マッチ売りの少女の最適プラン
「マッチ売りの少女の話、どのくらい覚えている?」
この学校の図書委員にもいろいろな種類の本の虫がいて、読んだ本を一字一句忘れずに全て記憶しているような超人から、面白くなかった本は「面白くなかった」という情報以外忘れてしまう人、どの本も大筋は覚えているけど細部はほとんど忘れてしまう人、など様々である。
自分は最後に挙げた種類の人間で、記憶力がずば抜けて良い図書委員を見ると嫉妬を抱くこともあるのだが、それでも、本という完成された世界への没入感というものが自分はこの世で2番目に好きなので、うらやましいと思いつつも読み終わった本をすべて覚えていたいという欲求も特になかったりする。自分の1番好きなもの? それは今更語る必要はないだろう。
さて、マッチ売りの少女という話の細部をどの程度覚えているのか。自分はもうすぐ読み終わる手元のアイドル論の単行本をひとまず閉じて思い出す。
概ね幼少時代に読み聞かされることが多い物語であろう。多くの人間が大雑把なあらすじを理解しているとは思う。自分もそれに該当して、加えて先に説明した通り読み終わった本の細部までは覚えていない種類の
さて。自分がそれを正直に回りくどく伝えると、つづり嬢は気分を害した様子も何もなく、端的に物語を説明してくれた。
つづり嬢の語り口は
舞台は
マッチ売りの少女は貧しく親からも愛されておらず、1本も売れないままでは帰れません。雪が降る中、少女は帽子もなく、靴も馬車にひかれそうになった際になくしてしまって裸足でした。
民家の壁際に座り込んだ少女はたまらずマッチをこすります。すると幸せな情景が現れますが、火と共に消えてしまいます。
繰り返し火をつけていると、やがて唯一少女を愛してくれた祖母が浮かび上がり、少女はその幻に連れて行ってくれとせがんで残ったマッチ全てに火をつけます。すると光が大きくなり、少女は祖母と一緒に神様の
翌朝
つづり嬢は一息ついた。こんな風に彼女に寝物語を聞かせてもらえたなら、自分も翌朝幸せな笑顔で神様の御許へ昇っていてもおかしくない。
最後に、つづり嬢は付け足す。
「このお話の締めくくりは、少女の遺体を見た人々は少女がどれだけ幸せな最期を迎えたかは想像できないでしょう、とハッピーエンドを示唆するようなものになっているの。ただ、
ふむ。悪辣な環境に生き続けるよりは、幸せな天国へ旅立ったほうが良いのだろう、という主張が込められているのだろうか。確かに議論の
「つづり嬢から見るとこれはハッピーエンド? バッドエンド?」
「ノーコメント」
間髪入れず打ち返された。が、さらに続けて、
「宗教色を含む議論は控えたほうがいいと思うの」
あまりに冷たい対応だと本人が考えたのか、そう補足してもくれた。
自分は基本的につづり教の狂信者であるためつづり嬢と心情や信条を戦わせることは未来永劫ないはずだし、つづり嬢と会話すること自体がもはや自分にとっての宗教活動とも呼べるほどだが、つづり嬢のポリシーにも当然ながら従う意向なので同意の頷きを返した。
ここまででようやく前提条件が揃ったことになる。つづり嬢は座ったまま身体の向きをこちらに変える。その際に小さく「んしょ」と声が出たことを自分は聞き逃さなかった。かわいい。
さて、本題である。
「海外の大学の授業や、企業の営業担当者の研修なんかで、水1杯や、ボールペン1本をなるべく高く売るというアクティビティがあるらしいの。 実際に様々なアイデアで高く売ることができるらしいのだけど 」
自分もいつだったか本で読んだ覚えがある。売る側の努力で何らかの付加価値をつけたり、特別需要の高い環境へ持ち込んだりして、商品そのものの一般的な価値よりも高く売ることが求められる課題である。
「彼らなら、マッチ売りの少女にどんなアドバイスをするかしら」
ほんの数分前まであった道徳や宗教の影は消えて、ひどく現実的で経済的な問いだった。
ひとまず、解釈の異なる結末については置いて考えることになる。
「そもそも普段はマッチって売れるのかな」
「親が娘に売らせようとする程度には需要はありそうだけど、実際には1日かかって1本も売れなかったのよね」
「大晦日だからそもそも人がいなかったって可能性もあるけど、最低限人がいて需要もあったと考えないと、親が考えなしの人でなしって話で終わっちゃう気がする」
「……普段は売れるんじゃないかしら。大晦日になると、みんな必要な分は購入済みで、買うとすればうっかり切らしてしまった一部の人しかいないとか」
つまり想定する状況としては、まったくマッチが売れないわけではないけれど、マッチが欲しいという人はかなり限られる、というものになる。
付加価値をつける、特別需要の高い環境へ持っていく、というテンプレートを当てはめようとすれば、後者はなかなかに困難な手段に思えてきた。
「大晦日の夜にどうしてもマッチが欲しい人なんているのかな。切らしてしまえばそれはそれは不便だろうけど、最悪寝てしまえば明るい新年を迎えられるわけで。もう夜なのに、さぁごちそうを食べよう! なんて準備している段階でロウソクが全部消えてしまうというのも考えにくいよ」
「そうね……確かにマッチに対する需要はほとんどないと思う。けれど、消耗品だし安価でかさばらないものなのだから、買ってもよいという人はそれなりの数いる気がする」
なるほど、薄い需要、ということだ。
すごく欲しいわけではないけれどちょっとお得なら買ってもよい。そう考える人は確かにいそうである。
「靴磨きするとか」
「それでマッチを売ることができるなら最初からそれを商売にするのでは?」
「確かに」
「少女の年齢は不明だけどけっこう幼い印象があるのよね」
「付加価値をつけようにも、少女自身の技術に由来するものは期待できなさそうだ」
だとすれば、少女自体が持つ価値を利用するのはどうだろうか、などと半端に考えてうっかり口を滑らせる。
「ほっぺにちゅーとか?」
「変態」
録音したいつづり嬢の発言ランキング!
「変態」
何かを察知されたのかより嫌悪感強めにまた言われた。ありがとうございます! とは、さすがに口には出せなかったので素直に申し訳ないという表情を作った。
「えっと、そうすると、付加価値をつけるのは無理になるかな」
売り物になるような付加価値を用意するのは難しい。薄い需要はあるが、特別必要としている人はいなさそう。ここまで来るとかなり難しい課題になる。
行き詰ってしまった。もう一度状況を整理しよう。
・大晦日の夜
・少女は貧しく愛されず親から虐待を受けている(ように見える)
・売れる見込みの低いマッチを売らないと家に帰れない
「ぅ、うぅ~ん……」
思わず自分は唸り声を上げた。
「そもそもさ」
「うん」
「この少女ってなんかもう、公的機関に保護されるべきっていう境遇だよね」
つづり嬢はほんの2秒だけ考えて応える。
「アンデルセンがマッチ売りの少女を書いたのは1800年代半ばだから、仮にその時代が舞台だとする。科学の礎が築かれることで文明文化の大きな発展があった時代だけれど……
「なるほど、レ・ミゼラブルと同じくらいの時代なんだ」
その時代の浮浪児とくれば、盗みなどで日々を食いつないでいたのだろう。かといってマッチ売りの少女に金を盗んで帰りなさいというわけにもいかない。
「あなたは」
頭を悩ませる自分を、つづり嬢がじっと見ていることに気が付いた。
「この少女を可哀そうだと思ったのね」
事実である。自分は頷いた。
「今よりもずっと貧しい時代だけど、この時代の人でも、同じように可哀そうと思う人がいたかしら」
当然。
そう答えたかった自分ではあるけれど、当時の世情を想像してみるとそうもいかなさそうだ。
「……正直、難しいんじゃないかな。みんな貧しくて、浮浪児は盗みを働く悪者で、かわいそうな境遇の人間なんてどこにでもいる」
「じゃあ、同情を売る、というのも難しそうね……そもそも、大晦日に一人でマッチを売り続けている少女なんてそれだけで同情されそうなものなのに放置されているのよね……」
平時は天国のような図書室の空気がずしりと重くなったようだった。
考えれば考えるほど少女の境遇は絶望的だ。
商品に価値はなく、少女自身に特殊な技能もなく、付加価値をつける要素も何もない。
正直これ、詰んでいないだろうか?
もちろん、自分たちみたいな善良な一学生ではなく専門で聡明な方々であれば、素敵なサジェスチョンでエコシステムを形成してシナジーを発揮し結果にコミットするのかもしれないが、正直つづり嬢の今回の課題、自分には荷が重い気がする。
いや、待て、諦めてはいけない。つづり嬢に失望されれば自分の人生はここで終わったようなものである。華麗な回答でマッチ売りの少女を救った自分に、素敵、抱いて、と胸に飛び込むつづり嬢という未来が一生得られなくなってしまう。
自分の
自分の脳裏を走馬灯のように様々な情景がよぎる中、自分の視界に映り込んだそれ──先ほどまで読んでいたアイドル論の本──が目についた。……それこそがまるで天啓のようであった。
「つづり嬢」
自分は、非難されることも覚悟の上で、そのチープだが強力な一手を提案する。
「1箱の値段で、5箱売ろう」
そう、まとめ売りである。
アイドル論の本によれば『グループの多人数化は個性を揃えることによる多方面展開であり、まとめ売りとは異なる』らしい。
では今回のケースは? 考えれば考えるほど商品的価値があるものはマッチしかない。しかし、マッチ自体の価値は大晦日に買ってもらえるほどではないし、個々で個性があるものではない。であればまとめるしかない。一人では乗り越えられない壁もみんなの力を合わせれば越えられるとよく少年漫画でも言っているではないか。似たようなものである(断言)。
つづり嬢はあっけにとられたような、呆れたような、考え込んでいるような、怒りを募らせているような、つまりつづり嬢によく見られる何を考えているのかわからない素の表情をしていた。
「いくら顧客の自宅に予備があるといっても、1箱の値段で5箱なら売れる。自信がある」
すかさず鋭い営業トークを炸裂させた自分に対して、ついにつづり嬢は頷いた。
「確かに売れそうだけど……親にどう説明するの?」
「馬車にひかれそうになって8割ダメにした」
「全部が嘘じゃないあたり少女にあるまじき
彼女は半眼になりつつも、雰囲気は明るくなった。
「うん……怒られるだろうけれど、ちょっとは売れるのだから、一つも売れずに死んでしまうよりはましかな」
合格点が出た!
「これで解決だね!」
自分は両腕を開いてつづり嬢の熱烈なハグに備えるが、マッチ売りの少女を見る通行人たちのような目でスルーされた。愛する人の温もりが恋しい今日この頃である。
ちなみに帰り際にやってきた我らが偉大なる図書委員長に同じ課題を投げかけたところ「信用という価値についても検討したらいいんじゃないかな」と参考になりそうな助言をいただいたが、つづり嬢と検討するには盛り上がらなさそうだから特に取り扱わなかった。
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