食を嗜む

大隅くん、帰国して一番にする食事がきみと一緒だというのは本当にうれしいよ。それにこの料亭は雰囲気がすこぶるいい。きみの御用達かい。

そう言っていただけて光栄です。私も会長と久しぶりにお食事できるとあってできる限りのもてなしをと思って、ここ泉碧亭を指定いたしました。

せんぺきてい、いい名前だな。歴史は長いのか。

ええ、江戸後期から続く店だと聞いております。古くは宿場としても栄えていたとか。

たしかにこの辺りはかつての宿場町だな。もうその面影もほとんど見られないが。

そうなんですよ。それが少し残念なんですけれど、ここの女将さんは自分の代でこの店をたたむわけにはいかないと頑張っておられます。

失礼します。お呼びですか。

あっ、いえいえ少し、この店について会長にご説明を。

冗談ですよ。それでは料理を順にお持ちしますので、どうぞごゆっくり。


木目をそのまま生かした大きな机を大小さまざまの器が埋めていく。二人は冷めないうちにと箸をつける。天ぷらの中だとこれが特においしいとか、この刺身は川魚のようだけれど何だろうとか言いながら料理を味わっている。

ひとまず落ち着いたという頃、社長が会長に訊ねた。


視察の方はいかがでしたか。三年にわたる長期的なものでしたが。

何だね、きみは私たちの視察がいたずらに長かっただけの遊びだとでも言いたいのか。

いえ、決してそんなことは。

それならいいが、秘書が日報を社内サイトで更新していただろう。私も毎月報告書を本社に提出していたし。まさか読んでいないとでも言うのか。

滅相もないです。もちろん全て目を通しております。しかし、こう肌感というか、そういったものを伺いたいなと思いまして。

ああ、それならそうと言ってくれればよいものの。そうだなあ、やはり海外でも食文化というのは日々刻々と変化しておる。グローバル化で均質化が進んだと言われがちだが、先進国の郊外ではその程度はやはり低い。反対に都市部では何でも食べられるがゆえに郷土料理というかおふくろの味とでもいうのか、そういったものが再評価されつつある。もうトレンドというのが一様にもてはやされる時代ではないと言った感じだな。一方途上国ではまだまだグローバル化の波が届いていないところも多い。そういったところの食文化にももちろん触れてきた。

ははあ、なるほど。たしかにデータからそういったことも読み取れますね。なるほど全体的にそういう傾向にあるんですね。そのことを念頭において資料をもう一回確認しようと思います。

おお、それはいい心がけだ。

あ、そういえば田舎というので思い出したのですが、私の田舎の地酒が去年一般に流通にし始めて泉碧亭さんにも取り扱っていただいてるんですよ。一杯どうですか。

おお、そうなのか、ぜひ飲んでみたいな。

ありがとうございます。お眼鏡に適うか分かりませんが。


女将が瓶を持ってきて二人のお猪口に注ぐ。


では会長どうぞ。

ああ、頂くとしよう。


いかがでしょうか。

うむ、そうだな黄泉の国の味がしたよ。きみも飲んで確かめてみるとよい。


そのすごんだ目に抗えず男は毒入りの酒を飲み干した。


未開の地の食事を楽しんだ甲斐があったというものよ。


廊下で控えていた女将はその声を聞いて言葉を失った。

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