サンドイッチと野菜ジュースの適切な距離感

「私はご飯よりパンが好きなの」


 筒井つづり嬢はパン派である。

 その情報を記憶に刻み込みつつ、自分は続きの言葉を待った。彼女がこうして唐突に話し始めるとき、すぐの返答を求められていないことがほとんどであるためだ。

「今朝はお弁当を作る暇がなくて、 今日のお昼はコンビニでサンドイッチを買ってきたのだけれど」

 筒井つづり嬢は料理もできる。

 彼女こそ理想のお嫁さんといっても過言ではないだろうが、特に本題ではなく分量も膨大になるため詳細は別 ページでの記載とする。

「サンドイッチを買うときは、つい一緒に野菜ジュースも買ってしまうの」

 筒井つづり嬢は健康意識が高い。

 ただ、もう少し脂肪をつけたほうが健康的なのではないか、というのはうまく伝えられる自信がないため喉の奥に飲み込んだ。

「かといって、サンドイッチと野菜ジュースがセットでパッケージされた商品があったとしたら、それはなんだか違う気がするのよね」


 小さな唇から不満を押し込めたような声色でそう放たれた、これが本日の本題である。


 金曜日の放課後。

 図書委員である自分とつづり嬢の当番日である。

 いち学校の図書室としては破格の広さを誇る大部屋の中央に陣取る円形カウンター。来客対応以外は、概ねその場所でそれぞれが思い思いの本を読んで過ごしている。

 ただ、時折思い出したかのようにつづり嬢が話し始めることがあり、それは双方の読書よりも優先される出来事であった。

 サンドイッチ、と心の中で唱えながら、自分は読みかけの道徳感情論(著アダム・スミス)を閉じてカウンターの上に置く。

「でも結局サンドイッチと野菜ジュースを買うんだよね?」

「結局は、そうなのだけど、私は『サンドイッチと野菜ジュース』をランチにしたいわけじゃないの」

 自分は口を閉ざして続きを促した。こうすれば、彼女は不足していた情報を察して自然と補足してくれる。

「サンドイッチは私としては量も申し分なくて、別にそれだけでもよいのだけど」

 もう少し食べたほうが、という言葉はまた飲み込む。

「それだけだと栄養バランスが悪いのではないかと思って、次に野菜ジュースを手に取るのよ」

 つづり嬢はちゅうにその小さな手を伸ばし、自分が棚から商品をとる様を再現して見せた。すらりと伸びた白い指につい視線が吸い寄せられる。少し深爪だろうか。小さすぎず大きすぎず、細めの、彼女らしい綺麗な手だと思った。このワンシーンを写真に収めてコピーライトを添えればそのまま書店の広告に使えるだろう。

「つまり、私はサンドイッチと野菜ジュースを買いたいわけではなくて、サンドイッチを買おうと手に取って、そこでふと『これだけでは栄養が偏るのではないか』と不安になって野菜ジュースを手に取るの」

「野菜ジュースはそもそも欲しいと思っていなかったから、セットで売られていても余計なものに見えてしまうということか」

「そう、まさにその通り」

 わが意を得たり、とはこのことなのだろう。それを射止めた自分は少し誇らしくなった。

 ただ、ここまではつづり嬢自身の言動の原動力を明らかにしただけである。ここからが本題だ。

「でも、どちらにせよセットで買うとわかっているのだから、セットで売られていたらそちらを買うようになるのでは?」

「そうなの」

 つづり嬢は困ったわ、とでも言いたげに視線を右下に向けて、手の甲でその頬を軽く撫でる仕草をした。たまに見る仕草だ。単に髪の毛を払おうとしたのかもしれないし、彼女の何かしらの感情を表す癖なのかもしれない。

「恐らくセットでパッケージされた商品があったなら、私はそれを見てこう考えると思うの。『きっとサンドイッチだけでは栄養が足りないと不安になって野菜ジュースを買おうとするからこのセットで良いかな』と。つまり、サンドイッチを単体で見たときと同じような思考のルートを辿る。でもやっぱりそれは、『あらちょうど欲しかったサンドイッチと野菜ジュースがセットになっているわ』という喜ばしい感情とは違って、不安によって喚起かんきされた購買意欲に変わりはないのよね」

 つづり嬢も明確な議題を持っていなかったであろうこの話に、ようやくゴールが見えてきた。

「つまり、どうすればつづり嬢が気持ちよくサンドイッチと野菜ジュースをセットで買うことができるのか。題するなら『サンドイッチと野菜ジュースの適切な距離感 』かな」

「それ、いい」

 つづり嬢は眠たげな瞳を優しく細めた。自分の鼓動とテンションが上がるのがわかる。

「あー、えーっとその、サンドイッチが買いたい、でもサンドイッチだけでは栄養不足の不安が生じる、という前提があるよね。セットにするほどじゃないなら、隣の棚に陳列するとか?」

 多少の高揚感が思慮に欠ける発言を促したことは否定できない。自分は発言しながら、勢いだけで言ったことを認識して後悔し始めていた。

「ごめん、特に解決にはならないね……」

 つづり嬢は口元に軽く握った手を添えながらうつむいた。あきれられた、ということではなさそうだ。彼女なりの案を練っているのだろう。

 彼女が思案している間、自分は読んでいた本の表紙を人差し指で四角くなぞっていた。どれくらいそうしていたか、30秒だったかもしれないし3分だったかもしれない。ふと顔を上げると、自分が指先で撫でている本につづり嬢が視線を向けていることに気が付いた。


「シンパシー」


 その言葉を聞いてはっとした。それは、この本を読み始めるとすぐに目にすることになる単語だった。

 たった一言でこれほどまでに意思疎通が図れるのは、同じ本を読んでいる者同士──つまるところ図書委員同士では珍しいことではない。だが、自分とつづり嬢の間にこの化学反応が発生する快感は耐え難く甘美なものだった。背筋にぞくそくと走った愉悦ゆえつに身体がぶるりと震える。この感動だけでご飯3杯は余裕でいける。

 あなたも同じ結論に? と視線がやってきて、その認識を追うようにつづり嬢は答えを口にした。

「たった一文を添えるの」

 頷く。

「サンドイッチの売り場にだ」


『不足しがちな栄養のために野菜ジュースもご一緒にいかがですか?』


 それが今回の結論である。

 つづり嬢はサンドイッチを買いにコンビニに入る。さて、今日はどのサンドイッチにしましょうか、と思いながら陳列棚を見ると、『不足しがちな栄養のために野菜ジュースもご一緒にいかがですか?』と提案の文が目に入る。確かに、その通りだ、と思いながらサンドイッチを選び、その足で野菜ジュースも取りに行く。

 購買行動としての結果は何も変わらない。その瞬間において、店舗側は得も損もしていない。ただ、つづり嬢の不安はどこにもなくなった。サンドイッチだけでは栄養不足なのでは、という不安は、ご一緒にいかがですか? という提案に対する納得と共感シンパシーに変化したのである。

「ところで……今日はサンドイッチの具は何を選んだの?」

 さりげなくつづり嬢の好みを探る自分に、つづり嬢は雲間に青空を見つけたようなすっきりした顔で、口元を緩めた。


「桜でんぶ」


 自分は愛想笑いを返した。

 筒井つづり嬢はミステリアスな魅力の持ち主である。


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