第2話 チョコレートポッキー(後編)
机の向こう側で座る男子は暑いのか、ズボンの裾を七分丈くらいまで曲げ、素敵なすね毛を見せている。
と言っても、見せつけているようではないので私は、ちらちら、とそちらを覗き見するように視線を動かしていた。
私のお菓子目当てに放課後、この教室に居残っている男子とこうして一緒にいるのはもうどれくらいになるだろうか。
家が少し遠いので食べないとお腹が鳴ってしまうから私は食べているのだけれど。
男子の名前は
衣替えしたばかり、といっても男の子達は学ランの上着を脱いでシャツになっただけのようなもので、その長袖シャツもズボンと同じように七分くらいまで捲り上げている。
失礼は承知だけれど、男子はとても普通な人。
補足すると真ん中で分けた前髪から見える額はとても綺麗。
「──なぁ、このチョコの部分だけ舐めとったりしなかった?」
「私はそんな馬鹿な事はしない」
小学生、または中学生の頃に折らずに舐めとる事が凄い、なんて食べ遊びをした人は多々いるかと思われる。
けれど私は食べ物で遊ぶ事が大嫌いなのだ。
それに女の子の私にそれを聞く男子もどうかと思う。
下品で楽しいよりも、このお菓子の味を楽しみたいのだ。
二本食い、というものを試した事があるのは内緒にしておきましょう。
しかし私は何故、告白された事を男子に告白したのだろう。
言わなくても、聞かせなくてもいい事だったはずだ。
それほど男子と親しいわけでもない。
会話という会話はこの放課後でしか行われないというのに。
小説のページを捲ろうとした時、教室の扉が、がらら、と開けられた。
そこには、隣の隣の隣のクラスの男の子が立っていた──私に告白をした男の子だ。
私の名前を呼んだ男の子は、ちらり、と後ろ──今は隣に並ぶように座る男子を見た。
男子はその視線に気づき、私を見る。
「何かご用?」
男の子は一歩だけ教室の中に進む。
そしてこう言った。
泣いてたの気になって、靴箱見たらまだ靴あったからいるかなって思って。教室に来てみたんだ。
「そう、ありがとう。もう平気よ」
そっか、と男の子は安堵したように息をついた。
「……あのぉ、俺、席外した方が?」
「居ていいわよ。あなたもそれで構わない?」
男の子は、うん、と言って咳払いをして、また私に告白をした。
まだ好きなのは変わらない。まだ好きでいる。自分を知った今日から見てくれると嬉しい。
告白の続きのようで、少しだけ考えた私は返事の時にも泣いた後にも言っていない事を伝える事にした。
「……私には好きな人がいます。大好きな人が、います。だから今、これからもあなたを想う事はありません」
男の子は目を見開き、そして閉じて、少しだけ微笑んだ。
わかった、ありがとう、ごめんね。
そう呟いて、二度目の告白が断られたのを受け入れた。
断ったのは、私。
男の子が教室を出て行ってから、隣の男子はまだ一言も声を出していない。
漫画雑誌を読む事もなく、小説に目を落とす私の様子を窺っている。
少々──大分うざったくなってきたので男子を見ずに口を開いた。
「言いたい事があるなら言いなさいよ」
「えっ、あー、その……泣くくらい嬉しいとか言ってたのに言い方きつかったんじゃねぇの、とか思ったり。そりゃお前は一回はっきり断ってっからいいんだけど優しくねぇな、とか思ったり。後お前、好きな人いるってマジだけど、大好きな人がいるって言い直して、あれ? とか思ったり」
思ったり思ったり、と煩い男子に私はお菓子を掴むとチョコレートがついている先端を男子の口に突きつけた。
「断る事に優しいと優しくないは無いわ。私の想いをそのまま伝えただけ。このままずるずるしていても失礼なだけだもの」
男子は突きつけたお菓子を奪い取ると、ぽきっ、と折り食べる。
おそらく納得してくれたのだと思う。
というか、奪い取らずにそのまま、あーん、と食べても良かったのに、と私は笑ってしまった。
きっと恥ずかしいのだろう。
そう言う私もきっと、あーん、に応えられたら照れると思う。
「……付き合うって具体的に何をするのかしら」
「そりゃ遊んだり喋ったり飯食ったりじゃね?」
「友人とやる事と変わらないじゃない。例えば今みたいな」
「ライクとラブの違いなんじゃね?」
「……あなたって疑問形で答えるわね」
「だってわかんねぇもん。付き合った事ねぇし、一般的にそうなんかなって感じで答えてんだよ」
男子は、ふん、とそっぽを向いてしまった。
男子は男子なりに答えてくれたというのに、私ってば本当に嫌な性格をしている。
かと言って変えるまで時間がかかりそうだけれど。
それに変わる事に臆病にもなっている気がする。
「逆にお前はさ、付き合うってどう思う?」
「何故?」
私はいつの間にかこちらに向き直っていた男子の目を見る。
「聞いたから、聞いてみた」
「……そうね。あなたの言う通り、言葉に詰まるわね」
「だろ?」
そう言う男子はお菓子を私がしたようにつまんで揺らし、湾曲に見せた。
目の錯覚は面白い。
「うーん……」
唸り、考える。
好き同士がやる事とは何なのだろう。
クラスメイトの恋人同士を例にあげると、一緒に昼食をとって、一緒に下校している。
一緒で、一緒で、一緒だ。
「──そばに、いる」
「え?」
「片時もというわけではないけれど、それくらいそばで相手を感じていたい、かな」
「俺が言った事と同じじゃねぇか」
「ふふっ、そうね」
男子が笑って、私も笑った。
まだ未経験の、未来の予想をするのは楽しい。
それがちっぽけな、一瞬の事であってもだ。
私はカフェオレをストローで吸い飲む。
お菓子の甘さとカフェオレのまた違った甘さで口の中で甘ったるい。
「めちゃくちゃ人を好きになったら俺、変われるっつーか、やっぱ変わるんかな?」
「太るの?」
「お前じゃねーよ」
「あ、傷ついた。一応女の子の私にデブって言ったわね。極刑ものだわ。ぶっとばす」
「お前も大概酷ぇ事言ってんだけど! あーもー、すいませんでしたぁ! っていうか俺がぽっちゃりしてる方が好みってお前も知ってるだろ?」
そういえばこの男子は脂肪フェチだった事を思い出す。
だからと言って私はそうではないのでやっぱり傷ついてしまうのだけれど。
「今更だけど変わったフェチね」
「お前もなー」
「これって一種の情欲かしら」
私は男子の返しをスルーする。
「じょうよく? あー……あ? エロいって意味?」
「そうよ、色情魔君」
「誰が!」
叫んだ男子は呆れた顔でお菓子を二本食いした。
「冗談よ。けれど、エロい事なんて私達くらいになると興味が出てくるじゃない。それが恋で、その線上の先にそれがあるでしょう? 私の線上には恋の前に胸毛があるって事よ」
「だとすると俺は脂肪から好き、になって、その後にそのー……あれっすか」
「あれっすよ」
男子は恥ずかしくなったのかカフェオレをずごごご、と音を立てて吸い飲む。
どうやら最後のひと吸いだったらしく音が底をついている。
正直、私だって話していてむず痒いものを感じている。
けれど何故か話してしまう。
この男子には何でも話せてしまう。
男子は何でも聞いて、くれる──答えて、くれる。
「あ、あの……」
「ん?」
私は小説を閉じ、男子の方へと振り向いた。
男子も同じように漫画雑誌を閉じ、机に頬杖をついて私を見た。
どうしてだろう、とても言いにくい。
「あ……ありがとう」
そう言うと男子は驚いていた。
やっぱり言わなければよかったか、と羞恥心に俯いてしまう。
「何で礼言ってんだ?」
気づいてないのか私は、わーお、と言ってしまいそうだった。
やっぱり言うんじゃなかった。
「あっ、あー、わかった。うん」
テンポ遅れてわかってくれた男子は照れくさそうに指で頬を掻く。
照れくさいのはこっちの方。
「別にいらねぇよ。つーか聞いただけだし、何も助言とかもしてねぇし」
「いいえ。私、多分パニクってたのかもしれない。誰かに話して軽減したかったのかも。だから自分から話したんだと、思う。こんな話、面白くなければ関係ない話なのに」
私は自分が思っていた事をさらけ出していた。
本当に何故だろう。
気を張らなくていい、気を遣わなくていい。
気が晴れる。
私だけが思っているのかもしれない。
利用しているのかもしれないけれど、何だろう。
私は男子に甘えてしまっている。
……甘え?
「あ、悔しい」
「はぁ?」
間抜けな声を出す男子もわかる。
けれど私はつい言ってしまっていた。
お菓子やカフェオレのように私も甘い。
辛めの口を叩いてみても中身は甘々だ。
「……な、何だか知らねぇけど、言っただろ。俺はこの話を他で言ったりしない。ここだけの話にするさ」
男子はそう言って笑みを見せた。
この顔が私を甘やかす。
私の気を許させる。
私を私のままでいさせてくれる。
悔しいけれど、心地良い。
懺悔みたいなものかしら、と私は思った。
私が片想いしている相手に想うように、私は告白の答えを悩み、今もあの答え方でよかったのか迷っている。
吹っ切るために男子に告白してしまった。
「お前も一応女だもんな」
「何それ」
「悪い意味じゃねぇよ? 何つーか、告白なんてするのもされるのも一喜一憂しちゃうもんだろ。お前は一人遊びが好きっていうか、一人で何でも解決出来るとか思ってそうだし。俺にはそういう意地みてぇなの、とっぱらっていいぞ? ぶっちゃけお前と話してんの楽しいしな。まぁ、結果的に事後報告聞かされたんだけど。思うとこがあったから話したのもわかってるよ。
お菓子のお礼その二だ、と男子は、ぽきっ、とお菓子を齧った。
「……ふふっ。私、あなたの事好きだわ」
「へっ!?」
私はカフェオレを飲んで、微笑んだ。
ごくり、と飲み込んでからお菓子に手を伸ばす。
いつの間にかお菓子は残り二本になっていた。
「ありがとう。私、あなたに話した事さえ悩んでたみたい。本当に楽になったわ。楽しい」
素直な気持ちだ。
いつも辛口な私にしては奇妙だと思う。
男子を見ると、その頬が赤くなっている。
夕陽の色ではなく私の、好き、の言葉で染まっているようだ。
好き、ってそういう意味じゃないんだけれど。
「友達っていいわね。私、男の子の友達って初めてよ」
「えっ!? あー、あ、友達、友達ね、うん」
「どうしたの?」
私はわかっているくせに聞く。
好きの言葉に動揺している男子に。
「いや、うん。ってか俺らって、友達、なわけ?」
「私はそう思っているのだけれど心外だったら失礼。ただのクラスメイトに何回お菓子を食われていたのかしら、別に見返りなんて求めていないけれどやっとでお返しにぬるーいカフェオレくれた事なんて私は全然、全く、ちっとも気にしていないから安心して」
机に突っ伏し項垂れる男子に私はまた笑った。
少し言い過ぎてしまったかしら、と反省する。
嘘、反省はしない。
「今度は冷たいの持ってくるから許してくれや……」
「実はブラックのコーヒーが好きなの。あー楽しみ」
もっとテンション上げて言えよ棒読み、と男子は苦笑いする。
「なんか友達ってさ、これから俺ら友達な、みたいに言わなくても自然に友達だよな。俺も女の友達ってあんまいねぇけど。そりゃクラスの子とかは喋ったりすっけど、お前とこうやって話すみたいなのはねぇなー」
私も思い返してみる。
男の子はおろか、私は女の子ともあまり話さない。
グループというものが好きな女の子達は決まってその子達といるため、入る隙がない、というよりも、話す事などない、と思ってしまうのだ。
それは置いておくとして、私は男子に聞いた。
「それって私を好きって事?」
「……またお前は言いにくい事をさらっと聞くよなぁ」
私はお菓子の残り二本の内、一本を手にとった。
少しだけ溶けたチョコレートが破いた袋についている。
チョコがついた先端をぽきっ、と折り食べた。
「嫌いなの?」
「嫌いじゃねぇけど……好きは、好き。とっ、友達として!」
強調しなくてもわかっているのに、男子は言い訳がましく後付けする。
頬はまだ赤く、ふーっ、と自身の火照りを鎮める吐く息が長い。
そんな私も少しだけ体が熱い。
きっとカフェオレがぬるいせい、って事にしておきましょう。
友達としての好きも凄く恥ずかしいんだな、と思った。
恥ずかしいから言葉にしないのかもしれないけれど、恥ずかしいけれどこんなにも嬉しい。
「私、クサカ君とこうやって話してるの、好きだわ」
友達としての好きではなく、この時間を好きだと言ってみる。
楽しい、楽、を含めた好きだ。
「なんか……告白されてる気分で、マジ恥ずいんだけど」
男子はまたも顔を真っ赤にして、最後のお菓子を口に咥えた。
おそらく少しずつチョコレートを舐めとっているのだろう。
下品で、エロい。
私はいつか、最大級の好きを誰かに言うでしょう。
その相手はおそらくとても近くにいて、いつかもそう遠くない。
それまではこの時間を楽しみたい。
楽しいだけではなく、それ以上に望んだ時に私は告白してしまうと思う。
多分、こんな感じに。
私、あなたの事、『愛してる』の。
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