恋と甘さは比例しない
雨玉すもも
恋と甘さは比例しない──第1部
第1話 チョコレートポッキー(前編)
「──あなたは好意を持った人なんているのかしら?」
前の席に座る女子は椅子の背もたれの縁に肘を掛け、細い棒状のクッキーにチョコレートがコーティングされたお菓子をその名の通り、ぽきっ、と食べながら聞いた。
衣替えしたばかりの半袖のセーラー服に前下がりのショートボブな髪型の女子は、優等生、という言葉が似合っている。
現に成績も良く素行も良い。
伏し目がちの目元は、凛、とした空気があって独特の雰囲気を感じさせた。
悪い言い方をすれば近寄り難い、良い言い方をすれば品がある、みたいな。
俺の周りにはいなかったタイプの女の子であるのは確かだ。
女子の名前は
そんな女子の口からこんな質問だ。
放課後の教室の窓際、一番後ろの席で思わず俺は唖然とする。
「…………は?」
やっと出た言葉は、好意とか畏まった言い方しやがって別に畏まった言い方じゃなくても好きな奴とか早々教えませんけど、ってか何を聞いてくるんだ、を含む。
茜色の夕陽を背に受けながら、俺も女子が食べているお菓子に手を伸ばした。
「近頃放課後は私のお菓子を目当てに教室に居残ったりして遊ぶ人もいないのかしら可哀想、と思って」
なかなか酷い事を言いのける女子は恋愛小説を読んでいる。
しかし投げかけられた問いの説明にはなっていない。
突然そんな問いを口走ったのは、小説の内容に感化されたからだろうか。
ちなみに友人くらいはいる。
ただ、皆忙しく相手にしてくれないだけだ。
勉学に部活、彼女など。
「……どうせ彼女いねぇよ」
「知ってるわ」
ちらり、と見やる女子に舌打ちをした。
俺は読んでいた週刊漫画雑誌にまた目を落とし、ぽきっ、とお菓子を折り食べる。
「何故あなたに彼女が出来ないのかしら」
「さぁな」
「あ、ごめんなさいね?」
「いきなり謝るとか傷つくわ!」
まだ十六、十七になったばかりの年齢──高校二年生で、もちろんそういう事にも興味があるのは確かだ。
欲しいと言ったら欲しいが、欲しいと言って簡単に手に入るものでもない。
女子は組んだ足の上の小説のページを捲る。
「そう言うお前は?」
「恋人はいないわ」
女子もまた彼氏、という言い方ではなく、恋人という言い方をした。
耳にするとなかなか恥ずかしく聞こえる。
俺は漫画雑誌から目を外し、女子の顔を見た。
しかし女子はこちらを見る事なくお菓子をつまんで揺らしていた。
真っ直ぐのお菓子が湾曲して見える。
「私は彼氏を欲しいとは思わないの」
「ふぅん? 皆、欲しい欲しいって言ってんのに」
「彼氏はファッションアイテムではないわ。大好きが大前提」
つまり女子はこう言いたいらしい。
皆が彼氏が彼女だと躍起になり欲しがるが、それは物ではない。
流行り物のように皆が持ってるから自分も、とはならないという事だ。
大好き、なんて小っ恥ずかしい響きだが気持ちが第一というのは俺も同意見。
「なるほどね」
「まぁ、彼氏って位置に据えるくらいだから好意くらい元々あるでしょうけれど」
ごもっともな意見に頷く。
問題は好意の量なのだろうか、と不思議も追加する。
「先日、告白を受けたの」
「は?」
「どこからアドレスを手に入れたかわからないけれど、メールで告白されたのよ」
「マジ?」
すると女子は携帯電話の画面を見せてきた。
人の告白を見るというのはなかなか恐縮するところだが、興味が勝り面白がって読んでしまう自分は素直だった。
「なんて返信した?」
女子は携帯電話の画面を元に戻し、机の上に置いた。
「してないわ。名前があったと思うけれど、わからなかったから会いに行ったの」
そういえば昼休みに女子が教室にいなかった事を思い出す。
「隣の隣の隣のクラスの男の子で、話した事もなければ私は顔も初見だったの」
初見って、と俺は隣の隣の隣のクラスの奴に少し同情した。
どこかですれ違ったり一瞬でも顔を見た事あるかもとかもないのか、と思ったからだ。
「彼は文面通りに私を彼女にしたいと言ったの。その場で考えたのだけれど、顔も初めて見たし声も初めて聞いたばかり。数秒で彼の気持ちに応える事は出来ないって思ったわ。私にとって彼は知らない人と同じだったから。何故かわからないけれど、謝る事なのかわからないけれど、私はごめんなさいって言っていたわ。口が勝手に動いてたの。その後、少し泣きそうになって──いいえ、泣いてしまったわ。内緒よ?」
女子は唇にお菓子を押し当ててて、しー、という仕草をしてみせた。
俺は女子が言う通り、内緒にしようと思った。
「口外したらぶっとばす」
ほらな、と自分の勘に拍手する。
それでなくても俺は言わない。
一つの恋が、一人の恋が終わったんだ。
見ず知らずの奴だが、それが本物か偽物かもわからないけれど、望んだ応え方をした女子でもないかもだけれど、そういうのは失礼だと思ったからだ。
「あ、胸毛生えてるか聞けばよかった」
瞬間、俺はふき出した。
そういえばこの女子は、胸毛フェチ、だった事を思い出す。
それがあるかないかだけでまた印象が変わるのか、いや、確かに変わるが、告白の成功度が上がるとでもいうのだろうか。
俺は咳払いをして女子に言う。
「何で泣いたんだ?」
「無粋。でもいいわ……感傷的っていうのかしら。私も人に愛されるものを持ってるって教えてくれたからよ」
女子は微笑んだ。
それは俺が今まで見た事の無い、柔らかく、女の子らしい女子の顔だった。
「私はこの通りの性格だし、むしろ嫌われる事の方が多い」
「そんな事なくね?」
同じクラスメイトの俺はこのクラスでの女子を思い返し、そう言った。
「中学の頃は悲惨なものよ。おかげで一人遊びが上手になった」
ポジティブに言う女子は小説を閉じる。
「一人が寂しいなんて知ってる。けれど私はまだ変われてない。それでも、こんな私を見てくれた人がいる。どこまで本気かは彼にしかわからないし、もう知ろうとも思わないけれど、感謝してるの。ありがとうって、心から思うわ。好きになってくれて、愛してくれて、嬉しかったのよ」
愛?
今の俺はおそらく、呆け顔になっているかと思う。
まだ恋もしていないのに、愛とは凄い事を言うな、と思った。
「……まぁ、好きでもない奴と付き合ったってそれこそ駄目だからな。お前もわざわざ顔見て返事したんだ。偉いよ、お疲れ」
俺は日頃お菓子を恵んでもらっているお礼にと、自動販売機で買っておいたパックのカフェオレをバッグから取り出し、渡した。
タイミングが良すぎだろうか。
「タイミングが良いわね。格好つけたいのかしら、反吐が出そう」
きっと女子にはエスパー的な力が宿っているんだ、と俺は顔を背ける。
隣から女子の声がする。
「いただくわ。ありがとう──ぬるい」
本当に後半の一言が余計な女子だった。
それからまた女子は小説を開き、お菓子をぽきっ、と折り食べる。
俺も漫画雑誌に目を落とした。
だが今の女子の話で内容が入ってこない。
まさかそこら中で行われている愛の告白とやらが目の前、いや、前の席で、今は隣みたいに並んで座る女子に起こったとは俺は少しも思っていなかった。
それと告白された側の女子が泣いた事についてもだ。
告白した側がなくのなら気持ちがわかるけれど、告白された側が? と。
それだけ女子が真剣だったか、その場で考えたらしいけど、俺には無理そう。
嬉しいとかそういうのが先になってしまって舞い上がりそう。
相手が可愛い女の子だったらなおさらそれだ。
それらに流されない女子は凄いのかもしれない。
そうだ、と俺は気づいた。
女子は彼氏を欲しいと思った事がない、と言っていた。
「クラキはさ──」
「──大好きな人はいないけれど好きな人はいるわ」
エスパー女子は俺とばっちり視線を合わせて答えた。
「……片想い?」
「ええ。けれど告白する勇気はないわ。だって私、とても怖がりなんだもの」
その気になれば妖怪だろうが何だろうが倒せてしまうのでは、と俺は思ったが口を噤む。
「心の中を打ち明けるのはとても難しいわ。恋や愛があると余計に。私は大丈夫でしょうか、私は想ってもいいでしょうか。そんな自問自答を繰り返してしまう」
「……それらに打ち勝った恋や愛が告白を促す、とか言いたいわけ?」
「さぁ、わからないわ。臆病者か、勇者か──今の私はきっと、臆病な勇者かしらね」
どっちだよ、と俺はつっこむ。
「わかりやすく言うと、私はこの人の子供が欲しいと思うくらい大好き、愛してる、にならないと彼氏という位置に据える気がない、という事よ」
結婚を前提にっていうのと似た感じやつか、と俺はお菓子に手を伸ばし、リスのように小刻みに齧った。
しかし女子の極論に反論が見つからない。
女子はカフェオレを片手に小説に目を落としたまま、そのページを捲る。
恋だ愛だ、と俺にはまだ縁がない。
そこまで真剣に人に好意をもった事もなく、告白だってまだない。
女子の言葉を借りるとしたら、大好きまで到達した人に出会っていない、って事だ。
「人を好きになるって素敵よね。そう思わない?」
「……思う」
素敵だ、とても。
「胸毛が生えてればサイコー」
それはお前だけだ、とつっこむ。
おそらく女子は本気で言っている。
フェチ、好みは外せないのだろう。
俺だってあるし、でもそれ意外の何かもあるのだと思う。
見えない幽霊みたいなもの──というか、恋も愛も見えない幽霊みたいなものだ。
もしかしたら怖いと感じるのも見えないからだろうか。
恋や愛に臆病、それでも恋をしてしまう俺達は、臆病な勇者。
女子は上手い事を言ってるのかも、と今更納得する。
俺は女子の顔を見つめた。
ふっくらとした唇の間にお菓子が咥えられている。
この口で恋を断り、愛を望んでいる。
そう考える俺も、恋と愛を望んでいる。
欲しい、欲しい、いや──好きだ、好きだ。
好きになって欲しい。
俺はわかっている。
その相手が多分、おそらく、誰かという事を。
気づかないふりをしている今は、まだ勇者手前の見習い剣士だという事を。
勇者になって打ち勝った時、その人が応えてくれたら泣いて笑うかもしれない。
多分、こんな感じに。
嗚呼、俺、『愛されてる』なって。
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