伝説の剣を抜くべきかクリケット選手になるべきか

「剣を抜いただけで王様になっていいのかしら」

 筒井つづり嬢は純真無垢な乙女である。根本的な疑念を口にすることにためらいがない。


 彼女が読んでいるのは有名な騎士物語だった。特に伏せる必要はないのではっきりといえばアーサー王の物語である。詳細についてはいくつかバリエーションがあるが、代表として挙げられる書籍は『アーサー王の死』で、つづり嬢が今読んでいるのもその英語版のようだ。基本的に『抜いた者が王になる』という誰にも抜けない台座に刺さった剣をアーサーさんが抜いてアーサー王になるのが導入である。

 余談ではあるが、ここで引き抜いた剣が高名とどろく聖剣エクスカリバーであるのかどうかははっきりしていないポイントで、後に湖の乙女から貰い最終的に湖に返還した剣がエクスカリバーで、最初に抜いた剣はまったく別物という説も多く支持されている。

「それって、魔法的な何かで王になるべき人間しか抜けないって感じだよね」

「才能判定機みたいなものかしら……」

 伝説的なエピソードがひどく身近な言い回しにされている。

「とにかく、才能ばっちりな王様がそれで選べて、政治側も民衆側もそれに納得していたんだからいいんじゃないかな。アーサーさんも剣を抜こうとしたってことは王様になる気があったんだろうし」

 まさに三方良しで誰も損はしない話である。

「うーん……」

 しかし、つづり嬢はその整った眉をわずかに寄せて悩ましい声を出す。心臓の裏側をくすぐるような声に思わずドキッとした。

「でも王様になる才能があるからといって、その後の成功が約束されているわけではないじゃない?」

 ここの回答は慎重にならざるを得ない。というのも、つづり嬢はまだ本を読み始めたばかりであり、そのあとの展開を示唆するようなことは伝えてはならないためだ。これはいち人間である前に図書委員である我々にとっては当然のマナーである。

 自分は右手で軽く右頬を叩いて、思考をリセットした。

 そして改めて考えてみると、どうだろう。

「確かに、抜いた者が王になる剣ではあるけど、その王様がどれくらい成功するかは約束されていないね」

 王様になるならその人がベスト! という話ではあるはずなのだけど、誰が王様になったところでどうにもならない国だってあるはずだ。最新技術による調査の結果、君には日本で一番総理大臣の才能があることが確定した。今すぐなってくれ。などと言われて、じゃあちょっとなっちゃおうかな、などと思うだろうか。

「もしも自分なら、と前提を置くのであれば、ちょっと遠慮したい立場ではあるかな」

 時代的には戦国時代のようなものなのでなおさらだ。敵兵の大軍を蹴散らす自分、みたいなものに憧れがないとは決して言えない身の上ではあるが、現実に切った張ったなどさすがにしたくない。

 つづり嬢はこの返答に満足したような、納得していないような、何も聞いていないような、要は特にどんな反応なのかよくわからないがこくりと頷いた。

「本当はクリケット選手になりたかったかもしれないし」

 おっと、雲行きが怪しくなってきたぞ。


 自分がうまくつづり嬢の思考についていけなかったせいで、ここからの会話は少し──いやかなり冗長で回り道の多いものだったため割愛するが、つづり嬢が何を気にしていたのかといえば、アーサーさんの本当の進路希望についてだった。

 どこの国でも子供は小さいころにやれプロスポーツ選手になりたい、芸能人になりたい、ケーキ屋さんになりたい、などと無邪気な夢を持つことがある。ただ、そんな少年少女たちも学校に通い様々な査定を受け、なんとなく才能が認められておだてられて、ちょっとそっちの進路を目指してみようかな、などと周囲の意見によって流されるような事象がある。かくいう自分自身も戦略級特定個体になりたいという夢があったが、周囲の人間からあれは創作世界の話で現実では不可能だとさとされてそれを受け入れた過去がある。

 自分は多少特殊とはいえ、いや、図書委員は特殊な人間以外がいないくらいなものなので、そういう意味では普通の図書委員だが、とにかく、筒井つづりという個人の身の上も相当に特殊な部類である。特に境遇という面では並ぶ者がなく随一だろう。

「私はそういった夢を持ったことはなかったのだけれど」

 当時の心境を語るつづり嬢には何の感情も宿っていないように見えたし、それは事実なのだろう。彼女が思い出しているのは、彼女が本当にただの人間として生き始める前の話なのだから。

「そういうことを聞いたとき、なんて素敵なんだろうって、思った」

 声には、彼女にとって最大級の、とめどない感情が載せられていた。そんな風に聞こえた。自分はつい涙腺が緩んでしまって、それを隠すようにうつむいた。

「だから、アーサーさんも、状況的に王様になって当然みたいになったけれど、小さいころにクリケット選手になりたいとか思わなかったのかなって」

 筒井つづり嬢は本当に優しい少女である。こんな彼女を好きにならない人間などいるだろうか。いやいない。

 そして自分は、たぶんアーサー王の時代にクリケットはなかったと思うよ、などという空気の読めないことは言わないことにした。

「そうだね。アーサーさんも思っていたかもしれないね」

 はぁ。今日はとても良い話だった。これが出版されたらきっと全米が泣くだろう。出版しないけど。


「そういう意味では、やりたいことをやるべきか、才能があることをやるべきか、っていう議論はよくあるね」

 特に騎士王なんて呼ばれるようなアーサーさんであれば、クリケット選手になったとしても大成したに違いない。もし本人に希望があったなら他の道も明るいものだったはずなのだ。それが、剣を抜いたがために戦場で戦い続ける宿命を背負ったといえる。当然価値観なんて全く異なる時代と場所ではあるが、自分なら王様よりはクリケット選手になりたいと思うだろう。

「ところでつづり嬢、クリケットに何か思い入れが?」

「特に何もないけれど」

 つづり嬢はなぜそんなことを? という顔をしてそう答えたけどこっちとしてはなぜクリケット? って気持ちなんですけど本題とは関係ないですねはい。

「好きなことをできる、という……進路選択の自由というのは成熟した文化圏だからこそ可能なことなのよね」

「まぁ、貧しくて生きることに必死な時代は、そんなことを考える余裕は個人にも社会にもなかっただろうね。そんな時代ではみんなが必死になって足りないものを作らなきゃならない。自分たちがこうやって毎日、本に関わって生きていけるのだって、この国が十分に豊かである証明だろうし」

 もちろん経済やら政治やらといった問題はいつでも存在するけれど、みんなで畑を耕さないと生きていけないという世の中ではない。学びたいことを学ぶことができるし、究極的な話、学ばず何一つまともな能力を持たずともなんだかんだで生きていける。

「だから」

 つづり嬢は語る。

「私は、才能のあることより、好きなことをするべきだと思う。だって、そちらの方が、より得難い道ってことでしょう?」

 選べること。それ自体が希少な権利であるならば、『選ぶこと』自体がより大きな価値を持つ。つづり嬢が言っているのはそういうことだろう。

 もちろん好きな道を選んだところで、苦しいことつらいことは山ほどあるだろうし挫折することもあるだろう。しかし、その貴重な道を選んだという事実がそのまま人生の価値を上げてくれるのであれば、どんな結果であろうと価値ある選択であったと胸を張れる。

 自分はまったく考えたこともなかったが、なるほどそれは説得力がある論であった。

「そうだね。自分もそう思う」

 正直自分は才能のある道のほうが楽に稼げて生活レベルも上がるし結果的に自由度が増して好きなことができるんじゃとか思っていたけれど、もうそんな自分は死んだので人類は皆自分が好きな道を選べばいいと思います。なぜならつづり嬢がそう言っているから。証明終了。


「だから自分も、こうしてつづり嬢と一緒に過ごせる時間が何より好きな時間で、幸せだよ」

 そう言って自分が顔を寄せると、つづり嬢も感動に潤んだ瞳をそっと細めた。上気した頬に長いまつげ。二人の距離はやがてゼロに──


 という妄想をしていたらいつの間にかつづり嬢が心底軽蔑するような顔になっていたため良い雰囲気はまるっきりなくなっていた。なぜばれたのだ……と戦慄に身を震わせながらも、自分は口の端から垂れていたよだれを拭った。


 さっきのセリフ、妄想ではなく実際に口にできていれば何か変わったのだろうか……などと考えてみる。しかし、果たしてそれがより得難い価値の高い選択肢なのかどうか、ちょっと自分では判断できそうにない。

 好きな道を選ぶにも節度は大切なのだろうなと、つづり嬢の刺すような目線から逃げるようにそんなことを考えつつも、今こうしてつづり嬢と過ごす時間の尊さを再認識した午後であった。


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