富と栄誉とヨーグルト

「その青年は若くして富と栄誉を手にしました」

「勝ち組ってやつだね」


 今日も今日とて金曜日の放課後、自分と筒井つづり嬢の魅惑の当番タイムである。ちょうど仕事が一段落いちだんらくしたタイミングでつづり嬢は何やら羨ましい人物の話を始めた──羨ましいといっても一般論としてではあるが。自分たち図書委員は本さえあれば宇宙空間でも生きられそうな人間ばかりなので個人の価値観を素直に持ち出すとよくわからない感じになるのだ。常に自己の異質さを意識して、一般人目線でいくことが重要である。

「青年は一生浪費し続けたところで使いきれない資産を手に入れ、同時に国からは多大なる貢献者として、国を挙げての表彰を受けました」

 ものすごいことになっているが、それだけの結果を残したのだろう。どんなことをしたのかすぐには思いつかないけれど。

「青年は豪邸を手に入れ、身の回りのすべてを使用人に世話されるようになりました。自発的に何かをする必要はなく、やりたいことがあれば周囲の人間に伝えるだけで手配してくれるようになりました」

 一生自堕落に読みたい本だけ読める生活だ。それは素直に羨ましい。

「そんな青年でも持っていないものがありました」

「愛とか?」

「いいえ」

 違うだろうと理解しつつB級な答えを向けてみると、つづり嬢は緩く首を横に振った。


「それは、ヨーグルトです」


 事実は小説より奇なりというが、さすがの現実さんも超えるのが難しそうな奇妙な話であった。

 ヨーグルト以外のすべて手に入れた男。これが本日のつづり嬢の議題(?)である。


「え、買えばいいのでは?」

 身もふたもないことを言った自覚はあるが正直な感想である。

 そんな自分に対して、つづり嬢は呆れたような、感心しているような、動揺しているような、つまりいつものように、何を考えているのかよくわからない素の表情をしていた。

「実はその国でヨーグルトは売っていないの」

「製造方法がわからないとか?」

 地球上の歴史では様々な地域で作られたヨーグルトだが、作るためには乳酸菌を見つける必要がある。動物の乳を日常的に使っていれば何かの拍子に見つかりそうなものだが、適した菌が見つかるかどうかは文化圏によるといえばその通りだろう。

「いいえ、牧場なんかでは普通に作っていたのだけれど」

「けれど?」

「大きく売り出そうと工業化した牧場があって、初回の出荷は大量に、とても安価に売り出したの」

「発売キャンペーンってやつだね。それで?」

「彼らは大量の食中毒者を出したのね」

「なるほど」

 ヨーグルトは発酵作用で作られるが、製法がまずいと雑菌も猛烈に増やしてしまう。

 やろうと思えばスーパーで売っているヨーグルトを種菌たねきんとして自宅でヨーグルトを増やすこともできるが、一般家庭の管理下では知らないうちに有害な菌まで増やしてしまう可能性が高く推奨されないらしい。そもそも乳製品というのは衛生管理が難しい商品で、日本でも大きな食中毒事件の発生例が過去にある。

「つまり、あまりにもひどい惨状を生み出したヨーグルトが、その国では販売自体が禁止されてしまったということだね?」

「正確には製造、運搬、販売の禁止ね。運が悪いことに、被害者の中には王族も含まれていたということもあって。そうして禁止されてしまったヨーグルトだけど、青年は以前から大好物だった。なんでも手に入れられると思ったのに、好物は手に入らなくなってしまった」

 人類史上で酒造が禁止されたことなんか何度もあるし、似たようなものだと考えれば良いのだろう。ただ、酒造を禁止すると大体悪い組織が闇市場を形成してしまうらしいけれど、ヨーグルトで同様の事象になるかはちょっと怪しい。闇ヨーグルトで一儲けするマフィアとかあんまり想像できないな……。いや、割とそういう組織はお金になるならなんでも飛びつくと話に聞くけど(図書委員の言う「話に聞く」というのは概ね「本で読んだ」という意味である)。

「それは確かに手に入らないよね。どんな方法を使ってもどこかで犯罪になってしまうだろうし」

 販売禁止なら自分で作ればいいだろうけど、製造禁止だと作った瞬間にアウトである。運搬禁止なので個人的な輸入も不可能だ。非核三原則というのがよく考えられていることがわかる。

 そして、大きな功績をあげて国のヒーローになっている青年がまさかヨーグルトのために法律を冒すわけにはいかないだろう。

「それで、結局その青年は諦めたの?」

「ううん」

 つづり嬢はどこか得意げな声音で、その青年の物語を続けた。


 青年はさすが、その国で最高峰の成功を収めた人物でした。

 そもそも、欲しいものはほとんど手に入れてしまった彼にとって、ヨーグルトを手に入れるという『趣味』に情熱を捧げるのは簡単なことだったのです。

 彼はまず、ヨーグルトの製法について詳細な情報を集めました。もちろん作るためではありません。ではなんのためでしょう? それは、法律の条文と照らし合わせ制限の穴を見つけるためです。もしも法律で禁止された『ヨーグルト』の定義に隙があれば、それをたくみにかいくぐって作ったヨーグルト……つまり『脱法だっぽうヨーグルト』を作ることができるのです。


「脱法ヨーグルト……!」

 なんとも強いインパクトのある言葉である。


 この国の法律で定められたヨーグルトの定義は『動物の乳を乳酸菌または酵母こうぼで発酵させた糊状のりじょうまたは液状のもの』でした。青年は頭を悩ませました。これまで調べてきた製法では、どれもその条件に該当してしまいます。例えば原材料を変えて似たような味のものを作るという案もありましたが、それはもはやヨーグルトではない、という固い信念に基づいた決断によりなくなりました。


 ヨーグルトが作れなくなったからどうにかしようとしたのにヨーグルトではないからという理由で見送ってしまうのも難しい話だが、つまり彼は『脱法ヨーグルト』が作りたいのであって、ヨーグルトの代用品が欲しいわけではないのだろう。

「そうなると、やはり定義の穴をかいくぐるしかありません。そして、既存の製法がすべて該当してしまうのであれば──」

「まさか」

「新しい製法を生み出せばよいと気付きました」

「暇を持て余した有能な人間という感じがすごい……」

 いわゆる『他にやることないんだね……』ってやつである。


「そうして長い研究の末、青年が建設した工場が稼働を始めました。新規事業として正式に国の認可を得たものです」


 そうして、一人の男の執念の物語はクライマックスを迎える。


「そこで出荷された商品の名前は──フレッシュミルクアイスでした」


 そ、それは……!

「つづり嬢。それはやっぱり」

「えぇ、少し酸味の感じられる、爽やかで素朴な味わいのカップアイスね。たまたま、食べようと思って机の上に置いて、用事で席を外すことがあっても不自然じゃないでしょう。冷凍庫と間違って冷蔵庫に入れることもあるかもしれないわね」

 つまりはそういうことらしい。


 禁制品の製造というと密造酒のようなものがあるが、密造酒であれば適切な材料を容器に詰めておく必要があるため、偶然できてしまったのだという言い訳は少し苦しいものである。

 しかし、ただ凍っていたものが溶けてそのまま偶然発酵が進んだ場合ならどうだろう。少なくとも、放置しただけで手を加える工程がないので、比較すれば故意とは認定しづらい。この青年は、この国の法律上ヨーグルトの定義に『固形であること』が含まれないことに気付きその穴をついたのだ。

「なんかまぁ、ひどい遠回りをしているような気分にもなるけど、これでハッピーエンドってことなのかな」

「そうね。費やした歳月で適切な衛生管理の基準作りとかをすれば、普通に解禁できたかもしれないけど」

 つづり嬢が元も子もない補足を入れる。

 とはいえ、脱法ヨーグルト作りをするのは何もかもを手に入れた青年にとっては楽しいイベントだっただろうし。そう考えると、脱法ヨーグルトを手に入れてまた暇になった彼は、きっと次はヨーグルト解禁に向けて動き出すのではないだろうか。

 語り終えて満足したのか読書に戻るつづり嬢を見て、ふと脳裏に『脱法つづり嬢』というワードが爆誕したが、口に出したらまずそうなことは自分でもわかったため、黙って一人で堪能しよう。


 脱法つづり嬢とは……つづり嬢が脱法とはいかに……これは検討のし甲斐がある……! 自分、わくわくしてきたぞ……!


 そうしていると、いつの間にかこちらに向けられていたつづり嬢の視線がとても冷たいものに感じられたのだが、はてさて、アイスの話をしたからだろうか。

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