第35話 いちご飴(前編)

 ──からん、ころん、からん、ころん。


 久しぶりに聞こえる下駄の音が楽しい。

私は足の指を見ながら、かこん、と下駄のかかとを落としてみた。


 ……うん。

伝わってくる音の振動、好きだわ。


「──大丈夫?」


「え?」


「疲れたかなって」


「いいえ。音を見てたの」


「……相変わらずだね」


 その緩んだ目元を見上げた私は、ふふっ、と笑った。


「そっちこそ相変わらずですね──カジさん」


 梶望カジノゾミさん。

四つ年上の大人の男の人で、短髪で穏やかな目は


 後ろで囃子がにぎわっていて、前がおごそかな神殿。

少し左側に並ぶ私とカジさんは、お祭りに来ている。


 ※


 先日、私はカジさんと会って久しぶりに色々と話をした。

一人になってしまった喫茶店で、対面に座ってくれて、その時、このお祭りに誘われた。


 一緒に行ってくれないか、と。


 行く予定はなかったけれど、行かない理由はなかったので了承した。


 ……いいえ、これは私達には大事な事かもしれない。


 ※


「──鳴らすね」


 カジさんが鈴を鳴らす。

それから二礼二拍手。

私は目を瞑って、手を合わせたまま誓う。


 こうやって誓うのも久しぶりだわ。

前は──もう、三年になるのね。


 と、名前が呼ばれた。

カジさんはもう目を開けていて、私の顔を覗いてくる。

薄目でそれを見た私は言った。


「まだ誓い中なので覗かないでください。スケベ」


「え、えー……ごめんなさい」


「ふふっ、冗談です。行きましょう、人が多いわ。神様もスムーズな方がきっと好きでしょうし」


 私はさらに左に移動する。

カジさんも参道より端の方に避けて、後ろに並んでいる人の多さを眺めた。

皆、神様にお願い──誓いを言いに来ている。


「何か食べようか。お腹空いてる?」


「はい。むしろお腹空かせてきたので」


「ははっ、それも相変わらずだね」


 カジさんは背が高い。

父さんには及ばないとしても平均よりはずっと高い。

それに今日は浴衣を着ている。

暗いグレーに黒の帯。

洋服の時も背筋が、ぴん、としていて格好いい人だけれど今日は一段と──。


「──何かついてる?」


 見上げて、見つめてしまっていたカジさんがまた緩く笑った。

細目がとても、大人っぽい。


「……いいえ。何でも──あります」


 正直にこう言った。


「大人っぽくなったなって見てたんです。会わな──


 出店に行ってあれやこれやと空腹を満たしたいのもあるけれど、話さなければならない。

きっとカジさんは、、を待っている。


 カジさんは寂しそうな目に変わって、歩き出した。


「いちご飴、食べようか」


「……はい」


 少しの階段のところでカジさんは止まって、手を差し出してくれた。

浴衣の私を気遣ってそうしてくれる。

全然平気だけれど、私はその手に手を乗せた。


 大きくて、大人の手は握る事を躊躇しない。


「浴衣、可愛いね」


「浴衣、ですか?」


 少し皮肉ってみる。

きなり色に赤と黒の金魚が泳いでいる浴衣に黒い帯、赤い結び紐には透明のとんぼ玉。

私の──お気に入りの浴衣。


「まさか。似合ってるよ」


 それは──。


「──


 言い終わってから、言いながら、言い始める前から私は、しくった、と思った。

言葉選びを間違えた。

これは皮肉にならない。


 カジさんは笑みを失くして、するり、と私の手を離した。

階段から下りた下駄が、かこん、と鳴る。


「……どっちも似合ってるじゃあ、駄目?」


 上手く返してくれた。

考えてか、元からの優しさか。


「……いいえ。今のは私が軽率だったわ。ごめんなさい……私の方が似合ってるわ」


 強がって返した。


 三年前と今──姉と、私。

もう、隣に並べない。

比べられない。


 カジさんは──姉の恋人だった、人。

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