しゃべらずに食べ切るべし
なんで途中でしゃべっちゃいけないの?
ホントに人間てのは意味を求めたがるから困る。いつもこの日になるとみんな律儀に同じ方向を向いて静かに太巻きを食べるくせに、意味を求めることだけは忘れない。別に意味がないことがあってもいいと思うんだけどなあ。なんでなんだろうか。意味があった方が安心するんだろうか。仕方ない。まあ元々きみら人間のために決めたルールというか風習だったんだけどね。話さずに食べきるべしというのは。
今じゃ後付けしておいたしゃべると途中で幸運が逃げるというのが定説となっているけど、当初の目的はそうじゃなかったんだ。別に何でもよかったんだ。逆立ちして食べるでも、二分以内に食べきるでも。それで色んな案の中から割と誰でも頑張ればできそうで健康にも支障が出なさそうな話さずに食べきるが選ばれたってわけ。
じゃあなんで何かしらのルールを課したかったのかって。それはみんなに達成感を感じてもらうためだよ。なんか気分がいいでしょ。決められた通り一言も話さずに食べ切ることができたら。よかった、ルールを守れたって思えるでしょ。これが大事だったんだ。生きていると良いことばかりではない。どちらかといえば嫌なことの方が多いかもしれない。
だからせめて2月3日の節分の日くらいは、ちょっと頑張れば達成できることをクリアしてもらって明るい気分になってほしかったんだ。食べ始めるときは面倒くさいなあ、別にしゃべってもバチは当たらないでしょとか思ってても、いざ無言で食べ終われば、よかったよかった、できたできたって思うでしょ。こういう小さな積み重ねが自信につながったり自己肯定感につながったりするんだよ。僕は知ってるんだ。だからこういうルールを設けようと思ったんだ。
何も上手くいかない。やることなすこと失敗続き。全部自分のせいだ。自分が悪いんだ。こう思い始めると止まらなくなって、完成直前のドミノが間違って倒れていってしまうみたいに絶望感に覆われる。それで全部倒れ切ると空虚な気持ちになる。到底もう一回やり直そうなんて思えない。少なくとも僕にそんな強い心は無かった。
でもそういうときに、そういえばあれだけはできたじゃないか、自分よ。なんて思えることがあれば、それがどんな些細なことでもドミノを断ち切るきっかけになるかもしれない。だけど大抵できなかったことは見えやすくて、できたことは見えづらいもの。そう分かっていても悲嘆の中でそう冷静になることはできない。
だから一息ついて遠くを見つめながら静かに太巻きにかじりつく時間も大切だと思うんだ。
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