この花が枯れる頃に
「あの乾さん、こちらのお花は――」
「ああ、たしかにしおれてきてますね。でも、お気遣いは嬉しいんですが明日まで待ってもらえますか。替えて頂きたいときにまたお声かけするので」
「はい、分かりました。それではお大事に」
今週から新しくこの病室の担当に加わった看護師の村井はそう告げてドアを閉めて帰っていった。村井が言っていたのは瓶に生けられた数本の花のことで茎が少ししなびて花も黒ずみ始めていた。そういったものを目にすると普通、気が滅入るものだが病気で体が思うように動かず、寝たきりの乾は自分で花を捨てたり水を替えたりすることができないからそのままになっているのではないか。それなら看護師の自分が、そう村井は思ったのだろう。もちろん乾も枯れた花を見る趣味はなかったし、水は自分では替えられないので時々看護師さんの手が空いているときにお願いすることにしている。そんな乾が花を捨てないでくれと言ったのは理由がある。
この花は乾の友人、西園寺が見舞いのついでに持ってきてくれたものだった。西園寺とは大学で知り合いお互いに社会人になったあとも交流は続いていた。西園寺の結婚式には乾はよろこんで出席した。乾は四十になった今も独身でそのため入院している彼を訪れるものは西園寺のほかいない。父は乾が部長に昇進する前に亡くなったし母は認知症を患い施設でみてもらっている。そんなわけだから友達思いの西園寺は月に一度、顔を出してくれていた。
そして、乾が交通事故で半身不随で入院しあとひと月で半年となった。リハビリのための入院の制度的な目安は半年である。そんな折、西園寺が前回の見舞いから一週間後にまたやってきた。乾がどうした前来てくれたばっかりなのにと尋ねると、これからはこれくらいのペースで顔を出せるかもしれない。時間に余裕ができたからというようなことを言った。クビにでもなったかと茶化すと営業成績はバッチリだと笑っている。この日から西園寺は小さな花束を持ってくるようになった。病室をあとにするときには毎回、この花が枯れる頃にまた来るよと言った。
実際その通りで西園寺は花に元気がなくなってきた頃に毎回やってきた。ちょうど見ているかのように。そんな具合で西園寺が足しげく病室に通うようになってから乾の病室を担当する看護師たちは西園寺と顔見知りになっていた。
いつもと同じように西園寺は乾を訪ね昔話に花を咲かせたあと、いつものセリフを言って帰っていった。西園寺が帰ったあと部屋に入ってきた看護師が窓際に置かれた花を見てめずらしいですねと言った。何がかと訊くとあんなに気遣いのできる西園寺さんが鉢に入った花を持って来られるなんてとのことだ。一般的に鉢に入った植物は根を張る、つまり入院が長引くことを連想させるため良くないとされている。確かにその通りだが西園寺の厚意を無下にされた気がしないでもなかった乾は看護師の目につきづらい場所へとプラスチックでできた鉢を動かした。
「鉢植えですしお水だけでも――」
西園寺の最後の見舞いに来てから二週間、久しぶりに乾の病室に来た村井がきれいに咲いた鉢植えを持ち上げて言った。それに乾が答える。
「いや、いいよ。枯れる頃には西園寺が新しいのを持って来るから」
そうですか、と村井は言ったあと西園寺さんってもしかして西園寺崇さんですかと続けた。
「はい。それがどうか」
村井は自分がここの病棟の担当になる前に西園寺を担当していたことがあり西園寺はがんを患っていたことを話した。どれくらい進行しているのかとさらに乾は詰め寄った。大切な友人とあって必死だった。その迫力に気圧され、本当は個人情報なのでお教えできないんですけどと断りながら村井は自分が知っていることを説明した。一通りの説明を聞いたあと今は、今はどうなんだと乾は訊いた。担当を外れてしまったから分からないと言う村井に乾は主治医に内線で問い合わせさせた。
「西園寺さんは昨夜亡くなったそうです」
村井が言いづらそうに言った。
乾は信じられなかった。初めて出会ったときから最後となった見舞いまで西園寺とのすべてが頭によみがえった。放心状態だった。
少し冷静になった乾は西園寺の形見となってしまった花が手元にあることに気づいた。
「この花が枯れる頃にはまた来るよ」
西園寺の声が頭の中で聞こえた。
きれいに咲いている花はつくりものだった。
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