或る夜中

 僕は時折自分が嫌になる。いや、時折なんてやさしいものではない。ずっと、だ。この思いは多分自分の嫌なところを目の当たりしたり人に指摘されたりしたときなんかに強まる。はあ。何もかも嫌になってきた。とりあえずコンビニで遅すぎる晩ご飯でも買って来るか。気持ちいいベッドに別れを告げてなんとか起き上がった。起き上がるだけですべてのエネルギーを使ってしまった気すらする。まあ立ち上がろう。


 立ち上がろう。そう思ったまま中々動けなかった。暗くなったスマホの画面を触ると 2:17 の文字。何分ベッドに座ったままなのか計算しようと思ったけどそもそも何時から座っていたかが分からない。でもいくら二十四時間営業だと言ってもさすがにこれ以上遅くなるとまずい気がする。何がまずいのか具体的には全然分からないけどなんとなく良くない気がした。僕はまだ自分が社会不適合者ではないと思い込みたいのだろうか。思い込むための根拠が欲しいのだろうか。身体が心の道連れになるのをすんでのところで引き留めているのがこういう規則正しさの欠片なのだろうか。


 なんとか立ち上がって靴を履いているとジャージの裾が酷くほつれていた。もうそれだけで嫌になった。そのほつれ具合が古着屋で買ったということを声高に訴えているようでまた嫌な気持ちになった。誰かが着たために安い服。誰かがもう要らないと思って捨てたも同然の服。それを自分が着ている惨めさが消えない。鏡に飛んだ水滴を指で拭ったら指紋でもっと汚くなるみたいな感じ。消えたと思ったらさらに悪化してるみたいな。ノーブランドのジャージ。鼠色に差し色のピンクが入っている。自分の好みからは外れるけど安いからという理由だけで身に纏っている服。こんなの自分じゃない。自分じゃない。


 自分じゃないという言葉が脳内をドラム式洗濯機よろしく廻ったあと別に自分じゃなくていいのではという考えに至った。本当の自分なんてよく分からないし人に無暗に見せびらかすものでもない。そう思うと途端にこの安い服が頼もしく思えた。だってこの服を着ているのは本当の自分ではないのだから。さっきまで忌々しかったジャージもまとめて買った黒地にキリン柄のパーカーも前向きな存在になった。じゃあ本当に外に出よう。まるでうそっこの「外に出る」があるみたいでなんだか愉快な気分になった。久しぶりにうそっこなんて言葉を使ったなと思うともっと愉快になってきて同時に子どものころが思い出された。


 せっかく履いた靴を脱いで収納の上の方に追いやっていたトランペットを取り出す。叔父さんが使っていたのをお古でもらったものだった。中学でやめてしまったけど。もう全然手入れもしていないし吹けるわけなんてない。そう分かっていたけれど口を当てる。案の定、音は出ずに息がつまっただけ。だけど不思議と悪い気はしなくてその金色を机の上に置いたままドアを開けた。空は暗く風は強かった。途中で財布を持ってきていないことに気づいたけど、そのまま歩くことにした。

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