第5話
「じゃあ来週の月曜に、
ノートパソコンからカレンダーアプリにスケジュールを入力して、みそらは言った。電話をするときもイヤホンにつなぐので手元が自由になって便利だ。
三谷
けれど葉子のフォローは今のところばっちりで、知り合いの先生のレッスン見学や、これまでの生徒さんのレッスン内容などを共有してくれる。副科声楽はコンコーネやコールユーブンゲンなどの練習曲やソルフェージュがメインになるので、曲の解釈を教える本格的なレッスンとは少しまた違うが、木村先生もよろこんで後押ししてくれている。
入学当時の自分にはなかった未来だ。みそらも三谷や他の友人と同じように、一般企業への就職を就活の着地点にしていた。けれど――そう思って、みそらはふと背中を後ろのソファに落ち着けた。
「葉子ちゃんはドビュッシーでもOKなの?」
みそらの言葉に、ほんの一瞬だけイヤホンの奥が無音になった。
「――みっちゃんの話?」
葉子は入学してしばらくすると、自分の弟子のことをそう呼ぶようになった。きっかけは三谷が伴奏を担当する先輩がそう呼び始めたことだった。それをやけに印象的に覚えているのは、自分も昔同じような音で呼ばれていたことがあったからではないかとみそらは思っている。
「あ、うん、そう。ごめんね、話が飛んじゃって」
「いいよ。――気になる?」
「気になるというか……」
言いかけて、みそらは少し息を吐いた。一年後はこうやってずっとデスクでキーを打っている時間のほうが長くなるのだ。
「わたしが聞きたいだけかもしれない。入学してすぐ、門下生発表会あったでしょう。あのときに聞いた『水の反映』がすごく好きだった」
ドビュッシーの「映像」第一集、第一曲、『水の反映』――聞こえた音にまさに体ごと持っていかれた。あの感覚は三年が経った今でもまだ忘れてはいないし、なんなら一緒に過ごすほどに色濃く感じることもある。
曲から受ける圧倒的な色彩。その源泉となる内に秘めた狂気――音楽家なら誰しも持っている陰の部分を三谷夕季もまた確実に持っていた。誰にも真似できないほどの、それは彼特有の、匂い立つような音の色気――たぶんそれは生きてきた景色からしか見えないはずの、本人だけが知っているはずの色。それが音となって自分の肌下をまさぐる瞬間が、ほんとうに――歌意外に――あるのだと。
そうね、と葉子は電話口で少し楽しそうに笑ったようだった。
「持ち曲だからやっていいですかって言われたときはどうしようかと思ったけど、あのとき弾かせて正解だったなと思ってる」
「――だからいいってこと?」
「というわけでもないんだけど――って、あれ? 今日みっちゃんは?」
時計は二十二時近くを示している。いつもならばこの時間は、互いの練習のゴールデンタイムだ。とくにピアノ科の練習時間は長い。
「今日は中高の友だちとご飯食べてくるって。お互いの就活結果報告も兼ねてるとかなんとか」
「そう」
葉子の声は嬉しそうだった。弟子に対する愛情は、その音だけでも十分に伝わってくる。
結局、葉子もはっきりとした返答をくれるわけではなかった。それは自分で――他人の音楽についても自分で考えてみろということでもあるだろうし、三谷夕季の問題だ、ということでもあるだろう。
そう思いながら電話を切ってキッチンに行くと、ちょうど玄関のインターホンが鳴る。みそらはそのまま狭い三和土に降りて鍵とドアを開けた。
「おかえり」
「ただいま。……もうちょっと警戒して開けない?」
ドアを開けた先にいた三谷が、返事をしたあとに少し呆れたようにつぶやく。その後ろには夏の夜空が広がっていた。
先にチャットで「下に着いたよ」と届いているのを見たから開けたんだけどな、――というのは、何度かやったやり取りだ。このマンションはエントランスにもオートロックがついていて、そうだとわかっているからできることだった。
すれ違うと、家じゃないにおいがする、となんとなく思う。家とも学校とも違う、たくさんの人がばらばらの食事を楽しんだ、統一されていない色味のにおい。
いつもどおり手洗いとうがいを済ませると、三谷は「弾いていい?」と言った。みそらはうなずいて、ほうっておいたパソコンのほうへ向かう。
一緒にいるようになってから気づいたけれど、三谷はこうやってよく、前触れなく弾くということをやる。――すぐに弾けるようになるためだ。試験や発表会は、リハーサルや練習はやったとしても、絶対的に自分の出番まで多少のブランクがある。それをどう埋めるか、その対策の一つがこれだという。
たぶん、帰宅しながら何を弾くかは考えていたのだろう。体重がきれいに鍵盤に伝わる、見た目にも美しい姿勢で座ると、譜面台を立てずに三谷は手を鍵盤に載せた。
鈴をふるようなトリル。そしてその下から美しく歌い、問いかけるアルトの旋律――
ショパンのワルツ、第五番、変イ長調。歌うようなメロディと細やかな動きが一体となった、明るく軽やかなワルツだ。
別のことをやっていて、準備が出来ていない状況からすぐに弾く――その難しさは副科ピアノをやっていたからみそらだってわかる。こんな細かいパッセージをすぐ弾ける、その基礎となる練習量、そしてそれをやってのける度胸。五番はけっして難しいワルツではないが、同時に簡単でもない。それをこうも、今の今まで練習していたかのように弾くなんて、ずるいなあ。
しかもただ細かく速く弾けるのがワルツのよさ――では、まったく、ない。ショパンがもつポーランドの風景を感じさせる軽やかさ、それを描くワルツのリズムが、今聞こえる曲にはあった。
若草色の野原、春の淡い空色。そこを駆けていく子どもたちの服の色もまた鮮やかな染料に染められている――
いくつもの場面をパラパラとめくるように、ワルツは終始明るいまま展開していく。
ポーランド――一度も訪れたことのない、けれど歴史の中では何度もふれてきたショパンの故郷。せめて心臓だけはと今際の際、姉に託したかけがえのない土地。そこにしかない音を余韻にして、部屋が明るく、色が灯ったように華やぐ。
――正直、ピアノ曲で一番わかりやすいのはショパンやシューマンなどが名前を連ねるロマン派の曲だ、とみそらは思っている。
おもに一八〇〇年代に活躍した作曲家たちの作品はロマン派に分類され、ピアノという楽器自体が発展した時期と重なったこともあって人間の感情に寄り添った叙情性の高い曲が多い。中でもショパンはピアノを学んでいなくても有名で、その素地はまさに彼の生まれであるポーランド、その革命の歴史にあると言っていい。このワルツはその性質をよく表しているものだった。
ドビュッシーに代表される印象派はそのさらに約百年後、フランス絵画のそれと場所・時代を同じくしたものだ。ロマン派への反撥か、世界の近代化に伴ってか、点描で風景画を描くような、「和声的に正解のない」音が多くなっている点が最大の特徴だ。そのある種の掴みどころのなさのようなものがみそらは少し苦手だった。――それを払拭したのが、あの『水の反映』だったのだ。
そんなことを思い返していると、「山岡」という音が聞こえた。――絶対にファントム以上に好きになる声などないと思っていた、その頑なさをひっくり返した声。
「うん? もう今日弾かないの?」
「そうじゃなくて、――あ、そっちの練習は?」
「自分でやったから大丈夫だけど、できれば一曲、伴奏と合わせておきたいのがある――かな。声はそんなに出さなくていいから、タイミングとか」
「じゃあそれ先に――」
と言いかけて、三谷は口をつぐんだようだった。みそらは軽く首をかしげて立ち上がる。するとあの雑然としたにおいはもう消えていた。
ピアノ椅子に腰掛けていた三谷は、さっきとは違う、少し肩の力をぬいたような格好で、「あのさ」と言った。
「来週あたり、付き合ってくんない?」
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