第6話 アップルパイ(後編)
倍返しされても会話は途切れない。
女子は女子なりにまだ助言を続けてくれていた。
「プレゼントは記念になるし嬉しい物よね。私なら、おめでとうを言ってくれる人がいればいいかな」
また一口、とアップルパイを齧る女子は教室のどこかに目を向けていた。
遠い目のような、そんな感じがするのは気のせいか。
俺も掴んだままの食べかけのそれを口に放り込む。
「気持ち、か」
ウェットティッシュで手を拭いて、週刊漫画雑誌を膝の上で開く。
「ええ。言葉も素敵なプレゼントだわ──そうそう、私、今日誕生日なの」
六月十一日。
「マジ!?」
漫画雑誌に目を落とした瞬間、すぐに女子の横顔を見た。
そしてアップルパイへと移す。
「じゃあ、これ、お前の姉ちゃんが?」
アップルパイは後二切れ残っている。
最初は全部で六切れあった。
「いいえ、姉は三年前に死んだわ。事故で」
しまった、と思ってももう遅い。
これが聞いちゃいけない事だったなんて思ってもみなかった。
気まずい雰囲気が漂おうとしたけれど、女子は変わらずいつもの調子で話し出した。
このアップルパイは女子の手作りだと言う。
姉さんが毎年作ってくれていた物を真似して作ってるの、と。
なかなか同じようには作れないわ、とため息混じりに呟きもした。
美味しくない、と思っているのだろうか。
「……美味いよ、これ」
本当に美味いと思う。
形は俺がいつも目にする丸形、切り分けて三角形じゃないにしても、売ってる物かと思うほどの出来だし、見栄えもいい。
「ふふっ、ありがとう」
口の端にパイ生地が付いてる、と女子は自分の口の端をとんとん、と指で示し教えてくれる。
恥ずかしさから少し体を起こして手の甲で乱暴に拭いた。
女子はそんな俺を可笑しく思ったのか、それとも美味いと言った事を喜んでいるのか、笑っている。
三角形ではないアップルパイに目を落とすと、女子は言った。
「あと一切れずつね」
わかっている。
分けられる数を横取りなんてするか、と俺は生地の隙間から見える林檎を指でつついてみた。
ぬるり、と指の先についたそれを舐める。
多分だけれど、他のアップルパイとは一味違う気もする、と思った。
「これね、作り方は簡単なの」
女子は、つらつら、と調理方法を一度も噛まずに言ってのけた。
凄い、そして全く覚えられない。
「中の林檎がきらきらするの。あーたまんねぇー」
たまに滲み出る発言はそっとしておくとして、林檎きらきらはわかる気がする。
それよりも、てらてら、なんて言ったら多分舌打ちされるので俺はそれもそっとしておく事にした。
「作って……みよっか、な?」
なんとなく、口に出た。
「はい。これレシピ」
なんと用意のいい。
女子は俺が覚えられないだろうなと仮定していたのか、メモ紙を差し出してきたのだ。
いや、作ろうと決めたのは今しがた、どういう事か。
とりあえずさっき噛まずにつらつら言えたのはカンニングしていたのは確かだ。
ほら見ろ、にやにやしてらぁ、と女子を見るとまさにその通りだった。
メモ紙を読むと、細かく丁寧に書かれている。
一言一句、ほぼ一緒でむかついた。
「まぁ、さんきゅ。やってみる」
「出来るの?」
すぐさま落としにかかる女子だったが、もう決めた。
俺の分、最後の一切れのアップルパイを掴み、観察してみる。
長方形型の、切れ目と隙間から覗く林檎がきらきらしている。
さっくり、ぐにゃり、と半分齧った時、女子が言う。
「おめでとうってちゃんと言いなさいよ」
待て、と俺は手のひらを見せて高速で、もぐもぐ、と咀嚼する。
「私にじゃなくて妹さんに。あなたの妹になってしまったのだから感謝しなくちゃいけないわ。今まではどうか知らないけれど、今回は祝おうと悩んで、そして決めたのだからいいお兄さんなのだろうけれども──」
こっちが喋れないのをいい事に言いたい放題だな!
「──羨ましいわ。とても」
嫌味だけかと思ったら、本心が出てきた。
俺は、ごく、と飲み込む。
「……わかった、ちゃんと言うよ。最近、あんま喋らねぇけどな」
「応援してるわ。あと一つ、忠告いいかしら?」
「何だよ」
あまりいい予感がしない。
「普段話しかけてこない兄からの、それに似つかわしくない手作りのお菓子に驚いて、気持ち悪い、または、きもい、なんて言われる可能性が大きいかもしれないけれど落ち着いて。凹まないようにね」
「もう凹みましたけど!?」
作る前から落ち込ますな、と俺は首をがっくりと落とし小さく丸まった。
女子のしてやったり顔は見なくともわかる。
しかし言う事も
女子はいつもの調子で、いつものすましたような顔で、今日のお菓子のアップルパイを食べている。
俺は身体を起こし、残り半分のアップルパイを食べた。
さくり、ぐにゃり。
甘くて、酸っぱくて、優しい味がする。
俺は女子の横顔を見ながら言った。
「──クラキ、誕生日、おめでと」
女子は驚いた丸い目で、もぐもぐ、と口を動かしている。
口の端にパイの欠片が付いていた。
ぺろ、と出した舌でそれを舐めとり、ごく、と喉にアップルパイが食べられていくのがわかった。
「ありがとうクサカ君。嬉しい」
素直にそう言う女子は微笑んでいて、俺は照れた。
こっちも何だか、嬉しかった。
言葉や気持ちが大事って、わかった気がする。
「ふふっ。明日もアップルパイが食べれるなんてラッキーだわ」
「へ?」
どうやら俺はアップルパイを二つ、作らなければならないようだ。
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