写真は思い出になってしまう
パシャァ パシャァ
スマホのカメラアプリの無機質でどこか耳に残るシャッター音が響く。
渡辺
彼はいつもパシャパシャ写真を撮るが、別に写真を撮ること自体が好きなわけではないという。だから彼のスマホのカメラロールに保存されている枚数は比較的少ないし、人の写真以外は書類やスクショといったものばかりだ。定番の景色や動物などの写真はない。彼にとって大切なのは或る人間に会ったという記録でありその事実を思い出すきっかけである。写真というものそのものに興味は無い。
さきほど人間に会った記録といったが彼が意識しているのはもっと深遠なものかもしれない。こういう人間がいたという記録のつもりなのかもしれない。つまり、それはその人のことを忘れたくないということ。時の経過とともに実際は忘れてしまうかもしれない。十年後、写真を見返したときにこの人は誰だったっけとなるかもしれない。だけど、だけど、この人のことを自分が写真に撮るほど大切に思ってたんだ、という事実は分かるわけでそのために写真を撮っていると言えるのかもしれない。
でも渡辺いわく写真には大きな欠点があるらしい。それは思い出になることだ。え、何を言っているんだって。それには共感する。初めてこの話を聞いたときは確かに混乱した。写真が思い出の象徴なのは当たり前なのでは、と。渡辺に詳しく聞くと漸く意味が分かった。写真になると現在と地続きであったはずのその時間、その瞬間が思い出というラベルをつけられて現在から切り離されてしまう。これが彼の言う欠点としての「思い出になる」である。
最近彼とは連絡を取っていない。元気にしているだろうか。この話を聞いたときは二人とも三十路だったが、今となっては喜寿をとうに過ぎた老いぼれである。そういえば写真が容量いっぱいに溜まったらどうするのとか、スマホを変えたら写真はどうするのとかも尋ねた気がするけど彼がなんて答えたかは忘れてしまった。
どうなんだろう。彼は私の写真を今も残してくれているだろうか。それとも昔の写真なんて一切合切捨ててしまっているだろうか。案外彼はそういうさっぱりした奴な気もする。渡辺の撮る写真は好きだったものの基本的に私は写真嫌いで枚数もそこまでない。先日、医者にもう先は長くないと言われたから彼に連絡をしてみようと思ったのだけれど。
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