第9話 ドーナツ(前編)
「──今日は新品のティーシャツなのね」
机を挟んで隣に座る女子は、ドーナツの穴を通し見ながら言った。
放課後の教室の窓際、一番後ろの席で俺は今まさにドーナツを食べようとしていた口のまま振り向く。
「……出た。エスパー」
「何よそれ」
女子はドーナツを齧った。
口の端についたドーナツの欠片も、ぺろり、と舌で舐め取る。
しかし何故わかったのか。
今日は暑くて制服のシャツを抜いでいて今はティーシャツだけれど、いつもは襟元くらいしか見えないので色くらいしか言えないはずなのに。
女子は冷たい牛乳をストローで飲む。
「──うん。やっぱりドーナツには牛乳だわ」
それは俺も同意する。
「で、なんで新しいのってわかったわけ?」
女子は自身の首の後ろを指した。
何だ? と思って俺も振り向くけれど何もなく、ドーナツを口に咥えて両手で首の後ろを触ってみた。
あ、これか。
「外してあげましょうか?」
筆箱から、カッター。
ちきちき、と刃を出された時、俺は思わず眉をひそめてしまった。
後ろ取られたくねぇなぁ……。
「失礼ね、首は切らないわよ」
エスパー確定。
仕方なしに女子に背中を向けて机に肘をついて後ろのめりになる。
そしてドーナツを一口、牛乳一口、美味い。
「髪、伸びたわね」
「そ?」
後ろ首に女子の指が少し当たった。
一瞬のくすぐったさに俺は、びくり、としてしまった。
「──はい、取れた」
ほっ、としつつまた女子と同じく横向きに身体を戻す。
女子の手にはタグがあった。
朝、慌てて着てきたために外すのを忘れていたようだ。
「さんきゅ」
「どういたしまして。このお店って確か──」
隣街の買い物通りのティー路地の角にある店、と教えると女子は、あの黒い服ばかり取り扱うお店ね、と言った。
「へぇ、お前もあそこに行くのか」
「いいえ、隣の喫茶店が目当てなの」
ダークチョコレートのカップケーキが、マジヤベェ、そうで。
「ははっ、マジヤベェって」
俺が笑うと女子も、ふふっ、と笑った。
今日は機嫌が良いようでまだ、ちきちき、とカッターの刃を出し入れしている。
早く筆箱に入れてほしい。
「あとドーナツの穴も美味しかったわ」
「へぇ、珍し」
聞けば、一番最初にドーナツを頼んだお客に出されるんだとか。
ドーナツは何個もあるのに、穴は一つだけらしい。
「ないと思っているものが見えるなんて、嬉しいと思わない?」
三日月の形になってしまったドーナツを掲げてみた。
確かにドーナツはもう穴が開いているものだし、その穴の元を見た事はない。
ドーナツの穴の欠片から女子が見える。
ドーナツを食みながら膝の上に置いた小説を読んでいる。
何を読んでいるかは知らない。
それでなくても、俺は女子のほとんどを知らない。
「クサカ君」
ふいに呼ばれた。
「な、何?」
「タグ、貰っていいかしら」
「別にいいけど、何で?」
栞代わりにするの、と女子は二つついていたタグの一枚を手に取った。
黒くて、店の名前が書かれた方だ。
そして女子はそれをページに挟んで本を閉じた。
「さすがに内臓が飛び出すシーンを読みながらは食べにくいわ」
おぉ……。
なんてとばっちりだ。
わざわざ聞かされるなんて、と牛乳を飲みながら睨んでやる。
どうやら女子はグロテスクなホラー小説でも読んでいたのだろう。
閉じられた本の表紙は白い羽のイラストで、まさかそんな内容とは思えないのに。
「あら、これストロベリーが練り込まれてるのね」
「え、俺のはチョコレートだけど」
見た目は同じ色をしているのに、と齧り口を女子に見せてやる。
「チョコレートも食べたいわ」
「……じゃ、半分こ?」
そうしましょ、と女子は齧ったところを避けてドーナツの半分を紙の上に置いた。
「ふふっ、ドーナツ一個一個にもタグをつけてくれたらいいのにね」
確かにな、と俺も倣ってドーナツを半分にしたのだった。
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