戸棚の扉は閉めちゃ駄目

「だめよ、ばあばの家の扉は閉めちゃ」


 帰省した娘が孫にそう言っている。


「なんで閉めちゃいけないの? ドアは閉めるって言ってたじゃん」


「ああ、ばあば力弱いからね。ちゃんと閉めたら開けるのが大変でしょ」


「そっか。オッケー」


 年長さんの孫は物分かりがいい。受け答えもしっかりできる。私も母に同じ質問を昔したことがある。そのときはからかわれたと思ったものだった。いまでは母が本気だったことが分かる。


 ほら、そこ。流しの下のフライパンなんかが入った収納のところ。親指くらいの大きさで翅の透き通った妖精が二人仲良く歩いてるでしょう。お互いが向き合って楽しそうにおしゃべりしているのね。何の話をしているのかまでは聞き取れないけれど。あら、片方が顔を赤らめたわ。もう片方はそれを見て笑ってる。それに釣られて結局二人して笑ってるじゃない。私も何だか楽しくなってきたわ。


 おや、ティーバッグが少し動いたかしら。その陰には背が低くて耳の長い妖精さんが一人で体育座りをしているじゃない。ちょうどティーバッグにもたれかかっているのね。自慢のお耳が垂れて折れてしまっている。何か悲しいことでもあったのかしら。薄暗い食器棚の中できらりと光るものが見えた気がするの。話を聞いてあげたいけれど、あいにくそれは叶わない。この安楽椅子に座ってじっと見つめることしかできないの。ごめんなさいね。


 廊下の収納から出てきたのは三人組。どの子も子どもみたいで跳ねるようにして歩いている。一人が一人の肩を叩いたり、一人が一人の肩に腕を回したり本当に騒がしくて楽しそう。その姿からとてつもない若さを感じる。いけない、いけない。こんなことを言ったら娘に叱られるんだった。お母さん、まだ70にもなってないんだから。一人で寂しいかもしれないけど長生きしてほしいのよ、なんて。そう言ってもらえることはうれしい。


 でも最近この子たちがたくさん見えるようになってきた。まだ娘はたまに一人見えるかどうからしいけれど、私には毎日たくさんのこの子たちが見える。昨日は他にも押入れに隠れている体の大きな子やタンスに棲んでいる一家なんかも見えた。母は亡くなる間際、私や娘の健康無事を言い残した後あの子たちを見守ってやってと付け加えた。あのころ母が開けたままにしていた場所はそのままにしてある。


 もう私にはその9割近くに出入りする妖精が見える。あと1割。その子たちがどんな子なのか。どんな性格なのか。どんな背格好なのか。毎日毎日それを楽しみに暮らしている。安楽椅子から眺める我が家は娘たちが帰ったあともとても賑やかだ。

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