思い出した曲
ピアノは打楽器とも言える。そんなことを思い出させるようなハリのある音色が改札を出たすぐの広場で鳴っている。屋内ではないので音はそこまで響かないものの感情が入ってるだろうということがよく分かる。
7分後に出る快速に乗ってさっさと家に帰り数学の課題を片付けてしまおうという思いはベンチに座った時から消え去っていた。特段この男性のピアノが上手いというわけではないと思う。ピアノを習ったことはないけれど、姉の戯れの電子ピアノが自室にも聴こえてくることは多かったのでそれなりに分かっているつもりである。
ジャージに水色のパーカーという家からそのまま出てきたような格好の男性は年齢不詳であった。でも会社が終わる時間ではないからさしずめ大学生といったところだろう。姉ももう春休みだったはずだ。そういえば最近少しは暖かくなった気もする。
特徴的なメロディー。同じ音の三連符が二回繰り返される。
ああこの人が弾いているのはこの曲だったのか。何かの主題歌だった気がする。書き下ろしだったのか、採用したのかは忘れたけど。いわゆるサビの部分が繰り返され、偶然通りかかった人も足を止める。そうすると人が人を呼ぶので段々と人だかりができる。マナーとして青年は一曲弾き終わるごとに立ち上がり周りを見渡す。そして誰も名乗りを上げなかったらまた弾き出す。
そんなことを繰り返しているうちにあたりも暗くなった。時間が迫ってきたのか青年は最後にもう一度、先の曲を弾いた。得意な曲あるいはお気に入りなのだろう。再び三連符を耳にしたとき歌詞の一部を思い出した。
涙は見ていないことに
そんな一節があったはずだ。合唱曲としても有名でもしかしたらうちの高校の合唱部も歌っていたかもしれない。だから妙に聞き馴染みがあるのだろうか。勉強がてら立ち寄ることの多い図書館からは練習している声がよく聞こえるのだ。それでこれは映画の主題歌だったはず。高校生の主人公が一夏の恋を謳歌する。そんな輝かしい青春ものだった。鮮やかな色づかいと繊細なタッチはすぐ目に浮かぶが、タイトルが思い出せない。スマホで調べようと取り出すと通知が来ていた。
今日は帰り遅くなる?
母のアイコン。そうだ早く帰らなくては。「今から電車に乗る」返信しているともう一件通知が来た。
あのさ、、、いま何してる?
久しぶりに見るアイコンだった。当時から変わっていない。そういえば曲名は『磁石』だったかもしれない。
◆◆◆
登場人物たちは知り得ないけれど私たちには分かること。それは後日譚である。
曲名を思い出した主人公は電車の中でその曲を聴きながら一年ほど交流の途絶えていた相手への返信を考えていた。ループしていた曲が何回目かの三連符を奏でる頃ちょうど相手からメッセージが来た。
誤送信しました。ごめんなさい。
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