先頭グループに追い付かずに1位でゴールした高留さん
「はぁ……」
図書室中央にある円形のカウンター。木の温もりが感じられるこのスペースに腰掛けて早々に、つづり嬢はこの世の
つづり嬢の嘆きの原因は明白だった。なんといっても図書委員の大部分が同じ気持ちであるのだ。
そう、週明け早々にマラソン大会があるのである。
図書のための学校と
つまるところどうしようもなく受け入れるしかない現実ではあるのだが──なぜかこの学校のマラソンは21kmも走らされるのである。噂によれば他校ではせいぜい10kmという話ではないか。まさかこれが孔明の罠……? 実はこの距離の改定についても図書委員会で議題に上ったのだが、かの『悪鬼羅刹』の二つ名を持つ
「ほう、私は夢でも見ているのだろうか。我らが栄光ある図書委員ともあろう者たちがまさかこれほど軟弱であったとは、どうにかせねば保護者様お天道様に顔向けができぬ。ふむ、20km走った程度では何も変わらないかもしれないな」
などとむしろコース延長を
ちなみに図書委員会は決議を投票によって取るものの、剣副委員長の1票は他の委員の票を切り裂く
そういった経緯もあったものの、つまりは何も変わらず予定踊りに学校行事が実施される運びとなっている上、図書委員は一層の努力を求められている状況である。
自分は、特に効果はないのだろうと思いつつも走り方の教則本を取りに行くことにした。
「校内マラソンで
つづり嬢は現実逃避を選んだらしい。椅子の背もたれに細い身体を預け、入り口の方向へ視線を10度ほど上げて何か遠いものを見るようにし、いつものようにほやっとした眠たげな声で話し始めた。
「高留さんは一度も先頭グループに追い付きませんでした」
自分の未来を見るかのようで嫌なフレーズである。
「そして高留さんはそのままトップでゴールしました」
急展開。
「さて、何が起こったでしょう?」
こうしてほのかな矛盾をはらんだマラソン大会がスタートしたのである。
まず、先頭グループとは何か、という話だが、先頭グループとは1位から始まる上位に連なる走者のグループである。何をもってグループと呼ぶかといえば、ぱっと見で「あぁこれグループだよね」って感じになっていればグループといって良いだろう。さて、それに追い付かずして1位を取るとはどういうことか。
「つづり嬢、これは簡単だね」
いつもならああでもない、こうでもないと翻弄される自分だが、どうやら今回はあっけなく答えにたどり着いてしまったようだ。ほら、自分もたまには出来るところを見せないとさ。
「先頭グループに追い付かずに1位でゴールしたってことは、ゴールに到達する前に高留さんより前に走っていたすべてのランナーがリタイアしたってことだ。それなら一度も追い付くことなく1位でゴールすることができる」
しまった、もう少しもったいぶるべきだったかな、などと若干思いつつも、確信した解答を突き付ける。
「全員がリタイア? どういう理由で?」
正解! すごい、大好き! みたいな反応を期待していた自分だが、つづり嬢は粉粒ほども動揺しなかった。
「実は三人くらいしか走っていなくて、とか」
「じゃあ、参加者は100人にします」
「えぇ……」
つづり嬢にしては珍しいことに急に条件がプラスされた。
「じゃあ、給水ポイントの飲み物が悪くてみんな腹痛リタイアしたとか」
「それはもう大会が中止になるレベルだと思うけれど……」
確かに、100人中99人がリタイアとか大惨事である。昨今の平和な日本においては全国ニュースになるかもしれない。
「そうなると、特にトラブルは起きずに高留さんは1位でゴールしたってこと?」
「そうね」
「高留さんもずるはしなかった」
「もちろん」
「つまり……どういうことだろう」
参加者は100人の校内マラソン。ずるもなく、事故も事件もなく、最後尾でスタートした高留さんは一度も先頭グループに追い付かずにトップでゴールした。
「答えとしては2パターン考えられるわね」
自分が袋小路に入ったことを察したのか、つづり嬢がヒントを出してくれる。
「参加者全員にやる気がない場合と、高留さんだけやる気がありすぎる場合」
そう言ったつづり嬢の声はふにゃふにゃでいかにもやる気がない。現在進行形で現実逃避中だからね。仕方がないね。
さて、全員にやる気がない場合から考えてみよう。リタイアするほどじゃないとして、まぁマラソン大会なのにほとんど全部だらだらと歩くような人間はいるし、本校には特に多いだろう。まぁ今回、図書委員に関してはそのようなだらしないことをしたら後々どうなるか……最悪委員会からの除名もあり得るため死ぬ気で走るしかないために気が重いのであるが。(副委員長という役職にそんな権限があるとは思えないが、"剣"副委員長に関してはやはり例外なのである)
じゃあ、とりあえず、みんなやる気がなくて歩いていたとする(21kmだとゴールするまで5時間以上かかる気がするけれどまぁ歩いたとする)。するとどんな光景になるかといえば、100人がごちゃっとなってコースをぞろぞろ進んでいるわけで……。
「えーっと、つまり、高留さんは確かに最後尾でスタートしたけれど、最後尾から先頭までがやる気のない一つのグループで、イコール先頭グループでもあって、だらだらとゴールを目指して最終的には高留さんが先頭にいたってこと?」
「正解」
つづり嬢の正解コールもそっけない。寂しい。
正確な定義をするならやる気は置いといて『高留さんは最後尾かつ先頭グループだった』ということになるだろうか。そうするとさっきのだらだらパターン以外にも考えられる。例えば、基本的にはスタート直後に1グループくらいが抜け出して先頭グループを形成するものだけれど、その前に最後尾から追い越してしまえば高留さん自身が先頭グループということになる。そうなれば追い付くことも追い越すこともなくトップでゴールできるのでこれもありな回答だろう。
「もう一つは高留さんにやる気がありすぎる場合だっけ?」
「高留さんが副委員長みたいな人物だった、としても良いけれど」
「つまり、先頭グループはすべて闇に葬られ」
「悲しい事件だったわ」
それこそ大惨事である。
剣副委員長の残虐性はイレギュラーすぎるので考慮から外すとして、そうすればやはりあのハイスペックさだろうか。生まれる前、天から二物を与えられたときに「足りないのだが?」と言ってさらに大量に奪い取ったとか、消した相手の能力を
「実際にあの人であれば最後尾でスタートしたところで一瞬ですべてを抜き去るどころか途中でお茶しながら読書をたしなんでもまだトップでゴールしそうだけれど」
「今のでほとんど正解」
「えっ」
半分は冗談で軽口だったはずが自然と正解を言い当てる……これが自分の能力……などというおふざけは程々に。お茶して読書してもトップになるのが正解とはどういうことか。
「もしかして……」
ポイントは『追い付く』という言葉だろう。例えば、本来のコースから大きく外れ互いを視認できない場所を駆け抜けて先頭グループを抜いたとして、果たしてそれは『追い付き、追い越した』といえるだろうか。
「寄り道ついでに抜いてたってこと?」
「そういうこと」
あんまりな正解である。しかし、公式のマラソン大会であれば失格になる気がするが、校内のマラソン大会なら折り返し地点のチェックポイントを通れば良いので可能か不可能かでいえば可能なのだろう。ショートカットは禁止されているが、迂回するのは禁止されていないのだ。
話が終わってしまい、つづり嬢はふにゃっと崩れて腕の中に顔を埋めてしまった。どうしても現実を受け入れられないらしい。通学すら玄関前まで車で送り迎えされているつづり嬢にとって運動するということは完全に非日常の苦行なのだろう。正直歩き通したとしてもつづり嬢がゴールできるかは怪しい。自分はタイムはともかくゴールだけは出来ると思っているが……。
「ねぇ」
伏せたつづり嬢からくぐもった声が聞こえる。
「はい」
応えると、つづり嬢は少し顔を上げて、普段なら絶対に見せない微笑みをサービスしてきた。
「月曜は一緒に走りましょう?」
この人、道連れにする気満々である。
結果によっては独裁者による鉄の制裁が待っているため、本来であれば慎重な検討をすべきだろう。しかし、自分は何者か? 生きる意味は? などと総合的に考えた結果、もはや選択の余地など自分には残されていないのだった。
「うん!」
あんなに苦しそうな笑顔は初めて見た、とは後のつづり嬢の弁である。あなたのせいだ。
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