2.2歳
さて、二歳。
この頃の記憶も正直に無いに等しい。
ただ、一つだけ形として残っている記録がこの世の中に存在する。それは、たった一本のビデオテープである。このビデオテープはたしか私がまだ幼稚園だった頃だろうか。
なんのビデオテープなのか興味を持ち、その興味心でただただそれが恐ろしいものかもしれないということすら考えずに再生したのだ。この頃の私の、なんと純粋なことだろうか。
そんな疑いを知らなかった私がそのビデオテープにて目撃したのが、そう、それこそが私が二歳の頃の映像であった。通りすがった母親が言ったのだ。「これはあなたが二歳の頃の誕生日に撮ったものなんよ。」と。五歳の私からすれば、へぇ。という感情しか正直湧かなかったのだが、ただひとつ分かっていたのはテレビの向こうの母親と今隣にいる母親の顔が少し違うことくらいだった。それを老いだと知るにはまだ分からない年頃だった私は、母親に単刀直入に伝えた。すると母親は笑って
「そやね、だってもうこれは三年前の映像やもん。私も昔はこんなに若かったんやね。」
そう言って笑っていた。その言葉に私は、テレビ越しのお母さんの顔を見てこれが、私の、お母さん…。とまじまじとその顔を見た。きっと流行りであったのであろう赤い口紅と少し豪華な化粧とテレビの内容は正しく時代を感じさせるものだった。母親が「お誕生日おめでとう!」とテレビ越しに話し、それに付随するように「おめでとう!」と私を祝う男の人の声、否、父親の声がした。父親はカメラを持っていて、私はその父親の膝に座っているためテレビ上には母親の顔しか写っていない。ああ、それと誕生日だからと焼いてくれたらしい平べったい、赤ちゃん用のチーケーキが写っている。
それを「あーん」と言われて、二歳の私はそれを受け入れ、食べたのだろう。テレビの向こうからは「上手に食べられたねぇ!」と母親が心底嬉しそうに言っていた。
一方、テレビを見ている私は、少し怖かった。今隣にいる母親とテレビの奥の母親はどこか違う。今なら、それが老いだけではない、時の流れによる抗えない感傷によって生み出されたのであろう懐かしい、という感情を五歳ながらに私は隣の母親から感じとっていた。
それから、数十年とたった今でもあのビデオテープの内容は忘れられない。特に、満面の笑みでチーズケーキを二歳の私の口に運ぶその母親の顔は、正直恐怖にも見えていたのだろう、少々の恐怖の混じった記憶としてこの脳にインプットされている。それがトラウマだとか、そういったことでは全くもってないが、それでもしかし、怖いという気持ちは多少なりともあるのは、何故か不思議なものだと思いながらも私は今日もその感情が何によってどうして起こされたのかを検証するようなことはしていない。手段はある。しかし、しない。その違和感、恐怖心がさらに増幅してしまったら。そう思うとどうにも検証する気になれないのだ。
知らない方がいいこともある、だなんてこの場合ただの逃げの言葉だとは思うがしかし、とりあえず、見たくないのだ。もしかしたら、なにか一種のトラウマがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。いずれにせよ、私はこのビデオテープは一生見ないと心に誓って生きていく。
以上、では、また。
始まりと終わり 月夜輝夜 @tukiyamikoto
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