第8話 ラムネ(後編)

「その曲──」


「──ん?」


 男子は口笛の形のまま、私に振り返った。


「なんて曲だったかしら」


 さっきから思い出そうとしているのだけれど、なかなか出てこない。

私はまた一ページ、本を捲る。

外国の寒いところの星空がとても綺麗。

紺色の空に白い粒がたくさん、きらきら。

ラムネ瓶をやや逆さまにして飲んでいると、からん、とビー玉が転がって瓶口を閉じてしまった。


 かららん。


「昔の──何だったっけな」


 男子は首を傾げながら思い出そうとまた口笛を吹く。


「ふふっ。さっきより綺麗な音」


「そ? お前は吹かねぇの? 口笛」


「吹けるけれど今は吹かない──、かしら」


「何でだよ」


「だってクサカ君の前だもの」


 さらに首を傾げた男子はそのまま体ごと私に向き直って、ラムネを一口飲む。

あれは確か、オールドムービーのワンシーン。


「──唇の形がね、キスをせがんでるように見えるから。だから男性の前では口笛を吹いてはいけないの」


 その時の女優のように私が言うと、男子がラムネをふき出しそうになっていた。

薄っすらと頬を赤らめて、手の甲で口を拭っている。


「なんてね」


 ふふっ、と笑って後一口のラムネの瓶を逆さまにして飲み切る。

からん、とビー玉が瓶口を閉じないように気をつけながら、ゆっくりと。


 かららん。


「──っふぅ。ご馳走様」


「ん」


 すると男子はラムネ瓶を口につけたまま手を出してきた。


「何?」


「いいから。ちょっとな」


 何かはわからないけれど、私は飲み終わったラムネ瓶を渡す。

そして男子は席を立ったかと思うと、何も言わずに教室を出てしまった。


 私は机に頬杖をついて、窓の外を眺めた。

ぬるいけれど心地良い風が私の髪を撫でていく。

水色の空に泳ぐ雲は遠く、まだ見えない月を待っているようで。


 ふぅ。


 空の雲をどかせるように息を吹いてみる。


 ひゅぅ。


 少し音が出てしまった。

男子がいない隙に、歌ってみよう。

久しぶりに吹いたからか、綺麗に音が出てくれない。

掠れるけれど、リズムは取れているはず。


 この曲のタイトル、なんだっけ──。


「──上手いじゃん」


 横から男子の声がした。

思わず頬杖をついていた手で口元を隠す。


「見てねぇから」


 男子が言った通り、顔を逸らしながらこちらに歩いてくる。

その手には固いプラスチックの飲み口がなくなったラムネ瓶が二本、指の間に挟まれていた。


 かちん、かちん。


 ラムネ瓶が当たって音を立て、そして、ことっ、と隣の机に瓶を置いた。


「ん」


「何?」


 男子が握りこぶしを私に差し出している。

頬張った男の子の手が大きくて、そんな男子を上目で見ると。


「これ、クラキのな」


 そう言って私の手を取った。

何故か冷たくて気持ちの良い男子の手は私の手をすっぽり、と包んでいて。

そして、私の手のひらにが落とされた。


「……ビー玉?」


 透明のビー玉が一つ、ひんやり、とあった。


さわれただろ?」


 男子が得意気に笑っている。

私はビー玉を指でつまむ。

水色かと思っていたのに、曇りのない水の色だった。

すると男子はまた座ると同時に漫画雑誌を開いて、口笛を吹きだした。

最初から綺麗な音で、強い音。


「──ありがと」


  どうしたしまして、と肩を軽く上げた男子は口を尖らせたままだ。


 ひゅぅ。


 私も掠れた口笛を男子とは反対の空を見上げながら乗せてみる。

ビー玉を掲げて水色の空を置いてみる。

きっと今夜の月はこんな感じかな、と空想する。

そして高音の綺麗な口笛が重なった時、私と男子の目が、合った。


 あ、この曲って──【Fly me to the moon】。

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