクのビニタイがしてある。

割りと大きめのいちごは一粒で、薄い飴は食べやすそう。


「優しいね。もう一本は?」


 カジさんも自分の分を一本買っている。


「明日の私にもう一本です。好きなので」


 そう言うと少しを置いてから微笑んだ。


「買ってあげる」


「え、あの──」


「──少しは格好つけさせてくれると嬉しいんだけどな?」


 そう言われては引っ込めるしかない。


「じゃあ……ご馳走様、です」


 はい、とカジさんはまた微笑んだ。

すると出店の叔父さんは持ちやすいようにと、金魚すくいの袋に三本、いちご飴を入れてくれた。

ふと、前にもこんな事があったなぁ、と思い出した。

その時カジさんはいなくて、姉さんがいた。


「──はい、落とさないようにね」


 こんな風に渡してくれた。


 カジさんは私にとって、お兄さんみたいな、人。


「……ありがとうございます。あの──」


「──思い出すね。の事」


 それは唐突だった。

まだ、準備が出来ていなくて私は目を見開く。

他のお客さんが来たので少し避けて、私達は、どこ、というわけもなく歩き出した。


 からん、ころん、からん、ころん。


 音がする。

一歩前に、進む音。


「……カジさん」


 いちご飴を見ながら声を出した。


「カジさんは……まだ姉さんを好きですか?」


 カジさんを見るといちご飴を半分咥えていて、そして唇を舐めてからこう言った。


「……これからも好きだよ」


 見た事のない顔がそこにあった。

提灯の灯りで逆光になっていたからかもしれない。

優しくて、とても、寂しい顔だった。


 久良木結羽クラキユウ、私の姉さん。

三年前の今より少し前、事故でこの世を去ってしまった。

先に、行ってしまった。

私達家族を残して──恋人のカジさんを残して。


 カジさんはずっとずっと、姉さんを想っていた。

けれど、もう──。


「──いちご飴好きだったよな、ユウちゃんも」


「……はい」


 薄い飴は軽く歯を当てただけで、かりっ、と音を立てる。

私はまだ割らないように舐めた。

甘くて、いちごの香りも甘い。


「今日はついてきてくれてありがとう。情けなくてごめんね。やっぱり格好悪いな、俺」


「そんな事思いません」


 私は、ぴしゃり、と言った。

だって私も来れなかった。

ここは、姉さんを思い出してしまうから。


「私こそカジさんと会わなかったら、これ、もう食べれなかったかもしれない」


「……俺もだよ──」


「──でも、今日からまた食べれますね」


 そう言うとカジさんは数秒、目を瞑った。


 今日、このお祭りでカジさんは前に進む。

一歩一歩、からん、ころん、と音を鳴らせて。

いちご飴と一緒に姉さんを──胸に仕舞しまう。


「……ごめん」


 カジさんはまだ目を開けない。

きっとまだ仕舞っている最中だから。

私はその手に触れた。

私にはいなかった兄さんのような、大人の男の人の手を。


「姉さんは仕合しあわせだわ」


 良い事も悪い事も、全部。


「ふっ……だといいなぁ──」


 ──だから笑いなさい、カジ。


 驚いたカジさんの目が開いた。

私は顔を背けて、姉さんならこう言うだろうな、と真似してみたのだ。

自分で言うのも何だけれど、かなり似てると思う。

二人が出会った頃の年齢に、私はもう届いてしまっている。


 この浴衣も、ぴったりになってしまった。


「……こっちを見ないで」


 私の顔を覗き込もうとしてきたカジさんを止める。

今の私は見せられない。


「でも──」


「──私は姉さんじゃない。平気です。自分で、歩くの。だからカジさんも……」


 さようなら。


 もう今みたいな出会いは、しない。


「ありがとう……シウちゃん」


 最後に私の名前を呼んだカジさんは、手を軽く握り、離して、その場を後にしたのだった。


 ──ああ、いちご飴、美味し……。

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