太ももの付け根を巡る旅

「スカートは短い方が好き?」


 人間が生きる理由。なぜ世界から争いが絶えないのか。倫理と感情の挟間はざまにあるものとはいったい。筒井つづり嬢のレールガンのような超音速の問いによって、自分の思考は瞬時に深淵しんえんへと叩き落とされていた。

「覗く者はまた覗かれている……」

「スカートから何が覗き返してくるの……」

 呆れた声にはっと正気を取り戻し、すっと視線をつづり嬢のスカートに向ける。校則通りのちょうど膝丈で、座っている今はかわいらしい膝小僧が御開帳ごかいちょうされている。

 ありがたや……。

 自分が思わず両手を合わせると、さっと両手でスカートを抑えられた。膝小僧を拝んでいただけなのに心外である。

「その様子だと見る分には短い方が好きみたいだけれど……自分で履くならどう?」

 さて、自分は入学以来スラックスだし、スカートを履きたいという欲求は特にないが、つづり嬢はごく自然にそんなことを聞いてくる。


 校則としては、この学校はマイノリティへの配慮で制服の規定に性別は含まれていない。ネクタイとリボン、スラックスとスカートについては男女関係なく自由に組み合わせることができる。実際に図書委員の川森兄妹はよく入れ替わっているし、ファッションとしてネクタイやスラックスを愛用する女子も多い。恋人同士でリボンとネクタイを交換する儀式なんてものも存在しており、これも校則違反ではない。

「いや自分は履かないけど……それに見る分にしても、短ければ良いってものじゃないんだよつづり嬢」

 ここで思わず語気に力が入るが仕方がないというものだろう。人種や宗教などと同様に、有史ゆうし以来スカートの長さというのは非常にデリケートな課題なのである。

「つづり嬢、どうして人間はスカートの中身を見たがるのだと思う?」

「人類みんなが見たいと思っているかのように言わないで欲しいのだけれど」

「例えば自分が明日突然スカートを履いてきたとして、つづり嬢は中身を見たいとは思わない?」

「そんなの……」

 すぐに否定しようとしつつも、想像が追い付いたのだろう。つづり嬢は気づいたようだ。

「もちろん、自分は見られないように全力で抵抗する。自分がスカートを履くなんて大事件さ。いくらつづり嬢の頼みでも無理なことはあるからね」

「……そうなると、どうやってでも見てやろうと、思わないこともないかも」

 つづり嬢はこちらの意図したことを違わず理解してくれる。


「つづり嬢、自分は断言するよ。スカートは、中途半端に隠されているから見たくなるんだ」


 自分の宣言に、つづり嬢は目をみはったということもなく意外そうに瞬くこともなく、かといって呆れてため息をついたということもなく、つまりいつも通り特に反応らしい反応はしていなかったけれど多分感心したと思う。

「中途半端っていうのは?」

「つづり嬢は特に、今の自分を見てスラックスを脱がして下着を見てみたいとは思わないでしょ?」

「それはもちろん」

「それは、スラックスが完全に隠しているからだよ。見える可能性がないんだ。ゴロゴロ寝転がろうが、強い風が吹こうがね。完全防備で狙う隙がないのさ」

「いつもより饒舌じょうぜつじゃない?」

「気のせいだよ。それで、スカートだ。これは下側が完全に空いている。明白な隙が存在するんだ。ちょっとした仕草で1センチでもまくれれば、その分1センチは隠れていた部分が露わになる。これが中途半端に隠されているってことさ。ボクシングの試合でも高度な駆け引きになるとわざとボディとかに隙を作って相手を呼び込む技術があって、プロのボクサーであってもそれについ手を出してしまうことがある。つまり、それと同じことなんだ」

「同じこと……?」

「一緒だよ。それでスカートが短い方が良いのかって話に繋がるんだけど、下着をゴールと考えるなら確かに短い方がより隙が大きく、相手は誘われやすい。それはその通りだ。でもね、スカートを長くすると、隠れる部分も増えるということになる」

 一度切る。息継ぎし、そして新たな事実を突きつけるために。

「つづり嬢。隠された領域が増えるというのは、それだけ暴きたい宝が増えるということだ。そして、その最奥さいおうに至る道が遠くなることで、その難易度に比例して付け根の価値が上がることになる……!」

「……!」

 よほど衝撃を受けたのだろう。つづり嬢の口がちょっとだけ△に開いた。たまにネットで見かける猫の画像みたくなっている。若干目が据わったようになっているのは気のせいだろう。

「驚いたかい?」

「……何が人の原動力になるのか、難しいなと」

「そうだろう?」

 得意げに胸を張ると、つづり嬢は「そういう意味じゃないのだけれど」と小さくつぶやいたが、返答は求められていないようなので自分としてもそこは放置する。

 つづり嬢は額に指をとんとんと当てると、つまるところ……と話題を戻した。

「隠すことそれ自体がものの価値を上げるから、スカートが短い方が良いとは一概に言えないってことね」

「うん、特に太ももはその筋では下着と同等の価値を持つからね。それを露出するかどうかは大きな分かれ目だと思う。ちょっと待って」

 言葉で説明してもうまく伝わらない気がしたため、携帯端末を取り出してすぐさまインターネットから画像を探し出し、それを自分とつづり嬢の間に見やすいように置いた。

 映し出されているのはデフォルメされたイラストだ。中央を縦線で区切り、左右に似たような衣装の女性が直立している。違うのは衣装のスカートの長さだ。左側の女性は太ももが露出したミニスカート。右側の女性はひざ下まであるスカートだが、それを両手でたくし上げて左側のミニスカートと同じ高さにしている。

 つづり嬢はそのイラストを覗き込むように確認して、合点がいったような、すっきりしないような、以前の記憶を思い出したようなそうじゃないような、いつも通りの意志表明に乏しい表情をしていた。

「この二人は見えている箇所は一緒だよね。でも、右側では長いスカートで普段隠されているはずの太ももをわざわざたくし上げて露出している。ただ隠されていたというだけで、魅力的に見えるんじゃないかな?」

「……こう表現するのはなんだか恥ずかしいけれど、右側のほうが少しいやらしい気がする」

 つづり嬢はやはり全然恥ずかしくなさそうな顔だが、なんとなく言い淀んだことから感情が見え隠れしている。まったく理解されなかったら説明に困っていたところなので自分としては助かった。

「それは性的魅力が増した、とも表現できるよね」

「……そうなる、たしかに」

 微妙に認めたくなさそうに見えなくもないが。

「あと、左側がノーマルな安定状態に対して、右側は進行形にも見えるっていうのがポイントかな。さらにたくし上げ続けられる可能性を提示しているんだ。こういうのをたぶんチラリズムというのだろうね。嗜好によるものだからもちろん見る人の好みによるのだろうけれど、自分は座った時しか見えないつづり嬢の膝小僧が好きだし、さらにスカートが長くなればふくらはぎを見たいと思うに違いないよ。それにつづり嬢の太ももや下着はもう自分の中で価値が上がりすぎていて、きっと見たらその場で卒倒して救急車を呼ばれてしまうから慎重に扱って欲しいと思う」

 つづり嬢のいつも眠たげの瞳が明確にじとりとした半眼になった。

「よくもまぁそんなことを堂々と言えるわね……」

「つづり嬢に嘘はつきたくないからね」

「配慮はして欲しいのだけれど」

「最大限にしているつもりだよ。まったくやましいことはないって顔と言葉で飾って中身がよどんでいるよりは安心できるんじゃないかな」

 それよりも、の話がある。

「それで、どうして急にスカートの長さなんて気にしているんだい?」

「今日クラスで」

 つづり嬢は端末を覗くために前のめりになっていた身体を元に戻した。

「もっと短くしないのかと聞かれて。考えたこともなかったから」

 校則上での決まりはあるものの、逸脱しすぎなければ見逃される。スカートを短くした方が可愛い、という価値観の持ち主が一定数いるのは確かだ。

 つづり嬢は自分の見た目について本当に無頓着だ。常識的かどうかだけは気にしているようだが、それは社会の一員からはじき出されるのを恐れているだけで、魅力的に見られたいという発想がまるでない。自分で鏡を見たところで(自分がいる)以上の感想はなさそうである。まぁ、着飾るまでもなくつづり嬢は人類史に残るに違いない魅力的な人物であるし、その自然さを重視したヘアスタイル(隠語)も見慣れると愛らしい。

 自分はどんなつづり嬢でも好きだし、つづり嬢自身が特に何か課題を抱えているわけでもないなら言うのはこれだけだ。

「つづり嬢が、そっちの方が可愛いと思った時にそうすれば良いと思うよ」

 世の中には、ファッションは異性の目を意識してするものだというイメージを持つ人もいるらしい。しかし、以前イギリスのファッション誌を読んでいたら、ホームレスの人たちを散髪して綺麗な服を着せると見違えるほどポジティブで精力的になる、という記事があった。心理学の本でもなんとか効果みたいなのがあった気がするが、まずファッションというのは自分のためのものなのだ。

 そもそも自分がスラックスを履くのも自分のためだし、ネクタイをしているのもいつかつづり嬢のリボンと交換を狙っているためである。つまりすべて自分のためだ。

 自分がそんなことを考えて自分の考えを補強していると、さっきの言葉を受けたつづり嬢が不意に首を傾げながら聞いてきた。


「あなたは、短い方が、嬉しい?」


 これは……。

 自分は、自分に、この流れで、つづり嬢が、これを改めて、こう聞かれて──

「ふふ……決まったら、教えてね?」

 すっかり思考が混乱した自分が顔面を耳まで熱くしていると、つづり嬢は本当に楽しそうに微笑んだ。


 からかわれたのか、本気だったのか。

 それははっきりしないが、このやり取りを思い返して朝方まで悶々としてしまい、自分が寝不足となったことだけははっきりとした事実である。

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