始まりと終わり

月夜輝夜

1.1歳

生まれた頃の記憶はない。


それは、至極当然なことであり、逆に覚えているのであれば私は今頃ちょっとしたニュースにでも取り上げられていることだろう。

生きてきたこの人生、そんなものに取り上げられたことはない。だから、覚えていない。

さて、それでは一歳の頃の話はどうするべきだろうか。具体的なものならばその頃の写真や親の作ったアルバムを見ればいいだろう。しかし、私にはそんなものは無い。いや、あるにはある。しかしそれが何歳でどの季節のものなのか、そしてそれはどういった状況だったかなどということは不明瞭である。

だからこそ、私にとってはそれは無いのだ。

記憶も、情報も、そこに無ければ自己意識の中ではその頃のものは無いと同義である。もちろん、これは私個人の考えに過ぎず何かの哲学者の言葉を引用した訳では無い。


一歳。

その頃の記憶をあなたは覚えているだろうだろうか。覚えていて、形として残っており、それが幸せな記憶であればそれはとても幸福なことだろう。私は心からそう思う。チープな言葉で表現していると思うだろう。しかし、それは本当に、幸せ、幸福であると私は考える。


逆に、悲しい記憶だったならば。私にはかける言葉は無い。その記憶に対して可哀想だの、辛かったねだのと言う資格も権利もない。それはその人の事情であり、こんな文章を書くたった一人の人間が簡単に土足で踏み入っていい場所ではない。もし、何か言うとすれば、ごめんなさい。これに尽きる。なぜなら、私がこんな話題を持ち出してあなたに小さくとも大きくとも、記憶を呼び覚ましてしまったからだ。

だから、ごめんなさい。謝るのなら最初から書かなければいい。そう思うかもしれない。しかし私は幸せな記憶があれば悲しい記憶もあるものだと知っている、分かっている。だからこそ、出さずにはいられなかった。


これは、私の人生の自叙伝のようなものであり、そして独り語りだ。馬鹿馬鹿しいと思う人もいれば、ああ、そうだなと納得をする人、もしくは何かに対して感銘を受ける人が現れるかもしれない。

だから、この小説のような、自叙伝のようなものを書こうと思った。それは、とあるきっかけが私にあったからだ。

そのきっかけについてはまた後日。


それでは、また。

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